『生書』を読む28


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第28回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。

 この頃の大神様の活動の中心は憑きものを落とすということであったが、そのために同志が一緒にお祈りをする中で不思議な現象が起こってきたことが報告されている。それは祈祷中に合正している手が自然にこきざみに動き出すという現象である。これは意図的にやっているのではなく、自らの意思に反して勝手に手がブルブルと動くのである。いわゆる「霊動作用」と呼ばれるものだが、大神様はそれを自分の生霊だと説明された。動くのは手ばかりではなく、全身で上下左右の運動を始める者や、座ったまま飛び跳ねる者もいたという。そして、霊動の後には体の調子がよくなったり、心がスッキリしたりするので、人々はますます大神様を信じるようになったという。

 こうした霊的体験は、天照皇大神宮教のみならず多くの宗教に見出されるものである。キリスト教の中で「霊動作用」を特徴とする代表的な教団といえば、それは「クエーカー(Quaker)」であろう。クエーカーは、17世紀にイングランドで設立されたキリスト教プロテスタントの一派である「キリスト友会」又は「フレンド派」と呼ばれる団体に対する一般的な呼称である。霊的体験を重んじる教派で、この派の人びとが神秘体験にあって「身を震わせる(英語で”quake”)」ことから「クエーカー(震える人)」と俗称されるようになったのである。アメリカの黒人教会の中にも礼拝中に「霊動」を起こす教会は多数見られる。

 一方で大神様は、こうした霊的体験や奇跡的な出来事によって同志たちが傲慢にならないように指導している。
「世の変わり目が来て、因縁が切れたればこそ無我になれるのじゃ。無我になりさえしたら、お前らにも法力が授かるのじゃ。じゃが、お前ら自身に悪霊を済度する力があると思うなよ。お前らが無我になって一生懸命に祈るところに、神の恵みで霊が済度されたり、払われたりするのじゃからのう。」(p.188)

 こうした指導は、大神様ご自身が修行する中で体得され、自らに戒められたことを同志たちに共有しているのだと理解することができる。人は霊的な現象に触れて感動すると舞い上がってしまい、傲慢になったり悪霊に支配されてしまうことがあるからである。修行の初期の段階で、人間としての北村サヨ氏は自分には正神と邪神の両方が働いていると自覚し、行によって正神のみが働く存在になることを目指していた。「肚のもの」を邪神だと思って戦うプロセスもまた、行の一環としてとらえていたようである。そのことの意味について大神様は以下のように語っている。
「世の行をする者は、その行の途中、少しでも霊能があり出すと、すぐ増上慢を起こして生き神様になって、邪道に落ちてゆくが、わしの場合は、みんなとは確かな神様がついちょったから、世の中の邪神つきみたようにぼけて、人間の道に外れたようなことはさせなかった。」(p.72)

 このような修行における試練、葛藤、そして陥りがちな霊的な過ちは、宗教の世界には普遍的に見られる現象であり、代表的なものとしては禅宗の瞑想修行における「魔境」があり、キリスト教における「悪霊の業」がある。『原理講論』では「善神の業と悪神の業」「終末に起こる霊的現象」という項目の中で、こうしたことが説明されている。復活論第二節の「終末に起こる霊的現象」という項目の中では、終末時代には霊通する人が多く現れるようになり、こうした啓示を受ける人々は、ある試練を受け、過ちを犯しやすい傾向にあることが説明されている。それは終末には、「あなたは主である」とか「あなたが一番である」という啓示を受ける人たちが多く現れるため、このような人たちがしばしば、自分が再臨主であると誤解したり、傲慢になって道を外れた行いをしてしまう場合が多いというのである。大神様が行のプロセスにおいて「増上慢」「邪道」「邪神つき」といったものと闘い、人間の道を外れないようにしながら神行の道を極めようとしたのは、まさにこうした修行者として受けるべき普遍的な試練や誘惑との闘いをしていたのだと理解することができる。それと同じことが同志たちの信仰生活においても起きる可能性があるので、そのことを戒められたのであろう。

