書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』115


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第115回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例の分析の中で、第113回から「三 学生信者 学生と統一教会」に入ったが、先回の元信者C(男性)の事例に続いて、今回から元信者D(男性)の事例を分析する。Dは1999年6月から2000年8月まで北日本にある総合大学の原理研究会で活動したという。私から見ればかなりの後輩にあたる。彼のインタビューの特徴は、単に自身の入信から脱会までの経緯を事実に基づいて話しているだけでなく、原理研究会の勧誘テクニックや、原理研究会と地区教会の違い、学生新聞会の舞台裏、自分自身が原理や組織に対して感じていた矛盾や疑問など、持ち前の分析力を働かせて、主観的な世界についても雄弁に語っている点である。

 Dの思考は批判的・分析的であり、これは頭の良い男子学生にはよくあるパターンである。私も学生時代には同じような思考をしていたために、ある意味で親近感がわく性格である。彼はいわゆる「マインド・コントロール」されている人間とは程遠く、現役の信者だった頃から自分なりに批判的に考える能力を持っていたことが、インタビューから明らかになってくる。櫻井氏自身が「これだけよくわかっていて、統一教会に疑問を持ちならやめずに四年も続けていたのはなぜだろうと脱会カウンセラーでなくとも考えてしまう。」(p.352)と表現しているほどに、彼は“批判的な思考能力を奪われ、画一的な思考しかできない”という一般的な統一教会信者のイメージとは程遠い人物なのである。櫻井氏は、おそらくこれは原理研究会の知的な学生に固有の性格なのであると言いたいのであろう。しかし、実際には彼のような信仰上の疑問を持った人は統一教会の中に多数いると思われ、またそれが原因で教会を離れる者も多数いると思われる。その意味で、彼は特別な存在ではなく、程度の差こそあれ統一教会信者の中に一定の割合で存在するタイプなのである。彼がこうした批判的な思考をしながら4年間も原理研究会にいたということは、批判的で合理的な思考と、それを超越した信仰とが、一人の人間の心の中に共存しえることを示している。そしてそれこそが、統一教会信者の「リアル」なのである。「マインド・コントロール」された統一教会信者というステレオタイプを打破する意味も込めて、彼の批判的な思考を紹介してみたい。

 Dは1996年に自分がカープに勧誘されたときの様子を簡単に描写した後で、「勧誘される側の自分」から「勧誘する側の自分」へと視点を変え、「手付け金をその場でもらうことが重要だ」「男子学生は女子学生からの働き掛けに弱い」(p.344)といった勧誘テクニックの解説を入れ、同時に中心(学舎長)のやり方に対して自分が疑問を感じていたことにまで言及している。彼はこの「勧誘」という場面を中心として、①勧誘される受講者、②勧誘する霊の親、③それを指導するリーダー、という三つの視点からそのプロセスを分析し、三者の間にある意識や認識の違いにまで言及している。つまり、彼は一つの視点からしか物事を見られないのではなく、複数の視点から立体的に事態を分析する能力を持っているのである。

 Dは原理研究会のシックスデーズセミナーに参加したとき、レクリエーションで班長から川に飛び込むよう誘われたが、その場の雰囲気に溶け込めなかったので、飛びこまずにそのまま見ていたという。彼は進行役のスタッフから、「なんで飛びこまなかったの? 自分の枠を超えることも大事だよ」と言われた。Dはこの出来事に関して、「周到に準備されていたように思われる。川の中に入るというのが原理研究会に入るという象徴的な行為のように思われ、ノリでそこまで行かせるのがねらいと思われる。」という冷めた分析をしている。一般的に「マインド・コントロール」とは、本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまうことであると説明される。その定義に基けば、Dはコントロールしようとする側の意図を見抜き、それに抵抗しているという点において、「マインド・コントロール」された状態にはなく、それを回避しようという主体的な意思を発揮していることになる。彼は「マインド・コントロール」の手口を見抜き、それには引っかからなかった。にもかかわらず、彼は原理研究会に入会を決意したのである。これはDが原理研究会の勧誘テクニックに対しては批判的な姿勢を貫きながらも、何か別の理由で信仰を受け入れたのだということを物語っている。

