ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳53


第6章 祝福:聖別期間と同居生活(9)

 妻が妊娠できる時にだけカップルが性交をするという考えに関して、あるメンバーが興味深い洞察を提供した。
「統一教会のカップルは子供が欲しいのですが、彼らはまた運動に奉仕もしたいのです。それは必要か有益とあらば別居を伴ったとしてもです。ですから、彼らは一緒にいるときには、このときが妊娠が起きそうなときであるということを確認したいのです。そうしなければ、彼らは常に妊娠可能期間を逃してしまい、三年経っても家族が増えないかもしれません。」(注64)

 この説明は、一貫した噂をむしろ裏付けているが、納得のいくものである。ただし、この著者は特定のアメリカのリーダ―たちとの接触を通して、避妊の問題は性的役割分担の問題と同様に、双方が文師の知恵と一致していると主張し合っている、運動内部における東洋とアメリカの勢力争いと関係していると確信したのであった。ケベドーの主張は基本的に本当だが、なぜ多くの影響力ある東洋のリーダーたちがすべての結婚におけるセックスは繁殖を目的としたものでなければならないと主張しているのかについては、にわかに理解しがたい。これらの人々の多くは文師に従う前は根本主義のクリスチャンであったか大乗仏教の信者であったため、おそらく彼らの見解はこうした運動以前の影響を反映しているのかもしれない。(注65)

 東洋の指導者たちの見解は一部は理解が困難である。それは祝福された結婚における神を中心とする性交は、文師自身によって神学的に最も重要なものであるとみなされているからだ。彼は非常に明確に「性行為はカップルの横的なレベルの愛における最高の形なのです。」(注66)と語っている。そして別の説教では、
「天宙はいつ一つになるのでしょうか? 世界の中心は人間であり、それは男性と女性を意味します。男性と女性が天宙の中心であり、全天宙に住み、そしてそれを代表するのです。[#傍線]男性と女性が愛で一つになったとき、その結果として全天宙の統一が起きるのです[#傍線終わり]。そこが天宙が一つとなることのできる一点なのです。」(注67)

 これらの引用や特定のメンバーの発言の中に暗示されているのは、一種の神学的な性のダイナミズムであり、それは神の性質の顕現もしくは実現としての結婚という考えと関係している。一人の非常に鋭敏なメンバーの言葉は、この理解を反映している。
「・・・神の中の合一はどういうわけか多くの神の愛と多くの神のエネルギーを作り出し、その合一を(神を中心とする性交において)反映することは、それは一種の人間の目標であり、神のインスピレーションと人間の間のエネルギーを作り出せるものであり、それは一体となるようなものであり、ある意味では神と霊的に一つになり、神を反映することを物理的に顕現させることである。」(注68)

 この非常に洗練されたアプローチはおそらく運動の中で広く知られてもいないし、受け入れられてもいないであろう。しかしそれは、統一神学は結婚における性交を徹底的に肯定する可能性を潜在させていることを示しているのである。

 実際的なレベルにおいては、統一教会のカップルは一般的にどのような形の避妊も行わなず、それをする者たちは主として周期避妊法もしくは禁欲に頼っている。これには三つの理由があり、それらはすべて来たるべき千年王国のために祝福の子女を作りたいというメンバーの強い欲求を反映している。第一に、統一教会の結婚は通常カップルが30歳になるまで家庭を出発しない。第二に、既に示唆してきたように、(そして間もなく全てを見いだすように)結婚したカップルはしばしば運動の仕事をするために長期間にわたってお互いに別居する。そして第三に、子供がいるカップルは、社会的地位の向上という点においても、比較的永続的な場所に定着する機会を与えるられるという点においても、組織から報いを受ける。この最後のポイントの証拠として、文自身が運動の母親たちに対する話の中で、「これからは、祝福家庭に3名の子供が生まれた場合には、両親は自由に定着して自分の手で子供たちを育てて構いません」(注69)と語っている。

 上記のすべての証拠に照らして、統一運動の結婚におけるセックスに対する見方について以下の一般化がなし得るであろう。

1.アメリカ人のメンバーの一貫した立場は、避妊を行わないということである。これは統一運動の神学が家族を非常に強調しているためであり、一部のクリスチャンのように、性的な喜びがそれ自体において罪や誤りであるとみなしているからではない。
2.特定の有力な東洋のリーダーたちは、結婚におけるセックスの唯一正当な目的は繁殖であるという考えを持っているようである。これは、夫婦の性交は繁殖と、喜びと、親密さのためであり得ると考えるアメリカ人のカップルの見解と矛盾する。

 統一運動がカップルに対して避妊を行わないよう奨励したことは、あるメンバーが祝福家庭にとっての「ダブルバインド」と呼んだものを生じさせた。(注70)一方で彼らは多くの子供たちを持つべきなのだが、他方では彼らは大家族を経済的にどのように支えるのか、そしてそれに関連した懸念として、彼らの家族がどこに住むべきなのかという問題に関して、相当な不確実性に直面しているのである。第一に、経済的な安定性の問題である。フルタイムの使命に携わっている統一運動の未婚のメンバーは、地方のセンターに住んでおり、部屋と食事はもちろん彼らの共同体的生活環境の一部であるが、彼らの個人的なニーズを満たすための最低限の俸給を受け取っているだけである。独身者にとってこれは適切な支援であろうが、結婚したカップルにとっては、その大多数が子供を持っていることもあり、経済的な安定性は難しい問題となってきた。当然のことだが、彼らは未婚の兄弟姉妹に比べれば将来のことをより深刻に考えている。

(64)前掲書。
(65)セックスを繁殖目的に限定するもう一つの説明は、メンバーが修練期間を過ごしていたころの気分の残余意識が反映して、彼らが直観的に自己を抑制する可能性である。心理学的に、「最も酷いもの」であるセックスを「最も聖なるもの」に移行させていくのは、彼らにとって簡単ではないだろう。
(66)文鮮明「祈祷と霊界について」『マスター・スピークス』 (MS-3, 1965), p. 21。
(67)文鮮明「最も偉大なものは愛」(下線は著者)。
(68)インタビュー:リントン氏。
(69)文鮮明「母親たちとの会合」『季刊祝福』(第2巻、1号、1978年冬)p. 29。
(70)インタビュー:エンゲル夫妻

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