『生書』を読む27


第七章 道場の発足の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第27回目である。第24回から「第七章 道場の発足」の内容に入った。第七章は、初期の布教活動がどのように行われたのかを臨場感をもって伝える記述になっている。それは一言でいえば、大神様のカリスマに惹きつけられて田布施周辺の人々が教えを請いに集まってきたということだ。
「参って来る者の中には、近代教育を受け、科学をかじった者もいる。そういう人々にとっては、殊に大神様の霊界の話が不可解であった。幽霊とか狐・狸(邪神)とか生霊とかを、すべて迷信としか思っていない連中には、なかなか納得のゆかぬことが多かったが、目の前に奇跡を示されたり、家族の者が具体的に不思議を体験したりして霊界の実相を知らされ、大神様の偉大な神力に驚くとともに、神教全体を次第に深く信じるようになるのであった。」(p.181)

 多くの宗教がそうであるように、信仰を受け入れるかどうかは最終的には理屈ではなく、むしろ体験的なものである。大神様も同様に目の前で奇跡的な出来事を起こし、その力を示すことによって、人々を納得させていたようである。

 大神様の説法のスタイルは、参って来る者一人ひとりの欠点を言い当て、「業晒し」をするというものであった。各人の欠点や過去の罪、あるいは背負っている因縁などを見事に見抜いて懺悔させるというやり方である。この章でも、それが遺憾なく発揮されている。その具体的な内容は、「国家観念もなければ真心もない。神とも仏とも思わず、先祖もないものにしてきた」「足の悪い親を蹴って飯を炊かした」「今までにずいぶん女を泣かせた」「酒で大きな罪をつくった」「強情や短気が世の人の恨みを買ってきた。女房や子供を苦しめた」(p.181-184)といった具合である。ただし、単に悪口を言うだけではなく、その欠点に対する適切な指導をなし、反省懺悔するものには優しく接したので、人々はその話をありがたく聞いて心を入れ替えたとされている。

 それまで北村サヨ氏は信徒たちから「先生」とか「大先生」とか呼ばれていたが、この頃から「大神様」と呼ばれるようになったという。それは教祖がその肉体に宿っている宇宙絶対神と一体であることを認識したというのが理由となっている。教祖の呼称は、その宗教の世界観を表している。教祖として出発する時には人々に対して教えを説くので、教祖が「先生」と呼ばれることは普通のことなのだろう。新約聖書の中でも、イエスの弟子はイエスをラビ(先生)と呼び(マルコ9:5、ヨハネ4:31)、パリサイ派の指導者もイエスをラビと呼んでいる(ヨハネ3:2)。文鮮明師もまた、教会の草創期には「先生」とか「大先生」と呼ばれていた。しかし、人々の信仰が深まるにつれて、イエスの呼称は「主」に変わり、文鮮明師の呼称は「真のお父様」に変わった。この呼称の中に、それぞれの宗教の世界観が現れている。新約聖書においてはイエスは天地の創造主である神と同等の存在であると信じられており、統一教会の信者は文鮮明師を自分の父親のように近しい存在として感じているということだ。天照皇大神宮教の信徒たちは、北村サヨ氏を「生き神様」であるととらえており、宇宙絶対神の顕現であると感じていたので、「大神様」と呼んだということであろう。

 ここで『生書』は、昭和19年ごろから大神様が挨拶をされるときには合正せられるようになったことを報告している。ここでいう「合正」とは「合掌」と同じく手を合わせることを言うのだが、その漢字をあえて「合掌」とは書かずに「合正」と表記している。そのことの意味を、大神様は以下のように語っている。
「ここは拝み合いの世界じゃから、狛犬のように、足で歩く座敷に手をつかずと、合正で挨拶せよ。合正とは掌を合わせるのと違う。正しく合うと書く、神と人との肚が正しゅうに合うのじゃ。みんなの肉体が、神の器となるのじゃから、神と神との拝み合いの世界じゃ。」(p.185)

 そして教祖に対して合正で挨拶するだけでなく、お互いも合正の挨拶をするようになったという。これは人間の本性に対するポジティブなとらえ方ということができ、家庭連合の人間観と相通じる部分がある。『原理講論』では、もし人間が堕落せずに完成していたならば、創造本然の人間は神性を帯び、神の心情を体恤し、神の宮となるので、大神様の言うような「神と神との拝み合い」の世界となったはずであった。堕落した人間にもこうした神性の一部が残っているので、隣人の中にそうした神性を発見してその人を尊重し愛するという姿勢は、家庭連合の信仰生活の中でも説かれている。しかしながら、それが天照皇大神宮教の「合正」のような定型の挨拶として実践されているかといえば、そうではない。信徒同士が合えばお辞儀をして挨拶をすることがあるが、それは日本人の一般的な風習と同じである。

