神道と再臨摂理シリーズ09


 仏教が日本に受容される過程において、土着の信仰である神道としだいに融合していき、神と仏を一緒に祀るようになった現象を、「神仏習合」といいます。

<神身離脱説>
 神仏習合は、思想的にいくつかの段階を経て進行していきました。最初の段階が「神身離脱説」です。言葉の意味としては、神は「神身」を離れて仏に帰依し、迷いから逃れたいと思っている、ということです。これは仏教側が日本の土着の信仰である神道を取り込もうとして説いた教説であり、「神は輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、仏教によって救済される」という考え方に基いています。こうした考えに基づいて、8世紀ごろから神社に付属して「神宮寺」という仏教寺院が建てられるようになりました。一つの敷地の中に、神社とお寺が両方あるということです。

<本地垂迹説>
 次の段階が、「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」です。「本地」とは本体あるいは原型という意味で、「垂迹」とは化身あるいは変形という意味です。これは平安時代中期に出現した、仏と神の関係に関する新しい解釈であり、「日本古来の神々は、仏が衆生救済のために姿を変えて顕われた存在である」ととらえました。すなわち、「本来は仏であったものが、日本人の前では神に形を変えて現れて、仏教が伝来する前から信仰されていた。したがって、仏教と神道は根本は同じである」という理論構築をしたのです。ここでは、「神身離脱説」に比べて、日本の神々の位置が高められていることが分かります。

 「本地垂迹説」では、例えば八幡神や熊野神は阿弥陀如来の仮の姿であり、伊勢神宮は大日如来の仮の姿であるというような解釈がなされました。

図09-1

<神仏習合の象徴としての八幡神>
 八幡神は神仏習合の象徴的な神様であると言えます。八幡神を祀った神社といば、大分の宇佐美八幡宮、京都の石清水八幡宮、神奈川の鶴岡八幡宮などが有名ですが、実は神社数の多い祭神ランキングでは、上記の表に記載されているように、この八幡神が7817で断トツのトップなのです。

 このように神社数トップの八幡神なのですが、実は神道の神様としては八幡神は不思議な神様なのです。八幡神は、神典の中でも「記紀二典」としてとりわけ重視されている『古事記』と『日本書紀』のなかに全く登場しないのです。中心的な経典に登場しない神様でありながら、最高神とされている天照大御神をはるかに上回り、神社数トップというのはそれだけで不思議なことです。

 八幡神は、日本に土着の神ではなく、渡来系の神であると言われています。新羅の国の神を祀っていた渡来人が、宇佐に八幡神を祀るようになったという説が有力です。そして聖武天皇が奈良に大仏を建立するとき、巫女を通して「私が大仏建立を完成させる」という託宣を下したのもまた八幡神です。大仏建立という国家的事業を支える役割を八幡神が果たしという話なのですが、要するに神道の神でありながら、仏教による国家づくりの中心的な役割を果たしたということなのです。

 その意味で、八幡神は神仏習合の象徴的な神様であると言えます。8世紀末から「八幡大菩薩」と呼ばれるようになり、神道の神であると同時に仏教の菩薩の役割を果たすようになりました。そして武家が台頭すると、「武神」として崇められるようになりました。

<仏家神道>
 神仏習合により、さまざまな仏教伝統と神道が融合することになりますが、これらを「仏家神道」と呼びます。代表的な仏家神道を挙げると以下のようになります。
①両部神道(真言宗):真言密教の教理から神道を説明
「両部」とは「金剛界」と「胎蔵界」を指します。伊勢神宮の内宮・外宮の祭神は大日如来と同一であると解釈しました。
②山王神道(天台宗):比叡山延暦寺の鎮守である日吉大社で形成
祭神である大己貴神、大山咋神、田心姫神の本地仏はそれぞれ、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来であるとされました。
③法華神道(日蓮宗):天照大御神と八幡大菩薩を曼陀羅の中に勧請
神々は仏法を擁護するものと解釈され、「法華三十番神」という信仰を生み出しました。これは30柱の神々が一か月の間、毎日交代で「法華経」を守護するという思想です。

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