書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』143


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第143回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は本章における「一 問題の所在」の「3 韓国における統一教会研究」において、先行研究について簡単に述べている。
「日本や欧米での統一教会研究は櫻井が第一章で述べている通りである。」(p.406)という一文で日本と欧米の先行研究に関しては櫻井氏に丸投げしたうえで、中西氏が自分のフィールドである韓国に関しては詳細に調査を行っているのかと言えば、そうでもなさそうである。もともと中西氏の専門領域は宗教ではなく、統一教会を研究するようになったのも韓国で偶然日本人信者と出会ったことがきっかけであったため、韓国における神学や宗教学の幅広いバックボーンがあったとも思えない。したがって、韓国における統一教会研究といっても通り一遍の紹介をしているに過ぎない。

 まず中西氏は「脱会者や現役信者に聞き取り調査をし、多面的に研究したものはない。しかし、統一教会を新宗教あるいは異端研究として実態を捉えた研究は数多く見られる」(p.406-7)としているが、これはいかにも日本的な視点からの分析だ。これを言うにはまず、韓国における宗教研究全体のマップを示し、それが教義・神学、歴史の研究を超えて、特定の宗教団体に対してフィールドワークに基づく社会学的研究を行うような例があるのかどうかを明らかにしなければ、日本との比較においてものを言ったことにはならないだろう。日本には客観主義に基づく宗教研究の伝統があり、「宗教と社会」学会のような宗教と社会をめぐるさまざまな問題に関心を持つ研究者の集まりが存在する。研究業績も豊富だ。韓国においてこれに該当する研究の伝統がないとすれば、そもそもあまり行われていない研究を統一教会に対してだけ求めることはできない。他方、韓国ではキリスト教の勢力が強いこともあって神学研究は盛んで、議論の中心が教義・神学の方面に偏ることは十分に予想可能である。これは櫻井氏にも言えることだか、「日韓の統一教会の違い」を強調するあまり、「統一教会を取り巻く日韓の社会状況の違い」という視点が欠落しているか、あえて無視しているように思えてならない。韓国における宗教学研究の概略を紹介することなく、このようなことを述べても無意味である。

 続いて中西氏は卓明煥を「最も精力的に研究を行った」人物として紹介している。
「彼の統一教会研究、『統一教、その実相――文教主説教集「マルスム」批判』(卓明煥 一九七八)や『改定版韓国の新興宗教 基督教編第一巻』(卓明煥 一九九二)は、韓国における統一教会の実態についての非常に詳細な研究である」(p.407)と持ち上げているのである。

 しかし、この卓明煥氏は1978年に前者の本を出したのちに、その内容に誤りがあったことを認めたうえで、1979年9月10日付で「統一教会に対する謝罪文」を発表している「いわくつき」の人物である。その内容や背景に関しては以下のサイトで詳細を読むことができるが、念のために謝罪文そのものは転記しておくことにする。
http://ucqa.jp/archives/765

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統一教会に対する謝罪文  -卓 明煥-

 本人は多年の間、新興宗教問題研究所を運営してきながら、統一教会に対し、出版物(統一教、その実相)、スライド(これが統一教だ)、講演会、記者会見等を通して、統一教会が、非倫理的集団、政治集団、新型共産主義、邪教集団であると批判してきました。
 しかし、本人に批判の資料を提供した一部の統一教会離脱者たちが、最近、名誉棄損等、犯罪嫌疑で拘束起訴されたのを契機として、新しい角度から、広範囲な資料を収集、総合検討した結果、本人が統一教会に対し批判した内容中、事実でない部分があることを確認、次のように訂正釈明します。

 1、非倫理的な集団問題
 本人は、統一教会の創始者、文鮮明氏が一九五五年七月四日社会風紀紊乱嫌疑で、拘束起訴されたものと知って、統一教会を非倫理的、淫乱集団と断定、批判してきたところ、調査の結果、当時の事件は兵役法違反嫌疑で起訴されたが、同年十月四日宣告公判において無罪で釈放されたのを知るようになりました。
 これ以外、統一教会をめぐって、問題とされてきた淫乱集団うんぬんは、その根拠がないものと確認、ここに訂正します。

