書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』164


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第164回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されているが、最初に中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータで示している。先回は入信から献身までの年数を櫻井氏と中西氏のデータで比較し、さらに中西氏による献身および入信から祝福を受けるまでの年数の分析を紹介した。今回は、祝福を受けた年、祝福時の年齢、祝福から家庭出発までの年数(聖別期間)に関する分析を扱うことにする。これらに関する統計的なデータは櫻井氏の研究対象に対しては行われていないので、中西氏のデータのみを扱うことにする。なお、これは櫻井氏の怠慢というわけではなく、櫻井氏の調査対象は脱会者であり、祝福を受けて家庭を出発するという段階に至る前に教会を離れている者が多いため、統計的なデータを取る項目としては適していないことに原因があると考えられる。

 初めに中西氏は最初の祝福がこわれた6名の経緯を説明している。この女性たちは、今の祝福が2回目であるということだ。1回目の祝福は、5人が相手から断られており、1人は家庭出発前に相手が亡くなっている。6人とも自分から断ったのではないというのは事実であろう。信仰的な日本人らしいデータである。中西氏は、「祝福の相手は『人間の意思や選択の範囲を越えて、神様がすでに備えている』(日本の統一教会ホームページ「祝福の意義と価値」(現在は閉鎖))とされるが、やはり断られることはあるようである。」(p.458)と皮肉めいた書き方をしているが、どうやら彼女は『原理講論』の予定論の理解が不足しているようである。

 「人間の意思や選択の範囲を越えて、神様がすでに備えている」というのは、神が予定されているという意味である。『原理講論』では、神のみ旨は絶対的であるが、「み旨成就は、どこまでも相対的であるので、神がなさる95パーセントの責任分担に、その中心人物が担当すべき5パーセントの責任分担が加担されて、初めて、完成されるように予定されるのである。」(前編・第6章「予定論」より)と説明されている。すなわち、祝福で特定の相手と結ばれることは神が予定されるのであるが、それが成就するかどうかは人間の責任分担によって決まるのである。

 特定の人物が歩む道に対する予定は、『原理講論』では「人間に対する予定」と表現され、以下のように説明されている。
「神は人間をどの程度にまで予定なさるのだろうか。ある人物を中心とした神の『み旨成就』においては、人間自身があくまでもその責任分担を果たさなければならないという、必須的な要件がついている。つまり、神がある人物を、ある使命者として予定されるに当たっても、その予定のための95パーセントの神の責任分担に対して、5パーセントの人間の責任分担の遂行を合わせて、その人物を中心とした『み旨』が100パーセント完成する、というかたちで、初めてその中心人物となれるように予定されるのである。それゆえ、その人物が自分の責任分担を全うしなければ、神が予定されたとおりの人物となることはできないのである。」(前編・第6章「予定論」より)

 神は一人の中心人物を立ててみ旨成就を予定するが、もしその人物が責任分担を全うすることができずに失敗してしまえば、他の人物を代理に立ててでも、その目的を成就しようとされる。この原理を祝福のマッチングに適用すれば、神は特定のカップルを相対関係として予定するが、二人のうちどちらかが個人としての責任分担を全うできずに教会を離れてしまったり、相対関係を受け入れられずに断ってしまった場合には、別の人物を代理に立てて、残された側の個人の祝福を全うしようとされるのである。したがって、神が予定した特定のカップルは、祝福を受けた双方が個人の責任分担を全うしたときに初めて、祝福家庭となることができるのである。

調査対象者の祝福年

 祝福年は、1992年(3万双)、1995年(36万双)が多く、それぞれ10名、12名いる。この二つの祝福では韓日カップルが多く出ているので、おのずと調査で出会う信者もこの年の祝福の人が多くなるというのが中西氏の分析だ。確かにこの二つの祝福では韓日カップルが多く出ているのだが、教会の歴史をよく知るものとしては、韓日祝福の数が飛躍的に伸びたのは1988年の6500双からであり、この時にも1526組の韓日カップルと1060組の日韓カップルが誕生しているはずである。その割合が中西氏のデータにおいて低いのはなぜかという疑問は残る。一つの推測として成り立つのは、中西氏が調査した場所が韓国の田舎を中心としていたことに原因があるということだ。

 6500双以前には、韓国農村男性の結婚難を解決するために日本人の女性信者と韓国人の農村男性のマッチングがなされることはなかった。なぜなら、この頃に祝福式に参加したのは信仰を持った教会員だけであり、花嫁を紹介するという形で韓国農村部の非信者の男性に祝福結婚を呼びかけるということは行われていなかったからである。こうしたことが行われるようになったのは3万双(1992年)以降であり、特に36万双(1995年)のときにはそうした傾向が強くなったと思われる。したがって、韓国の田舎で調査をすれば必然的に6500双(1988年)よりも3万双(1992年)や36万双(1995年)の比率が高くなるということである。

祝福時の年齢

 続いて祝福時の年齢であるが、25歳から27歳に集中していると分析されている。これは常識的な意味で結婚適齢期と言えるだろう。昨今は晩婚化が進み、日本人女性の平均初婚年齢はいまや29歳に至っているが、彼女たちの結婚した時代はいまよりも若い年齢で結婚する女性が多かった。とはいえ、28歳以降30代の後半に至るまでそれぞれの年齢で祝福を受けた者が1~2名いる。これは一般的な結婚適齢期を過ぎた女性に対しても祝福の機会を与えていることを意味する。

祝福から家庭出発までの年数

 続いて祝福を受けてから実際に家庭生活を始めるまでの年数がグラフで示されている。1年未満(0年)から5年までばらつきがあるが、一般常識からすれば結婚式を挙げてから数年も家庭生活を始めないというのは奇異に映るであろう。これは「聖別期間」というものが存在するためである。中西氏は以下のように説明している。
「統一教会では祝福を受けた後、夫婦が同居して結婚生活を始めるまで『聖別期間』が設けられている。ソウルなどで合同結婚式に参加した後、それぞれ帰郷、帰国して別居生活をする。基本は四〇日であるが、延長期間としてさらに三年延長する場合もある。厳密なものではなく、所属教会の都合あるいは祝福時の年齢によっても変わる。祝福時の年齢が高いと短くなる傾向がある。」(p.459)

 聖別期間が本来40日でありながら、なぜ数年にわたって延長する場合があるのかに関する中西氏の分析は表層的であり、そこに込められた宗教的な意義を理解しているとは言い難い。その点では、ジェームズ・グレース博士の「統一運動における性と結婚」の方がより本質をとらえていると言えるだろう。グレース博士によれば、マッチングを受けたカップルが数年の「聖別期間」を持つのは、①地上天国実現のためにカップルが捧げる犠牲であり、②神を中心とする結婚と家庭生活のための堅固な基礎を築くために、個人として霊的に成長するためであり、③祝福を受けた相手についてよく知るためであるという。特に国際カップルの場合には、個人として相手を知るだけでなく、相手の国の言語、文化、風習などに慣れて適応していくための期間が必要である。韓国に嫁いだ日本人女性の場合には、聖別期間中に日本で活動する期間に加えて、韓国での「任地生活」と呼ばれるものが一定期間設けられている。この「任地生活」は、韓国での生活に慣れながら言語や文化を学び、結婚生活を始める準備をするための期間であるとされている。こうした「聖別期間」は、意味もなく家庭の出発を延長されているのではなく、宗教的な意味があるのだということを中西氏は理解すべきであろう。

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