宗教と万物献祭シリーズ04


新宗教における万物献祭

このシリーズでは、宗教における供え物、献金、布施、喜捨などを一括して「万物献祭」と呼び、こうした行為が伝統宗教において広く行われており、信仰者の義務あるいは美徳として高く評価されてきたことを明らかにしています。先回までは伝統宗教における万物献祭の意義を見てきましたので、今回は日本の新宗教における万物献祭の意義を分析します。

新宗教と伝統宗教の主な違いはどこにあるのでしょうか? 『新宗教辞典』(弘文堂、1990年)によれば、新宗教における救済の施し手とそれを授かる者との関係は、既成宗教のように家に生まれ落ちることによって宗教的所属が決まる帰属的なものではなく、自己の救済を求めて特定宗教を選ぶ自発的側面や、信者としての信仰の深まりがその活動によって判断されるという業績的性格を強くもつところにその特質がある、とされています。

そして、教団側は信者に対して救済の保証のために、絶えず自発的献身として信者自らによる布教、経済的護持としての献金(財施)、教団施設を維持するためなどさまざまな奉仕をよび掛けます。また、教団は体験談の発表などによって、こうした献身をよび起すための救済の証しを示さなければなりません。

逆に伝統宗教は、檀家や氏子といった「固定基盤」に依存し、献金を集める手段を開発しなかったため、時代と共に衰退してきたとも言えます。

それではここで、日本の主要な新宗教における献金の意味づけを概観してみましょう。以下の記述は、その多くを『新宗教辞典』の記述に依拠しています。

PL教の場合、「宝生袋(ほうしょうぶくろ)」という献金制度を設けています。神から授かった肉体、知識、技術などを人間社会のために奉仕する精神が「宝生精神」であり、教団に対して喜び感謝して献金することはその精神を生かすことであると教えています。教主によって「この袋に浄財を投ずるあらゆる人びとの上に、有形無形の大いなる宝を授けたまえ、恵みたまえ」と遂断(しき)られた「宝生袋」に献金を入れ、名前を記入して教団に捧げます。そのことによってさまざまな苦難から救済され、「さわやかな悟りの」生活に導かれると教えています。

真如苑の「歓喜(かんぎ)」制度は、「歓喜とは布施波羅蜜――布施とは伏せ込みです。ふせこんで、初めて歓喜の芽がでるのですよ・・・三つの歩み(お助け、歓喜、ご奉仕)と、思い切って取りくんで下さい。そのときに重い因縁も切れ、しあわせの道も開かれていくのです」(『一如の道』昭和57年12月6日発行版)と教えています。

立正佼成会における喜捨制度は、「我欲」のない心、感謝の心で教団に無心に金品を捧げ奉ることにより思わぬ「大功徳」がいただけるという教えに基づいて、大聖堂、教会に置かれている喜捨箱に金品を捧げるものです(『信仰生活入門』)。

妙智会では、昭和50年に完成した新本殿建立へ向けて「財施の修行」を強調していました。たとえば昭和49年度の『指針』には「財施の修行の完遂」と題し、「(前略)予定としては10月いっぱいで新本殿が竣工いたします。布施行は、なにも新本殿を完成させるだけが目的ではなく、欲の根性を取り、先祖や自分がおかした金銭上の罪けがれを許していただくための尊い修行であります」(『みょうち 新年号』昭和49年1月1日)と述べられています。そして、この前後に機関誌『みょうち』に掲載された体験談には「布施の修行」により救済された事例が多く載せられています。

創価学会の献金は「財務」と呼ばれ、経済的に余裕のある会員だけが払うものとして始まりました。もともと創価学会は「貧乏人の宗教」と言われ、「お金がなくても信じられる宗教」ということを売りにしていたため、一定額の会費がありませんでした。財務部員は一種の名誉職で、金色に縁取りされたバッジをつけることを許されていました。それは信仰を持つことで「現世利益」を実現した成功者の証しだったのです。

しかし1960年代から「財務」は一般会員に枠が広がり、会員の信仰心の発露として行う義務的性格のものになりました。銀行振り込みになる以前は、領収証に金額と共に「上記 財務として確かにお受けしました。広宣流布のために有意義に使わせていただきます。今後、いよいよの信心倍増を心からお祈り申し上げます」と書かれていました。創価学会の集金力を示す逸話として、1965年に日蓮正宗の総本山、大石寺に正本堂(しょうほんどう)を建てる際に、4日間で355億円を集めた話は有名です。

天理教では、信者が金銭を供えることは「理立て(りだて)」「おつくし」などと呼ばれています。理を立てるとは、本来、神の思召しを立てることをいい、真実の心が伴っていることが重要で、金銭を納めることは、神の思召しを立てることがたまたま金銭という形に現れたに過ぎないといいます。そして欲の心を離れ、欲の心の対象となる金銭を供え、教会で奉仕をするなど、神に対する報恩の行いにつくことが、信仰的歩みの第一と考えられ、信仰的成熟への具体的な過程として、そういう努力をするようにと教えられることが多いということです。「いんねん」に勝つためには徳をつむしかない、そして金銭はあくまでも神への御礼としてお供えするものであると教えています。

献金にまつわる天理教の教えに「貧に落ち切れ」があります。天理教が急速な拡大を見せていた時代、天理教は「搾取の宗教」とも言われました。というのも、天理教を信じるようになった人々は大半が庶民でしたが、信仰の証しとして布教活動にすべてを費やし、稼いだ金はみな教団に献金してしまったからです。その背景には、「貧に落ち切れ」という天理教の教えがあったと言われています。

神のやしろになられた教祖・中山みきがまず進められたことは、「貧に落ち切る」ことでした。彼女はもともと困っている人、悲しんでいる人を見ると救いの手を差し伸べるような強い母性を持っていました。そこに親神様が入り込まれ、貧に落ち切るよう求められると、いっそう激しさを増し、中山家の財産をそれらの人びとに惜しげもなく与えたのです。中山みきは、屋敷母屋の瓦や高塀を取り壊し、中山家が誇りにしていた格式を捨てるよう(親神様から)求められていたのです。夫、善兵衛はついて行けず、押しとどめようとしましたが、神意には逆らえず中山家は没落の一途を辿ります。人が物をもつとそれに拘り、心の自由が制限される。よってそれを撤廃するためには「物を一度手放してしまう必要」を教祖自らが示したと言われています。

天理教が大きく発展していた時代の布教師たちは、この伝承に従って、際限のない献金を奨励したといわれ、天理教のおつとめ時に歌われる「悪しきを祓うて助けたまえ」という言葉を「屋敷を払うて助けたまえ」と揶揄されるまでになりました。

教祖物語

中山みきの生涯を描いた劇画「教祖物語」

『教祖(おやさま)物語』(天理教道友社、2008年)は、『稿本天理教教祖伝』に基づいて天理教の教祖中山みきの生涯を描いた劇画で、天理教入門書としても読める作品ですが、この中にも親神様から「貧に落ち切る」よう求められた中山みきが、中山家の屋敷母屋の瓦や高塀を取り壊し、財産を人びとに惜しげもなく与える様子が描かれています。

 

『新宗教辞典』は、新宗教における献金の効果を以下のように分析しています。
①信者の意識を絶えず教団に向ける
②教団発展への刺激とする
③教団との一体感、参加意欲を醸成する
④「自分の教団に献金させてもらうことにより自己を高め、社会を浄化している」という社会貢献意識を醸成する

カテゴリー: 宗教と万物献祭 パーマリンク