 2、政治集団問題
本人は、この間、統一教会を政治集団と規定、批判してきたが、これは事実ではないことが明らかにされたので、ここに訂正します。

 3、新型共産主義の問題
 本人は統一教会を、新型共産主義集団であると批判してきたが、これは事実でなかったので、ここに釈明します。
 以上、三つの項目以外に、一部の統一教会離脱者たちが提供した資料に、多くの間違いがあり、本人が統一教会を否定的に批判することによって、統一教会に被害を与えてきたことに対して、深甚なる謝罪の意を表し、今後は再びこのようなことをしないことを確約いたします。
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 以上である。この謝罪文は1979年9月10日付朝鮮日報と韓国日報、9月11日付、ソウル新聞二只郷新聞、東亜日報、新亜日報に載せられている。このように一度は非を認めながらも、卓明煥氏は懲りなかったようで、その後も統一教会に対する悪辣な批判を継続したようである。このような人物の著作を、「韓国における統一教会の実態についての非常に詳細な研究である」(p.407)と持ち上げる中西氏は、文献や人物の裏取りが甘いのではないだろうか。あるいは、こうした謝罪文の存在を意図的に隠ぺいしたのだろうか。

 そのほかの「統一教会の実態」について書かれた著作に関して中西氏は、キリスト教関連の書籍の「異端コーナー」に並んでいると紹介している。代表的な二作が以下である。
・イ・デボク『統一教原理批判と文鮮明の正体』(イ・デボク 1999)
・朴焌鉄『奪われた30年、失った30年――文鮮明統一教集団の正体を暴く』(朴焌鉄 2000)

 この二つは、タイトルを見てもキリスト教信仰に基づいて統一教会を異端として断罪することを目的として書かれたものであり、「統一教会の実態」を紹介した本というよりは、神学論争の類であることがことが明らかであろう。これは韓国における統一教会に関する書物の多くが、宗教的な動機と関心で書かれたものであることを示している。こうした特定の宗教的・イデオロギー的バイアスのかかった批判書は、客観主義に基づく価値中立的な宗教研究とは相容れない神学論争である。中西氏は、「日本で見られるような反統一教会の立場にある弁護士や元信者などによる批判的な書物や、脱会信者、現役信者に聞き取り調査をし、社会学的視点から分析を試みるような研究は見られない。」(p.407)と述べるが、そもそも日本にあるものを韓国に求めること自体が見当違いであることに中西氏は気付いていないようだ。

 実はこの結果は、第Ⅰ部第5章の「日本と韓国における統一教会報道」において櫻井氏が行った比較の結果と符合している。それは、日本の朝日新聞と韓国の朝鮮日報における統一教会関連の記事を検索することを通して、統一教会の活動が両国のマスメディアによってどのように報道されてきたかを分析したものだ。櫻井氏が注目しているのは、日本における統一教会報道が「家庭の破壊」や「洗脳」といった社会問題として扱われているのに対して、韓国における統一教会問題は「異端の教えを信じた」という宗教問題として扱われている点である。彼は全般的な傾向として、「日本の統一教会問題とは社会問題であるのに対して、韓国では宗教問題にとどまる」(p.170)としている。この新聞の記事検索を先行研究の著作に置き換えれば、まったく同じ構図になる。

 櫻井氏は、こうしたのマスコミ報道の違いは、日本と韓国における宣教戦略の違いに起因していると主張したが、私はむしろ、日韓における統一教会の相違というよりは、両国のメディアの宗教に対する態度や考え方に起因するのではないかと批判した。(本シリーズ第45回)

 実は、日本でも宗教的動機に基づくキリスト教側からの批判書は多数出版されている。反対するキリスト教牧師がいるという点では日本も韓国も同じである。しかし、日本のキリスト教はマイナーであるのに対して、韓国のキリスト教はメディアに対す影響力がある。キリスト教以外の反対勢力が日本には多いため、教義・神学に基づく批判書以外に社会的な視点からの批判書が日本には多く、こうしたものが韓国に少ないのも事実であろう。両国において不足しているのは、むしろ客観主義に基づく価値中立的な宗教研究である。このような日韓の差異の原因は、日本と韓国における統一教会に対する反対勢力のより詳細な分析から導き出されなければならないが、この点に関しては後日改めて論じることにする。

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