 櫻井氏は「第6章 統一教会信者の入信・回心・脱会」において、統一教会信者が勧誘されるときの状況を、睡眠不足や緊張感や疲労と闘いつつ、朦朧とした意識の中で決断を迫られるものであると描写した。Dはそれを裏打ちするかのように、「この説得はOKと言わない限り、明け方まで説得が続き、よほど体力があるか、気力のある人間でない限り、眠気と朦朧とした意識の中でOKしてしまう」(p.345)と述べている。しかしその直後に、「しかし、ここでOKしたもの達でも、実際に夏の新人研に参加するかどうかはそのときになってみないとわからない。統一教会が嫌だ、ついて行けないと脱落するものも多い」とも書いている。彼は自分が勧誘される側の立場だったときの描写としては、眠気と朦朧とした意識の中でOKしてしまったという自覚があったのであろう。しかし、勧誘する側に回って同じことをしてみた場合には、それが必ずしも有効であるとは限らないという体験をするのである。Dは自分の体験と他者の体験を相対的に比較し、同じ状況下に置かれたとしても、人は必ずしも同じ反応をするものではないことを冷静に観察している。要するに、眠気や根負けで一時的に説得を受け入れたとしても、それが永続的な回心であるとは限らず、最終的にはその人自身の心が決めることだと彼は知っていたのである。

 Dはまた、原理研究会の学生たちが休み期間中に行っていたF(fundraisingの略。資金稼ぎ)についても語っている。「自分は疲れて休むことが多かった。」「自分はFに熱心ではなく、一、二万円分を売って、後は公園で寝たりしていた。売れないと電話で報告する際に班長に叱られ、歌いながら売ってみろとか言われたこともあったが、やらなかった。」(p.346)などと自分の歩みを振り返っている。彼はもともと合理的で批判的な性格の持ち主だったため、おそらくリーダーの言うことを額面通りに信じたり実践したりするのが苦手だったのであろう。このような内的な葛藤を抱えていたり、命令に従わずに活動をサボったりする信者も統一教会には一定数いるのであり、誰もがアベルに言われたことを純粋に信じて歩んでいるわけではない。それでも彼は信仰を持っていた。こうした現役信者が存在するということは、統一教会の信者の実像が、通常考えられているような「マインド・コントロールされた状態」とは程遠いことを示している。

 Dは原理研究会のメンバーが特別なエリート意識を受け付けられていたことを以下のように証言している。「原理研究会は地区教会とは関係なく、日曜礼拝は原理研究会だけだ。『原理研究会はエリートであり、世界のことを考え世界を救うためにやる。地区教会は、先祖のため、家族のためにやっている人が多い。レベルが違う」と教えられた。原理研究会出身者と地区教会出身者では意識と体力・気力が違うという自負があり、Fをやるにしても実績の水準が違う。」(p.347)

 おそらく原理研究会のリーダーたちが学生たちに対してエリート意識を植え付けて信仰を鼓舞したというのは事実であろう。私の時代にも同じようなものの言い方はされていた。しかし、自分の所属する部署や組織が特別な使命を持っているという意識(うちの部署こそが神の摂理の中心であるという意識)は、おそらくどの部署にもあったのであり、原理研究会に固有のものではないだろう。それはメンバーを激励し、やる気を促進するという効果がある一方で、「井の中の蛙」的な発想でもある。私も原理研究会出身者なので同じような傾向があったと思うが、ひとたびそこを出てしまえば、それは全体の中のほんの一部に過ぎず、規模からすればかなり小さな組織であったことに気付いた。

 原理研究会の出身者が、地区教会の出身者と比較して意識や体力・気力において優れているとか、信仰姿勢においてより高度で高邁であるなどということは、おそらく客観的には言えないであろう。ただ一つ、客観的に言えることがあるとすれば、より知的に優れた集団であるということだ。原理研究会のメンバーは、旧帝大を含む国立大学の学生や、有名私立大学の学生によって構成されているのだから、国民の平均値よりもかなり知的水準が高く、それは統一教会内においても同じであろう。もともと社会のエリートになるような大学生を伝道しているのが原理研究会であり、就職した後の男性を伝道するのが難しいという日本の社会状況もあいまって、統一教会の幹部候補生を輩出してきたのが原理研究会であるとも言えるのである。ただし、それは「原石」や「可能性」としての話であって、原理研究会の出身者が本当に統一教会のリーダーになれるかどうかは、その人の実力次第であったと言える。

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