 むしろ、家庭連合の挨拶の伝統で特異なのは韓国の文化を背景とした「敬拝」であろう。これは教祖である文鮮明師御夫妻の実体や写真を前にして行うもので、両手を体の前で水平にして重ね、跪いて体全体で大きくお辞儀をするものである。これは日本の文化風習にはないものであり、韓国では父母の前や先祖に対する祭祀のときに一般的に行われるものである。こうした敬拝を家庭連合の信者たちは神や教祖に対して行うけれども、信徒同士で行うことはない。韓国の家庭連合の信者たちは、父母や先祖に対して同じような形の敬拝をすることはあるであろうが、それは韓国の文化の一部であって、家庭連合の信仰の実践ではないだろう。こうした文化風習を持たない日本や西洋の信者たちにとっては、敬拝を行うことは一種の異文化体験であり、家庭連合に固有の信仰実践という意味を持っている。私の知り合いのユダヤ人の教会員は、初めのころはこうした行為が偶像崇拝のように思えて抵抗を感じたという。

 一方で、手を合わせるという天照皇大神宮教の挨拶は、日本人にとってはそれほど文化的抵抗を感じるものではないだろう。タイやネパールのような仏教国では、合掌で挨拶することは一般的であるし、日本においても敬虔な仏教徒は合掌で挨拶することがある。他方で、東洋人にとって一般的な合掌やお辞儀などの挨拶は、西洋人にとってはやはり抵抗があるようだ。西洋での一般的な挨拶は、握手、ハグ、チークキスなどであり、挨拶に関する大神様の指導はやはり日本の文化(特に仏教)が背景にあると言えるだろう。

 さらにこのころ、大神様は神教を信じて行ずる人たちを「信者」と呼ぶことを禁じられた。神の国を建設せんとする志を同じくする者なので、「同志」と呼ぶように指導されたのである。「信者」という言葉にはどこか受け身のニュアンスがあるので、より主体的な「同志」という言葉を選んだのであろう。この言葉は伝統的には社会主義の運動圏において使われた言葉であり、左翼的な色彩を帯びている。日本共産党は、委員長が党大会や党中央委員会総会の幹部会報告などの場で党員をいまでも「同志」と呼んでいるし、新しく日本共産党に入党した人間は、「〇〇同志 あなたの入党を心から歓迎します」と書かれた「入党承認証」を受け取る。

 だからと言って、「同志」は左翼の専売特許というわけではない。幕末に日本から密出国して渡米した新島襄は、留学中にキリスト教徒となり、自由と良心に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも行いたいという夢を実現するため、帰国後に京都に同志社英学校を創立した。後の同志社大学である。同志社とは「志を同じくする者が創る結社」であり、その原点は新島の志である。英語の校歌は「One Purpose」というタイトルで、「ひとつの志」「同じ志」すなわち「同志」を意味する。

 家庭連合でも「信者」という言葉はあまり使われないが、左翼的な匂いのする「同志」という言葉も使われない。家庭連合では信者のことを「食口」と呼ぶ。これは「シック」と発音するのだが、そのまま言っても一般的な日本人には通じない。読み方自体が韓国語である上に、漢字で表記しても意味は伝わらない。韓国語で「食口」とは家族のことであり、血統や生活を共にする仲間のことである。家庭連合の信者たちは真の父母のもとにあってお互いは兄弟姉妹であり、家族関係にあるという自覚を持っているので、親しみを込めて「食口」と呼んでいるのである。男性信者のことと「〇〇兄」「〇〇兄弟」、女性信者のことを「〇〇姉」「〇〇姉妹」と呼ぶこともある。これも同様に家族関係を基本とした人間関係になっているからである。こうした呼び方は家庭連合に限らず、一般のキリスト教にも見られ、韓国では一般のキリスト教でも信者のことを「食口」ということがあるようだ。これもまた、神のもとにあって人類は兄弟姉妹であるという思想に基づくものであろう。信者の呼び方ひとつにも、その宗教の思想や世界観が表れているものである。

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