書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』159


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第159回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」

 先回まで「第8章 韓国社会と統一教会」の内容を扱ってきたが、今回から「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」の内容に入る。この章は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。前章の最後に中西氏は以下のように書いている。
「第九章では、在韓日本人信者そのものに迫ろう。入信・回心・合同結婚式への参加のパターンを見た上で、祝福家庭の形成過程、信仰生活や家庭生活の実態を見ていく。韓国での暮らしは経済的に楽な生活とはいいがたい。農村男性との祝福は上昇婚ではなく、下降婚である。しかも夫は結婚目的で統一教会に関わっただけで信仰はないか、あっても熱心ではない。韓日祝福の家庭は理想的とされながら実態はその逆といってもいい。それにもかかわらず、なぜ信仰を保ち続けていられるのか。これらについての答えを在韓信者の生活から探っていきたい。」(p.447)

 これはかなり野心的なテーマ設定である。韓国に嫁いだ日本人女性の置かれている外面的な生活環境を分析することは容易であるし、インタビューを行えば、彼女たちの夫婦関係や家庭生活について何らかの情報を得ることはできるであろう。しかし、「なぜ信仰を保ち続けていられるのか」という問いかけに対して、同じ信仰を持ったこともない人が答えを出せるのであろうか? 人はなぜ信じるのかという問いかけは、その人の内面を理解しなければならないが故に、他人が答えを出すのは難しい。自分が信じられないことを他人が信じる理由を見出そうとしても、本当の意味で納得するのは難しいであろう。

 アイリーン・バーカー博士は、「人はなぜムーニーになるのか?」という問いを立て、それに対する答えを見出そうとした。彼女は統一教会の伝道のプロセスである修練会に参加してみたが、自分自身が「入会したい」と思ったことは一度もなかったという。彼女は自分自身が信じることのできないその宗教に、他の人々はなぜ入るのかを理解しようとすることは、必ずしも不可能ではないという前提に基づいて研究を進め、ある一定の説明をしようと試みた。それでも彼女は、いかなる単一の説明も不可能であるし、実際、いかなる単一の説明も「誤っている」とも主張したくなると言っている。人がある宗教を信じる理由を第三者が説明するのは非常に困難であり、過度な一般化はできないことわきまえているからである。たとえ多くの人にインタビューをしたとしても、その情報を自分なりの尺度によって取捨選択したり、一方的な解釈をしてしまう危険が常につきまとうのである。中西氏の分析がそうした罠に陥っていないか、チェックしながら第9章を読み進めることにする。

 第9章の最初の部分では、在韓日本人信者の入信・回心・合同結婚式への参加のプロセスが、インタビューに基づくデータ分析という形で示されている。櫻井氏が第Ⅱ部において脱会信者に対する分析を行っているので、現役信者のデータを分析することによって両者を比較対照しようというわけだ。中西氏は在韓日本人信者の属性について以下のように述べている。
「調査では何人もの信者に会って、生い立ちや統一教会との出会いから現在の生活に至るまでについて聞き取りをしたが、特筆するような剥奪状況にあった人はおらず、およそ平均的な家庭環境で生まれ育ってきているという印象を持った。親に対する不満、父母の不和、家があまり経済的に豊かでなかったという話なども聞かれたが、そのような点は程度の差こそあれどこの家庭にもあることであり、現役信者が脱会者よりも家庭的に恵まれなかったとはいえない。第六章で指摘されているように、筆者が韓国で聞き取りをした現役信者達も『育ちのよい素直な青年』といっていい。」(p.449)

 このような統一教会信者の特徴は、アイリーン・バーカー博士の研究とも一致していて面白い。中西氏が「剥奪状態」を見出そうと試みたのは、伝統的に日本で新宗教に入信する人のニーズは「貧病争」であると言われてきたためである。しかし、このような入信のニーズは比較的古いタイプの新宗教に典型的なものであり、それは日本がまだ貧しく、社会福祉も十分に整っていなかった時代に庶民が宗教に救いを求めたのからであるとされる。しかし、高度経済成長期以降(1970年代以降)に教勢を伸ばした新宗教は必ずしもこのパターンには当てはまらず、もっと精神的・倫理的なニーズで宗教に入信する人が多くなったと言われている。これは日本が経済的に発展し福祉制度が充実したことにより、「貧病争」の解決に必ずしも宗教が必要なくなったという時代背景も関係している。統一教会が台頭してきたのも1970年代以降であるから、入信の動機も「貧病争」に代表される剥奪状態によっては説明できず、もっと精神的な動機によるものだということである。

