書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』116


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第116回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例の分析の中で、第113回から「三 学生信者 学生と統一教会」に入ったが、先回に引き続いて、元信者D(男性)の事例を分析する。Dは原理研究会の学生信者だったが、「初期から中期はホーム生活がとりあえず楽しかった。」(p.347)と述べている。もう一人の学生信者C(男性)は原理研究会での生活について、「楽しくて楽しくてしょうがないって感じ。」「原理研究会の熱さは自分に合っていた。」(p.341)というように、まるで青春ドラマの一コマのような描写をしている。そして櫻井氏自身も、「これが統一教会における信仰生活の一側面を示していることは事実である。楽しくなければ続けられない。」(p.342)と認めている。合理的で批判的な性格の持ち主であるDにとっても、心許せる同世代の仲間たちとの共同生活は楽しかったようだ。

 もともとDは原理研究会の勧誘方法に対しては懐疑的で、常に予防線を張っていたし、リーダーの言うことを額面通りに信じたり実践したりすることもできなかったのであるが、それでも原理研究会に入った理由は、単純に同世代の仲間たちといることが楽しかったし、「リーダーは信じられなくても仲間たちは純粋な人間で信じられる」と感じていたからではないだろうか。アイリーン・バーカー博士は人がムーニーになる動機として、①統一原理の神学に魅力を感じた者と、②共同体の人間関係の中に愛情を感じた者とがいると大別しているが、Dの場合には原理に対して多くの疑問を持っていたことから、後者の動機に近かったのではないかと推察できる。

 ところがDのホーム生活は「後半になると辛くなった」という。彼の信仰生活は少し特殊であった。「アパートでごろごろして、夜10時頃に学舎に帰った。アパートは原理研究会に入ってからも引き払わないでいた。それを学舎長に咎められたがつっぱねていた。自分の戻るところを確保しておきたいという気持ちもあったのだろう。」(p.348)と述べている。筆者の場合には、原理研究会のホームに入寮すると同時にアパートを引き払った。その行動には、自分の戻るところを確保しておかず、退路を断ってこの道を行くという決意も込められていた。その意味で、Dは本当の意味で信仰の道を行く決断はできておらず、どこかに逃げ道を残しておきたいという中途半端な状態であったことが分かる。

 学舎長に注意されても態度を変えなかったというから、学舎の中で彼は「問題児」として認識されていたのではないかと推察される。実際、こうした問題児はいつの時代にも、どこの学舎にもいたのであろうが、だからといって彼らを見捨てるのではなく、成長するまで暖かく見守りながら導くというのが基本的なリーダーの態度であった。これもまた一つの原理研究会の「リアル」であり、メンバーは誰もが判で押したような従順で画一的な行動をとるわけではない。人それぞれ個性があるのであるから、リーダーはそれに合わせて個別の対応をする必要があるのである。実際に「マインド・コントロール」というようなことが可能であったら、統一教会のリーダーはどれほど楽か分からない。しかしそれができないからこそ、リーダーの人間としての成長があるのだ。

 Dは「自分にとってFはきつかったし、伝道実績もたいしてなかったので、プレッシャーは相当あった。」(p.348)と言っているので、少なくとも模範的なメンバーではなく、彼が存在することで組織が利益を得るようなメンバーではなかった。彼が「初期から中期はホーム生活がとりあえず楽しかった」と述べているのは、まだ幼い頃には一方的に愛されることが許されるからであり、それがある程度の期間を過ぎると今度は後輩が入ってくるなどの変化が起こり、組織に対して何らかの貢献をしない限りはいづらくなってきたために、「辛くなった」ということなのであろう。よくあるケースである。

 それでもDがなぜ原理研究会に残っていたのかは、彼自身の言葉を引用するだけでは第三者には理解し難いであろう。「ただ、それはやめるきっかけにはならなかったし、やめるという選択肢がなかった。ここにいるためにはどうしたらよいのかと常に頭をひねっていた。これは霊界の祟りを恐れたためではないし、氏族メシヤといった使命感のためでもない。なぜ、やめるということを思いつかなかったのか、いまだにわからない。最後の頃には学舎から出てしまえば立ち直れるかなと漠然と思っていた程度だった。」(p.348)

