ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳64


第7章 分析と発見(7)

 統一運動をその制限された官僚制度および神の真の家庭としての宗教共同体の神学的強調という両方の側面から調べるとき、それが上記の献身構造をどのように効果的に実施できるのかを理解することができるであろう。

 例えば、統一運動は犠牲と投入を奨励することができるのは、ヒエラルキーが比較的「目に見えない」ことがメンバーに対して、グループを代表しての彼らの努力は、その目標を実現するためには絶対的に必要であることを示唆するからである。さらに、リーダーたちは官僚機構の幹部ではなく、統一運動のために大きな個人的犠牲をかつて払い、そしていまも払い続けている「年長の」(年齢的におよび霊的に)兄弟姉妹であるとみなされているのである。彼らもまた三年間の独身生活に耐え、神のみ旨を実現するために、頻繁で痛みを伴う配偶者や子供たちとの別居を経験してきたのである。

 二つ目の事例は、「最上部で」なされた重要な決定に対するメンバーの反応にとって、制限された官僚制度が持つ価値を明確に示している。1979年に、文師はグループの結婚に対するアプローチにおける基本的な構造変化に着手した。それ以前には、メンバーたちは最初にマッチングされ、(ほとんど間髪を入れずに)祝福され、続いてカップルが夫婦として一緒に住むことができるようになるまで、長期にわたる別居期間が来る。新しい順番はマッチングと祝福の間に、聖別・約婚期間の3年間を置いた。メンバーたちは全般にこの変化を、賢明で愛に満ち、神を中心とするお父様によるご自身の家族の幸福に対する配慮を表現したものであると理解した。彼らは常に私に対して、この変更には「深い摂理的意味」があるのだとと断言した。(注39)大部分において、彼らはこの変化が非常に実際的なやり方で結婚のプロセスをグループ内においてより実行可能なものにする可能性に気付いてさえいなかった。私のような部外者にとってはこの変化が、その摂理的な意味がどうであれ、新しい順序が聖別・約婚期間に「ミスマッチ」を解消する余地を残しているという点において、非常に実際的な動きを示していることは一目瞭然であった。それはまた、より広いアメリカ社会に幾分近いパターンを確立した。人は「巨大な」官僚機構に参加する者は意思決定を実践的で良識的なものとして理解することを期待するかもしれないが、統一教会の信者たちは、神を中心とする共同体に焦点を合わせているため、霊的で家族的なカテゴリーのヒエラルキーから変化を解釈するのも、もっともなことである。

 上述の分析は以下のことを示している。(1)カンターが成功した19世紀のユートピアにおいて有効であることを発見した献身メカニズムの多くは、統一運動の性と結婚に対するアプローチにおいても機能している。(2)統一運動はこれらのメカニズムの実行を促進するようなやり方で組織されている。したがって、組織構造のレベルにおいては、性と結婚は統一運動における献身を強化し維持する働きをしているように見える。祝福家庭たちがより従来型の結婚と家庭のあり方に定着するようになった場合、またはその時には、彼らがより伝統的な家事に関心を持つようになることにより、彼らの共同体に対する献身のレベルは低下すると仮定するのが当然であると思われる。よって、このグループが将来において結婚と家庭生活をどのように構造化していくかは、統一運動が21世紀に生き残ることができるかどうかを決定するであろう、非常に重要な事柄なのである。(注40)

 したがって、組織構造は統一運動における性と結婚が献身を維持する上でどのように機能しているかを理解する上で非常に重要である。しかし、グループの生活のこの側面を草の根レベルのメンバーたちの態度や実践という立場から見ることもまた重要である。よりふさわしい名称がないため、われわれはこの第二の分析レベルを「現象学的」と呼ぶことにする。ここでの基本的な意図は、ピーター・バーガーとハンスフライド・ケルナーが都会の中産階級の西洋社会における結婚に、知識の社会学を挑発的なやり方で適用したのと似たような路線のデータを分析することにある。(注41)私は彼らの方法論的な原則には厳密に従うつもりだが、結果は統一運動と西洋社会における結婚の間の著しい対象を示すであろう。また、私の分析の範囲は必然的にバーガーとケルナーのそれよりも大きくなり、統一運動における生活の結婚前と結婚後の現実を包括するものとなる。

 ウェーバーの意味のネットワークとしての社会の概念、ジョージ・ハーバート・ミードの社会現象としてのアイデンティティーの見解、およびシュッツの社会的構成概念としての現実の視点を組み合わせることにより、バーガーとケルナーは結婚がいかに西洋世界において不可欠な「規範構築の手段」、すなわち「個人がその中で自分の人生を意味あるものとして経験できるような秩序を創造する社会的仕組み」として機能しているかを記述している。(注42)彼らの論旨を表現した言葉によれば、
「・・・われわれは結婚が、われわれの社会における成人の関係を認証するものとしては、特権的地位を占めていると強く主張する。少し違った表現をすれば、結婚は私たちの社会における極めて重要な規範的手段である。われわれはさらに、この事実が認識されなければ、この制度が持つ本質的な社会学的機能を完全に理解することはできないと論じる。」(注43)

 次に著者は、それに含まれる不可欠の特徴を抽出することにより、結婚の「理想型」分析を展開する方向に進む。結婚はわれわれの社会に残っている数少ない通過儀礼の一つであるが、彼らはその特徴を以下のように記述している。
「・・・二人の他人が一つになって彼ら自身を再定義する劇的な行為である。この行為のドラマは、個人の経歴においてそれが起きるはるか前に内面において期待され、社会的に正当化され、浸透している思想によって増幅される。その主要なテーマ(恋愛、性的充足、自己発見、愛と性を通しての自己実現、これらのプロセスの社会的場所としての核家族)は、われわれの社会のあらゆる階層のすべてにおいて発見することができる。(注44)

(注39)彼らはその意味が何であるか分からなかったので、単純にお父様の判断を信頼したのである。
(注40)文師とその他の主要リーダーは結婚と家庭構造が運動の未来にとっていかに重要であるかに気付いているように見える。数年間にわたって祝福家庭を定着させるという話があったが、いまだにそれが何を意味するかに関する最終的な発言はなく、「定着」は結婚後の別居の終わりを意味するであろうという満場一致の思い込みがあるだけである。3カップルが同じ場所に一緒に住む「三位基台」と呼ばれるものについて語られることがときどきあるが、このアイデアは公式プランの位置づけを与えられてはいない。
(注41)バーガーとケルナー『結婚と現実の構築・・・』pp. 49-72。
(注42)前掲書、p. 50。
(注43)前掲書、p. 53。
(注44)前掲書、pp. 53-54。

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