書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』144


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第144回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は本章における「一 問題の所在」の「3 韓国における統一教会研究」において、先行研究について簡単に述べたうえで、日韓の統一教会研究の違いとして、「脱会者や現役信者に聞き取り調査をし、多面的に研究したものはない。しかし、統一教会を新宗教あるいは異端研究として実態を捉えた研究は数多く見られる」(p.406-7)「日本で見られるような反統一教会の立場にある弁護士や元信者などによる批判的な書物や、脱会信者、現役信者に聞き取り調査をし、社会学的視点から分析を試みるような研究は見られない。」(p.407)と日韓の違いを分析している。これはごく簡単な比較にすぎないのだが、統一教会に対する批判的著作をテーマごとに整理するのは有意義な作業であると思われるので、ここで日韓だけでなく、欧米の状況も踏まえて分析を試みることにする。

 中西氏の記述を踏まえて、統一教会自身およびその信者が出版している書籍を除いて、統一教会について扱った書籍を便宜的に以下の三つのカテゴリーに分けることにする。
①伝統的なキリスト教信仰に基づき、統一教会の教義・神学を批判または評価したもの
②元脱会者や統一教会に反対する人物または勢力が主にその実態について批判したもの
③中立的な立場に立つ学者が、学問の対象として統一教会を客観的に研究したもの

 そのうえで、それらのカテゴリーに属する文献が欧米、日本、韓国においてどの程度存在しているかを私の分かる範囲で分析することにする。

1.伝統的なキリスト教信仰に基づき、統一教会の教義・神学を批判または評価したもの

 欧米でも伝統的なキリスト教会から統一教会は異端視されているわけであるから、当然キリスト教神学の立場からの批判的書物や文献は存在するであろう。私はこれらを詳しく調べたわけではないが、アイリーン・バーカー博士の『ムーニーの成り立ち』にはこうした文献が紹介されている。
①アグネス・カニングハム、J・R・ネルソン、W・L・ヘンドリックス、J・ララ・ブランド「『原理講論』に明記されている統一教会神学の批判」米国キリスト教協議会・信仰と職制委員会の公式研究文書、10027、ニューヨーク州ニューヨーク市リバーサイド・ドライブ475番、1977年。
②H・リチャードソン(編)『統一教会に対する10人の神学者の返答』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1981年。M・D・ブライアント(編)『統一神学に関するヴァージン・アイランド・セミナーの議事録』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1980年。(「ムーニーの成り立ち」第3章、注12)

 その他、多数の文献が同章の注32においても紹介されているが、タイトルから見てもそれらは統一神学を一方的に非難するという内容ではなく、むしろ統一神学と既存のキリスト教神学の対話や、統一神学の肯定的評価を目指したものであると思われる。上述のH・リチャードソン(編)『統一教会に対する10人の神学者の返答』を私は神学校時代に英語で読んだが、いわゆる批判本ではなく、統一神学をかなり高く評価していた。これらの文献に関する詳しい情報は、以下を参照のこと。
http://suotani.com/archives/763
http://suotani.com/archives/814

 また、私が神学校時代に出会った以下の二冊も、既存のキリスト教信仰を持つ神学者が統一神学について肯定的な評価をした書物の部類に入る。
・セバスチャン・A・マチャック『統一主義:新しい哲学と世界観』ニューヨーク、ラーンド・パブリケイションズ、1982年。
・フレデリック・ソンターク『文鮮明と統一教会』ナシュビル、アビンドン、1977年。
(ちなみに後者は、1979年に邦訳が世界日報社から出版されている:http://www.chojin.com/history/sontag.htmを参照のこと。)

 日本では、キリスト教関係者が統一教会の神学を肯定的に評価したものはほとんど存在しない。むしろ、福音主義の立場にせよリベラルな立場にせよ、統一教会が異端で間違いであることを徹底的に論じたものが多い。日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師によるものがその先駆けであり、『統一教会のまちがいについてー原理福音・勝共運動』(1966)、『統一教会からまことのメシヤへ;原理講論のまちがいをただす』(1986)などが代表的な批判本である。森山氏は福音主義者だが、リベラルな立場としては、東北学院大学名誉教授の浅見定雄氏による『統一協会=原理運動―その見極めかたと対策』(1987)などが代表的だ。非主流のキリスト教からの批判としては、セブンスデー・アドベンチスト教会名誉牧師の和賀真也氏による『統一協会―その行動と論理』(1988)などがある。その他にもあるだろうが、スペースの関係でこの程度にしておく。

 韓国における神学的な批判本は、中西氏が紹介した卓明煥の著作『統一教、その実相――文教主説教集「マルスム」批判』(1978)と『改定版韓国の新興宗教 基督教編第一巻』(1992)、イ・デボク『統一教原理批判と文鮮明の正体』(1999)などを挙げることができるだろう。

