ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳71


第8章 未来:いくつかの個人的考察(2)

 祝福家庭の大半が定着した際には、統一運動は多くの変化を経験し、そのすべてがこの注目に値する新宗教に新たな課題をもたらすであろうと私は確信する。最初の課題は、統一運動がその目標を達成するためにどのように機能するかに関することである。それがより効果的に奉仕するために、お互いに別居する意思のあるカップルたちを擁するグループであり続ける限りは、教会は比較的大きな組織的柔軟性を保障されている。例えば、文師は1978年にその多くが小さな子供を持つ既婚女性たちを、全米の大学キャンパスで一年またはそれ以上にわたって奉仕するために、家族のもとを離れるよう招集したが、これによって運動はその最も成功したプロジェクトの一つであると信じるCARPを立ち上げることができた。祝福家庭が定着したときには、このような組織的融通性は必然的に過去のものとなるであろう。そのとき、大半の統一教会のカップルは彼らの使命を主に三つの観点から解釈する方に大きく傾くのではないかと私は私は思う。すなわち、運動関連のビジネスにおける彼らの職業、ホーム・チャーチに対する責任、そして神を中心とした家庭を築くことに対する彼らの欲求である。

 新宗教運動としての統一教会の顕著な特徴の一つは、世界救済のためのその多数かつ多様で斬新なプロジェクトに人材を配置し実行するために、人的資源を迅速かつ効果的に動員する能力であったことは留意すべきである。ある観察者たちは、そのような効果的な資源の動員は統一教会の1970年代の数的成長と経済的繁栄に大きく貢献したと信じているが、文師とその他の教会の指導者たちは「結婚後の別居」を終わらせたいという祝福家庭の欲求をいつまでも無視し続けることはできないであろう、と私は主張したい。既婚カップルの別居がこれから数年以上続いたならば、リーダーが指示する夫婦の絆を破壊するようなさまざまな使命を既婚メンバーが拒否する傾向が増大するか、過去数年にわたってその会員数が変わらないままであるグループにとってさらに破壊的なこととしては、大規模な祝福家庭の離脱といった事態を統一教会が経験するようになると私は予想する。

 したがって、これから5年もしくは10年のうちに大半の家庭における結婚後の別居は最終的に終了し、この変化が統一運動がアメリカ社会に順応していくより一般的な傾向の最も顕著な特徴となるであろう、と私は信じる。その推移は19世紀のモルモン教徒によってなされたものと大して違わないであろう。ユタにおける草創期とそれ以前には、カップルは男性が世界中で宣教活動をしている間、しばしば10年に及ぶ別居を経験した。これらの「結婚後の別居」は、統一運動と同様に、信仰のために必要な犠牲であると末日聖徒たちに解釈されていた。しかしながら、やがてモルモン教徒たちの別居は完全に終了し、今日ではモルモンの若者たちが結婚する前に2年間教会のために奉仕する実践としてのみ残っている。たぶん、統一運動において生じるパターンも、モルモン教と同様に、独身メンバーが祝福を受ける前の人生の数年間を、運動の使命のために全面的に捧げるものになるであろう。

 統一運動においておそらく起きるであろう二番目の大きな変化もまた、祝福家庭の定着と関連している。「結婚後の別居」の停止によって、各カップルは日々の生活の中で夫婦関係を育て維持するという課題に直面するようになる。したがって、彼らが「普通の」結婚生活と密接に関わる中で生じてくる問題と機会の両方に直面するとき、彼らの結婚と文のマッチメーカーとしての能力を試す正念場が来ることを、彼らは疑いなく発見するであろう。既婚者が一時的に別居するときに直面する困難も存在するが、長期間にわたって一緒に生活するというより日常的で平凡な経験に伴う問題は、それとは非常に異なるものであり、ある意味でより難しいものである。そしてこれは特に統一教会のカップルにとっては真実であると私は思う。彼らの多くは結婚して数年になり子供たちもいるが、親密さという意味ではいまだにお互いをよく知らないのである。仲たがいや離婚をもたらすのは結婚「そのもの」ではなく、むしろ二人が一緒に生活する際のより日常的な条件であることを、彼らは疑いなく発見するであろう。

 一緒に暮らす経験によって祝福家庭の間に夫婦間の問題が増加し、その結果として統一教会における離婚・放棄率が上昇するのではないかと私には思える。しかしながら、理想家庭を築くことに対する統一教会信者たちの献身と、運動がカップルに対して共同体的で経済的な支援を提供し続けるであろうという事実を前提とすれば、結婚が破綻する率がより広範なアメリカ社会に近づくということはあり得ないであろう。

アメリカにおける結婚の未来

 この先20年間に祝福家庭に実際に何が起きるかは、統一運動にとっては非常に重要ではあるものの、主流のアメリカ社会における結婚に対する直接的なインパクトは、もしあったとしても非常に小さなものであることは、私には非常に明らかである。私にとって重要なのは、統一教会の特定の結婚に関する実践ではなく、むしろこのグループの神学的理想と結婚に対する一般的な視点である。彼らの視点は、何らかの狭くて文字通りの意味においてではなく、そこから今日のアメリカの典型的な結婚、とりわけ主流の宗教的信仰の脈絡の中における結婚に対するアプローチにあまりにも深く染み込んでいる価値観を分析し批評するような、興味深くて重要な視点を提供しているという点で重要である。

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