『生書』を読む09


第四章 神の御指導

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第9回目である。今回から「第四章 神の御指導」の内容に入る。大神様が天地いっさいの神が天降られる生き神となられることについては、既に昭和19年3月に平井氏がご神託を受けてそれを直接大神様に伝えていたが、その時点では大神様はそんなつもりはないと否定された。ところが同じ年の5月4日になると、その前兆となる不思議な現象が起こり始めたのである。
「この日から自分以外の何かが、肚の中に入ったのであろう。肚の中でいろいろと、ものを言い出したのである。自分の意識は、はっきりしていて他のあるものが、肚の中で教祖に話しかけて命令するのである。」(p.48)

 大神様は最初その肚の中のものを邪神だと思い、それを落とそうとしたようである。肚の神様は自分のことを「とうびょう」と言われたので、平井氏にそのことを伝えると「蛇の性根のことだ。落としてあげよう。」と、とうびょう退散の祈念をやったが、効き目はなかったという。大神様の親戚にあたる寄林登喜氏は、大神様のことを心配して、津和野の神官で法力があることで有名な人がいるので、そこに行って落としてもらったらと進めたそうである。しかし、肚の神様は「日本国中、いや世界中わらじがけで探して歩いても、わしを落とす者はおりはしない。津和野の神主ぐらいで落ちるものか」と言ったという。このように、教祖に下った神様を、最初は素直に受け入れることができず、狐か狸の類ではないかと疑って落とそうとしたのである。

 この辺の展開は、天理教の教祖である中山みきの歩みとよく似ている。天理教の出発点は、中山みきに「元の神、実の神」と名乗る神が下り、「みきを神のやしろにもらいうけたい」と夫や家族たちに迫り、「もし不承知とあらば、この家、粉もないようにする」と言ったことにある。一度は承服した夫善兵衛であったが、これは神ではなくて単なる「憑き物」かもしれないと思い、狐憑きを落とす要領で松葉でいぶしてみたが、何の効果もなかったという。さらには村の役人仲間が憑き物を落とそうと荒療治をしたりしたが、効き目はなかった。神のやしろとなったみきは、中山家の財産をすべて売り払って貧しい人々に寄進しようとしたので、善兵衛はある日、刀を抜いてみきに迫り、「つきものならばさっさとおりよ。気が違っているなら正気に戻ってくれ」と叫んだという。それでもみきが折れなかったので、これは狐狸のしわざではなく、真実の親神であると受け入れたのである。このように、教祖に下った神は最初から歓迎されるのではなく、むしろ疑われ、疎まれ、迫害されるというプロセスを経ながら、次第に認知されていくのである。

 天理教も天照皇大神宮教も日本的一神教と言ってよい宗教であるから、その神はキリスト教的な絶対神、創造主に近い存在である。しかし、日本の宗教伝統にはそのような神のカテゴリーはないので、周囲の人々には理解できず、邪神か狐であろうと思って、お払いによってこれを落とそうとしたという共通の反応がここには見られる。

 『生書』に描かれている肚の神様は、なかなか面白いキャラクターである。ビタミンやカロリーの話をしながら近代的栄養料理を教えてくれたり、「水をかぶるばかりが行じゃない。水をかぶるのが行じゃったら、川の魚はみな天に上るはずじゃが、一生涯川にいても天に上れるんじゃない。」(p.53)というような頓智の聞いた話をする存在である。しかし、この時点で天照皇大神宮教の教えの中核的な部分は既に啓示されている。それはポイントだけ列挙すれば以下のような内容である。
①「しんこう」とは信じ仰ぐのではなくは、「神行」(神に行く)と書き、魂が清らかになって神に行くことを言う。
②神の肚と人の肚が正しく合うことを「合正」(がっしょう)と言う。
③少し名のある女が天から法の連絡をとって結するお経を「名妙法蓮華結経」と言う。
④神を知らない世俗の人々は蛆の乞食である。
⑤神行の目的は真人間になることである。

 肚の神様に出会うことによって大神様に訪れた変化は、人格の変容であった。これはいわゆるシャーマン型の教祖にはよくあることで、憑依しているときには人格が変わるのである。「自分の体でありながら、自分の意志どおりにならなくなった」(p.53)という言葉がその状況を端的に物語っている。もともと人間としての北村サヨ氏は非常に礼儀正しい謙虚な人であった。しかし、肚の神様が入ってからは、悪口は口に出し放題、旧知や肉親の人でも、肚の神様が気に入らなければにらみつけて挨拶もせず、立ち話もしなくなり、人を呼ぶのに「さん」とか「様」とか敬語を使わなくなったのである。そういえば、大神様が総理大臣に向かって「おい、岸!」と呼び捨てにした話は有名である。

 そればかりではなく、たいていの人に向かって「蛆の乞食」「ほいとの乞食」「国賊の乞食」とか呼ぶようになったのである。このように上から目線で人に対するようになるのは、神と一体となった時のカリスマ的教祖がもつ共通した特徴であると思われる。「北村さんは信仰にのぼせすぎて、神経(気違い)になった」というのがもっぱらの評判になったようで、これには人間としての北村サヨ氏は非常に悩み、いっそのこと腹かっさばいて死のうとまで思ったようである。

 大神様はある朝、青物集荷場に行かれ、上の方によい品を揃え、下の見えない所には悪い品を隠して積んである野菜を、片っ端からひっくり返して歩かれた、という話が出てくる。不正を働いている商売人や百姓に対してこっぴどく怒鳴られたということである。この物語の真偽を疑うわけではないが、これもまたキリスト教の『新約聖書』の「宮清め」の出来事を彷彿とさせる物語である。以下にその部分を引用する。
「それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。」(マルコ11:15-18)

 この物語において、イエスが宮清めを行った理由は、神殿は本来は祈りの場であるべきなのに、商売の場にされてしまっていることに対する怒りであった。すなわち宗教的な動機ということになるが、大神様の怒りはより道徳的なものであり、商売の不正に対する怒りであった。しかし、イエスの物語においても、神殿の中でなされる商売が利権とつながっており、神殿の礼拝に必要なものを販売する売り場では、いけにえの動物や鳥などが市価よりも高めに売られており、両替の手数料も割高に設定されていたので、「宮清め」の動機にはそれに対する怒りも含まれていたと言われている。その意味では、この二つの物語には共通点があるのである。

 大神様が人々に対して「蛆の乞食」「ほいとの乞食」「国賊の乞食」などど上から目線で悪口を言うようになったという話も、イエスの律法学者やパリサイ人たちに対する暴言ともいえる非難と共通するところがある。
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈りをする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。」(マタイ23:13~17)
「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。あなたがたもまた先祖たちがした悪の升目を満たすがよい。へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。」(マタイ23:29~33)

 常識的には、イエスはかなりひどいことを言っていることが分かる。しかし、それを通して聖書が言いたいのは、イエスが非人格的だったということではなく、偽善者に対する神の義憤がイエスの口を通して語られているということだった。「蛆の乞食」にしても、「へびよ、まむしの子らよ」にしても、神の視点からこの世の人々を見たときに、どのように見えるのかを率直に表現している言葉であり、世俗的な観点から「暴言だ」とか「失礼だ」とかいう評価を超えた次元の発言である。教祖の言葉とは、まさにそのようなものであろう。

カテゴリー: 生書 パーマリンク