実況:キリスト教講座22


キリスト教と日本人(10)

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 このようにキリスト教に対する風当たりが強くなる中で、非常に不幸な事件が起こります。これが1891年におきた、「内村鑑三不敬事件」と呼ばれるものです。内村鑑三は明治期の代表的なキリスト教徒で、アメリカにまで留学した人でありますが、最初になぜ有名になったかというと、この「不敬事件」で有名になります。不敬事件とはいったい何であるかというと、当時、天皇陛下の教育に関するお言葉として「教育勅語」というものが発布されて、それがこのような一枚の紙に記されて、さらにこれは玉璽といって天皇陛下の印鑑ですね。そしてこの「睦仁」というのは明治天皇の宸署、すなわちサインです。このようにありがたい教育勅語に、天皇陛下直筆のサインの入ったこのような紙が額に入れられて、学校の講堂に掲げられて、そしてその明治天皇の宸署の前で、全校生徒ならびに職員一同が深々と敬礼をするという愛国的行事が、教育の一環として行われたわけです。これは全国で行われました。

 内村鑑三は東京の一高というところで教師をしていたんですが、なんと内村は全員が深々と頭を下げているときに、彼だけは敬礼を拒否して頭を下げなかったわけですね。何故彼が頭を下げなかったかというと、別に天皇陛下を冒涜しようと思ったわけではなくて、この拝むという行為が、礼拝に当たるのではないかと危惧されたわけです。すなわちモーセの第一戒、「汝の創造主である神以外に何者も神としてはならない」ということで、唯一神である神以外のものは一切礼拝してはならないというキリスト教の大原則、その良心に基いて、「これは礼拝行為ではないのだろうか。私にはそれはできない」ということで躊躇して、頭を下げなかったということなのです。

 しかしこれが、周りの人々から目撃されて、「何で彼は天皇陛下の宸署に対して頭を下げないんだ! 非国民だ! 不敬罪だ!」ということで、大騒ぎになったわけです。そして、「何故彼は頭を下げなかったのか? それはクリスチャンだからだ。そもそもクリスチャンというやつらは非国民なんだ」という議論が始まってしまいました。これがキリスト者の忠誠に関する国家的次元の論争にまで発展して、いわゆるナショナリズムの復活の中で、キリスト教は一種の「スケープゴート」のような役割を担わされるようになってしまったわけです。「スケープゴート」って分かりますか? 集団が一体化するときに、「あいつは悪者だ!」と言えば、みんながそれを憎むことによって一体化できるじゃないですか。そういうときに悪者にされる役割のことを「スケープゴート」と言います。ですからこのときは、愛国心を鼓舞するために、キリスト教徒を悪者にすることによって、みんなが一体化していったわけです。また、1903年、日露戦争勃発の直前に、内村は戦争に反対いたします。
 
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 これは、当時のプロテスタントの人口の増え方を示したグラフです。ちょうど、内村鑑三不敬事件が起こったあたりから、伝道の伸びが鈍っています。すなわち、伝道不振の時代というものが始まったということです。

 それではこの内村という人物はどんな人物なのかというと、天皇陛下の宸署に対する敬礼を拒否したということで、左翼的な人物で、愛国心がないのかというと、そうではなくて、実はとても愛国的な人だったんですね。誰よりも日本を愛する人でありました。内村のモットーはよく「二つのJ」という言葉で表現されます。

 「私は二つのJを愛する、それはJesusとJapanである。」

 Jesusを愛するということの中に、キリスト教徒としてのアイデンティティが表現されており、Japanを愛するということの中に、愛国心が表現されていて、これを如何に一致させるかということが、内村が生涯かけて求めた内容だったわけです。彼の聖書の背表紙に生涯書かれていて、最後にお墓に刻まれた言葉がこの有名な言葉です。

内村鑑三の墓標

I for Japan       (われは日本のため)
Japan for the World   (日本は世界のため)
The World for Christ  (世界はキリストのため)
And all for God     (そしてすべては神のため)

 私は日本の為に生きるということは、日本のために命を棄てても惜しくないくらい日本を愛しているわけです。ところがそれは、日本一国だけがよければよいという自国中心のナショナリズムではなくて、日本は世界の為に生きてこそ、その使命を果たし、神の愛を受けることができるんだということです。さらに、世界はキリストのため、そしてすべては神のためというように、愛国心というものは縦的につながっていかないとならないんだということです。このように、キリスト教信仰と愛国心を如何に一致させるかということを、とっても難しいテーマでありましたけれども、生涯かけて求めた人が内村という人でした。

 内村は「日本の天職」という考えを持っていて、実はお父様のみ言葉や『原理講論』の中で述べられている内容と非常に似たような歴史観を持っています。彼は文明が西へ西へと進んでいくという、「文明西進説」という考えを説いています。彼の言葉を引用してみましょう。

「古来より今日に到るまで文明は常に西に向って進み地球運動の方向正反対に向かい西行するものなることは歴史家ならびに哲学者の時々発表せし持論なり。」

 彼はその例として、米国独立時代の政治家ジョン・アダムス、イタリア人ガリアン(1728~1787)、経済学者アダム・スミス(1722~1790)、18世紀中ごろの紀行者ボルナビーなどを挙げています。(『内村鑑三選集』第二巻 p.10より)

「文明はアジアにおいて始まり、東と西の両方に向かって流れて行った。西に向かった流れはバビロン、フェニキア、ギリシア、ローマ、ドイツ、イギリスと進み、アメリカの太平洋側で最高点に達し、そして今日本に到達した。西洋の世界文明に果たした主要な貢献は、自由と自立の精神である。文明の第二の大きな流れは、インド、チベット、中国を通って、北京の満州宮廷に達した。この東洋文明の流れは、西洋において著しく欠けている相互依存と調和を特徴としている。」

「日本は東洋ならびに西洋の中間に立つものにして、両洋の間に横たはる飛石(ステップ・ストーン)の位地に居れり…日本国は、その一方を西洋文明の粋を受けつつある所の米国に向け、右手を以て欧米の文明を取り、左手を以て支那ならびに朝鮮にこれを受け渡すの位地に居るが如し、日本国は実に共和的の西洋と君主的の支那との中間に立ち、基督教的の米国と仏教的の亜細亜との媒酌人の地位に居れり。」 (『内村鑑三選集』第二巻 p.8より)

 アジアにおいて初めて近代化されキリスト教を受け入れた日本が、西洋と東洋の懸け橋になって、洋の東西を統一するとても重要な使命があるんだと彼は考えました。これが内村鑑三の「日本の天職」という概念です。内村は日本に神の摂理が働いていることを信じており、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていました。彼は日本の使命を、東洋の代弁者となり、西洋の先ぶれとなって、東洋と西洋を和解させ、世界文明の大きな二つの流れを統合することにあると見いてたのです。

 ですから、西洋と東洋が日本で出会って、新しい文明が出来ていくんだということです。この西回りの文明の話は、『原理講論』やお父様のみ言葉とそっくりですね。内村の生涯の課題は、この「日本の天職」を果たすためにも、キリスト教を日本に「土着化」させ、西洋のキリスト教と日本文明が出会わなければいけないと主張し続けたわけです。

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