2.元脱会者や統一教会に反対する人物または勢力が主にその実態について批判したもの

 欧米における脱会者の手記として有名なものは、A・T・ウッドとジャック・ヴィテック『ムーンストラック:あるカルトでの生活回顧録』(1979)があり、『ムーニーの成り立ち』の中でも紹介されている。このほかにバーカー博士が同書の脚注において紹介しているもには、C・エドワード『神に夢中』(1979)、C・エルキンズ『天的欺瞞』(198年)、E・ヘフトマン『ムーニーたちの暗部』(1983)、スーザン・スワトランドとアン・スワットランド『ムーニーたちからの逃亡』(1982)、アンダーウッドとアンダーウッド『天国の人質』などがある。(第5章注18より)

 邦訳されたスティーヴン・ハッサンの『マインド・コントロールの恐怖』(日本語版:1993)はマインドコントロールの理論書の体裁を取りつつも、元統一教会信者の暴露本としての性格も持っていると言ってよいだろう。西洋における反対勢力による書物を列挙するのは容易でないが、バーカー博士が「図書館のいくつかの棚には、(おもに元会員と福音派のクリスチャンたちによって書かれた)書物がいっぱいに並べられ、新しい運動のさまざまな悪、特に、会員たちに対する悪なる管理について語っている。(「ムーニーの成り立ち」第10章、結論より)と述べているように、膨大な数に上ると思われる。

 日本における脱会者の手記として有名なのは、山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(1994)、南哲史『マインド・コントロールされていた私―統一協会脱会者の手記』(1996)などが個人の著書としてあり、青春を返せ裁判(東京)原告団弁護団 の著作に『青春を奪った統一協会―青春を返せ裁判(東京)の記録』(2000)などがある。統一教会に反対する個人や勢力による著作も枚挙にいとまがないが、萩原遼、茶本繁正、有田芳生、山口広、郷路征記、杉本誠、川崎経子、パスカル・ズイヴィなどの著作を上げることができるだろう。以下のサイトはこうした「反対派文献」の目録のようになっている。
http://www.geocities.jp/bonnppu/page010.html

 韓国における著作で「脱会者の手記」と呼んでよいものの一つが、朴正華『野録 統一教會史』(1996)であろう。反対勢力の本に関しては、すでに述べたものと重なり、神学的批判と実態の批判が混然一体となったものが多い。

3.中立的な立場に立つ学者が、学問の対象として統一教会を客観的に研究したもの

 欧米における客観的な統一教会研究で代表的なものは以下である。
①Eileen Barker, “The Making of A Moonie: Choice or Brainwashing?”(1984)。これまで何度も紹介してきたバーカー博士の『ムーニーの成り立ち』である。
②George D Chryssides, “The Advent of Sun Myung Moon: The Origins, Beliefs and Practices of the Unification Church”(1991)。この本は『統一教会の現象学的考察』というタイトルで邦訳されている。(訳者:月森左知 出版社:新評論、1993)
③Massimo Introvigne, “The Unification Church: Studies in Contemporary Religions, 2”(2000)。この本の日本語訳は存在しない。
④James H. Grace, “Sex and marriage in the Unification Movement”(1985)。私がこのブログの土曜日のシリーズで紹介している祝福と結婚に関する社会学的研究。

 日本における客観的な統一教会研究は希少だが、塩谷政憲氏の以下の三つの論文がある。
・「原理研究会の修練会について」『続・現代社会の実証的研究』、東京教育大学社会学教室(1977)
・「宗教運動をめぐる親と子の葛藤」『真理と創造』24(1985)
・「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」森山清美編『近現代における「家」の変質と宗教』 、新地書房(1986)

 渡邊太氏の以下の二つの文献も、どちらにも与しない中立的な立場である。
・「洗脳、マインド・コントロールの神話」『新世紀の宗教』宗教社会学の会編(2002)
・「カルト信者の救出――統一教会信者の『安住しえない境地』」『年報人間科学』第21号(2000)

 本書、櫻井義秀、中西尋子『統一教会 日本宣教の戦略と韓日祝福』北海道大学出版会(2010)は、学問的な体裁を取ってはいるが、中立的な立場の本ではなく、内容面からは反対勢力による批判本に分類される。

 米本和広氏による『我らの不快な隣人』(2008)は、学問的な著作ではなくルポルタージュに分類されるが、立場は中立的である。

 韓国においては、少なくとも客観的で価値中立的な学者が統一教会について研究した著作は、私の知る限りにおいては存在しない。

 以上を総合的に評価すれば、欧米が最もバランスが良く、批判的なもの、好意的なもの、中立的なものがそろっている。特に学問的研究においては欧米が最も進んでいると言っていいだろう。次いで日本だが、客観的で価値中立的な研究は欧米に比べれば少ない。韓国には、宗教的動機による神学と実態の双方に対する批判本しか事実上存在しないと言ってよいだろう。

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