 Dの記述は、元信者Aの氏族メシヤという「使命感」や、元信者Bの辞めたら何か悪いことが起きるのではないかという「恐怖」とも異なる動機によって、彼が組織に所属していたことを物語っている。これは地区教会と原理研究会の違いというよりも、Dという人間の個性なのであろう。Dにとっては使命感も恐怖も心には響かず、それが信仰の動機となることはなかった。それでは何が動機になったのかという点に関しては、実はD自身もよく理解していなかったことが彼の記述からはうかがえるのである。

 そもそも、辛かったし相当なプレッシャーを感じていたにもかかわらず、「ここにいるためにはどうしたらよいのかと常に頭をひねっていた」というのは矛盾である。それは辛いとう感情と同時に、「ここいたい。離れたくない」という感情が彼の中に存在していたことを意味している。原理に対してもリーダーに対しても批判や反発をしていたDが愛着を持っていたものは何だったのだろうか。それは学舎にいた兄弟姉妹たちへの愛着であり、彼らの純粋な生き方に対する憧れのようなものであったはずだ。Dは本心では他の兄弟姉妹たちのように純粋な信仰を持って生きることに憧れていた。しかし、その一方でそうはなりきれない批判的で分析的な自分自身がいて、それを否定することもできない。そうした自己矛盾の中で苦しみ続けたのが彼の原理研究会での生活だったのではないだろうか。「なぜ、やめるということを思いつかなかったのか、いまだにわからない。」というのは、本心ではやめたくないと思っていたからにほかならない。

 純粋な信仰者にはなれないが、それでも原理研究会を離れることができない彼は、さまざまな原理的な屁理屈を駆使して自己正当化しながら、組織に居座るようになった。「学舎での生活も自分の行動に原理的なこじつけができるよういなってから楽になった。伝道の実績が上がらないことに対して、Fも勝利してないのに、伝道できるわけがないと弁明した。自分は10分程度しか祈禱をしなかったが、長い人は40分も祈る。祈禱が短いと批判されたときには、聖書に短く祈れと書いてあるではないかと逃げた。断食をしないのかと尋ねられたときには、断食しているか、していないのかをなぜ見せつけようとするのかと逆に質問した。信仰は人に見せつけるものではないだろうとも。」(p.348)

 彼はなかなかの屁理屈の名人である。純粋な兄弟姉妹はこう言われれば反論できなかっただろうし、学舎長でさえ彼の説得には手を焼いただろうと思われる。しかし、辛ければやめてしまえばよいものを、彼がここまで屁理屈をこねながら自分を正当化した理由は、少しでも心を楽にして原理研究会に留まりたかったからなのである。この辺の心理は、信仰を持ったことがない者には分からないかもしれないが、彼は心の奥底では何かを信じていたのであり、兄弟姉妹と一緒にいたかったのであり、できれば彼らと同じように純粋に信じられればいいと思っていたのである。しかし、実際にはそれができないので、周りに壁を作り、悪ぶって反抗しながらも、愛されることを期待していたのである。

 彼は自分自身が熱心な信仰者として燃えているわけではないにもかかわらず、「最近は原理研究会のメンバーが多様になり、みな、あまり燃えていないという印象がある。同じ統率を加えても、対応は人様々だ。無理が来ている。メンバーがこの活動にのめり込もうとしない。燃える派と燃えない派が対立し、熱くない人が多い。これは今の学生のタイプかも知れない」(p.348)などと評論家のような立場で語っている。彼自身が燃えていないにもかかわらず、燃えているメンバーが原理研究会の理想であると言っているのである。

 さらにDは、ヤコブや祝福二世がカープに入って来ることによって、たたきあげの信仰を持った原理研究会のメンバーとの間で価値観の齟齬が生じ、それが問題になっていることなども語っている。彼は自分のことは棚に上げて、いまの原理研究会は問題が多いと評論をしているのである。

 こうしたDの態度を見れば、彼に本当に信仰があったのかどうかは疑わしい。この団体には何かあるということを漠然と信じていて、信仰に対する憧れはあったかもしれないが、自分の心でしっかりとみ言葉と向き合ったのかと言えば、どこか逃げていたし、どこか斜めから見ていたところがあったと言えるであろう。こうした彼自身の課題を克服してみ言葉と真剣に向きわない限りは、原理研究会に残っていても彼の精神的な成長はなく、いつかは離脱する運命にあったのかもしれない。

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