 こうした罠に陥らないために大神様が教えるポイントが「無我」の境地である。傲慢は自分を誇る気持ち、自尊心から生まれるので、そのような我を否定し、自分自身は神の力が働く「器」に過ぎないという自覚を持つことによって、そうした誘惑を退けるように指導されたのであろう。これはキリスト教の「謙遜と柔和」の美徳に通じるものであり、家庭連合においては「自己否定」の姿勢として教えられてきた。キリスト教でも家庭連合でも、霊的な現象をいたずらに喜んだり、のめり込んだりすることは危険視されており、信徒たちが霊的体験に支配されないように戒めている点はよく似ている。

 このころの大神様と同志たちの関係は「慈母と赤子」のような関係であり、同志たちはまさに大神様の懐の中で育てられているような状態であった。こうした情的関係は、家庭連合における教祖夫妻が「真の父母」と呼ばれており、信徒たちがその子女としての自覚をもって信仰生活を送っている関係とよく似ていると言えるだろう。

 このころに「霊動現象」の延長線上に現れたもう一つの宗教体験が「無我の舞」である。ある日、大神様が「お前には舞の手がついた。踊りが出るぞ。立ってみい、わしが歌うちゃる。」と言われると、同志が軽快なリズムに乗って自由自在に踊り出したというのである。これについて大神様は以下のように語っている。
「(昭和)十九年頃、わしにもよく舞わしよった。あれが天人の舞じゃ。昔、三保の松原で天女が舞うたのもこの舞じゃ。天の岩戸のお神楽もこれじゃ。人間が無我になった時、神様に舞わしてもらう舞なんじゃ。今にみんな踊れるようになるぞ。」(p.190)

「無我の舞を舞う大神様」

「無我の舞を舞う大神様」

 この発言から、天照皇大神宮教の「無我の舞」は神道的な世界観を背景にしたものであることが分かる。「天の岩戸」の物語とは、天照大神が須佐之男命の狼藉に憤慨して天の岩戸という洞窟に閉じこもってしまったので、他の神々が外で楽しそうに歌ったり踊ったりすることによって天照大神の関心を引き、洞窟から引きずり出したという話である。神楽(かぐら)は、神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞であり、古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされている。それは喜びを伴うものではあるが単なるエンターテインメントではなく、神に捧げる神事なのである。天照皇大神宮教における「無我の舞」も、同様に神が人の中に入って喜びを表現するという宗教的意義を持つものであると理解できる。

 「霊動現象」や「無我の舞」に加えて出現したのが、預言や異言といった言葉に関わる現象である。新約聖書の中にも「霊の賜物」と言って、信徒たちが聖霊に満たされたときに起きる現象が報告されており、預言や異言を語ったり、それを解釈したり、霊を見分けたりする力が与えられるとされている。これはキリスト教においてはおなじみの現象だが、天照皇大神宮教においては「神の口がついた」と表現されている。「祈りをしていると、名妙法蓮華結経が文句に変わり、美しい即興の歌が自然の節で流れ出るのである。」(p.190)「ただ祈りをして無我になりさえすれば、こんこんと湧き出る泉の流れのように歌の調べとなる」(p.191)ということだ。

 このころの大神様と同志たちの関係は、本当に家族的で美しいものであったことが『生書』の記述からうかがえる。こうした関係は、新宗教運動の初期段階においては典型的なものであると言えるであろう。特に荒廃した終戦直後の日本においては、砂漠の中のオアシスのような、一つのユートピアを形成していたと思われる。
「大神様がいつも説かれる無我の世界とは、このようなものだろうか。なんと楽しい世界であろう。無我の歌に、無我の舞、来る日も来る日も歌うて舞うて、昔話の浦島太郎が龍宮に行って、乙姫様のおもてなしで月日のたつのも忘れ、夢の国に遊んでおるような心地がして、楽しい日々を大神様のみもとで送るのであった。」(p.191)

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