 中西氏は調査対象者の基本的属性として、細かいデータを提示している。これらのデータそのものには基本的に誇張や歪曲はないと思われる。聞き取りをした現役信者は38名で、女性が35名(92%)で男性が3名(8%)であったという。女性が極端に多い理由は、①そもそも日韓祝福よりも韓日祝福の方が数が多い、②日韓祝福の家庭は日本で暮らす傾向にある、③男性信者はソウルに偏っており、農村部には少ない――などの理由を挙げているが、これらは合理的な説明であると評価できる。

 青年/壮婦の分類は脱会者とは異なり、壮婦は1名だけで、あとの37名は青年だったという。(壮婦の1名も伝道されたときには離婚しており、子供はいなかった)これはある意味で当然である。通常、統一教会で「壮婦」と呼ばれる人々は、教会に伝道される前に既に結婚して配偶者を持っている人々のことを指す。彼らが祝福を受けるときは、すでに結婚している相手との関係を神に公認してもらうための「既成祝福」となるので、壮婦の中に韓日家庭や日韓家庭がいることは滅多にない。たまたま国際結婚をしていた韓国人と日本人のカップルが伝道されることがあったとしても、数においてそれほど多くはないであろう。日本人と韓国人のカップルは基本的にマッチングによって成立するのであるから、韓国で生活する日本人妻が伝道されたときには未婚であったのは当然である。1名の壮婦は例外的存在であり、むしろ離婚歴のある高齢の独身青年と考えた方がよいであろう。

 生年は1960年代生まれが22名で58%を占め、1970年代生まれが10名で26%を占める。これらを合計すると84%を占めるが、この年代が多いのは「1980年代に勧誘・教化システムが確立されたことと無関係ではないだろう」(p.450)と中西氏は分析している。これには異論がある。

 そもそも統一教会の伝道方法が確立されたのは1980年代ではない。1960年代から70年代にかけては、その時代なりの伝道方法がすでに確立されていたのであり、時代によって方法が変化しただけである。1980年代からビデオによる原理講義の受講システムが導入されたことによって、伝道の効率が高まり、より多くの人が伝道されるようになったことは事実であろう。本書の中で櫻井氏は、「統一教会の修練会に多数の若者が参加していたのは、一九八〇年代末まで」(p.96)であり、このころが宣教活動のピークであったと分析している。1960年代生まれの人が1980年代には20代となり、統一教会が布教対象とした年齢層と一致するというのは当たっているので、基本的にこの時期に伝道された人に1960年代生まれが多いというのは理に適っている。

 しかし、中西氏の調査対象が韓国在住の日本人信者であるという属性に着目すれば、より直接的な原因が浮かび上がってくる。実は1950年代以前に生まれた人の割合が低い理由は、祝福を受ける年齢と韓日祝福が本格的に始まった時期との関係によって説明できるのである。中西氏自身が説明しているように、韓日や日韓のマッチングは6500双(1988年)で本格化した。それ以前は日本人と韓国人の組み合わせは少なく、韓国人同士、日本人同士が多く結婚していたのである。日本人と韓国人のマッチングが大量になされ始めたのが1988年であり、統一教会において祝福を受ける年齢層は20代後半が中心であることを考えると、6500双で韓日・日韓祝福を受けた人々は1960年代生まれが中心であり、それ以降の3万双(1992年)、36万組(1995年)から1970年代生まれが入ってくるということは容易に推察できるのである。すなわち、生年の分布と最も相関関係の強い要因は、韓日祝福が本格化した時期ということになる。

 中西氏がこの調査をおこなったのは2001年ごろであるから、現在この調査を行えば当然違った数字となり、1980年代や1990年代に生まれた者の割合が増加していることであろう。韓日祝福は1995年以降も継続しており、特に最近は祝福二世が韓日祝福を受けて渡韓し、韓国で生活しているケースも増えているからである。

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