ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳21


第3章 性に関する価値観:婚前の性行為と同性愛(5)

 婚前交渉の禁止は、神学的な理想によって正当性を与えられ、家族的な役割と共同体での活動によって支えられているとはいえ、それは独身の男性と女性の間に恋愛関係や性的関係が生じる事例がまったくないということを意味しない。逆に、それ(特に恋愛感情のレベルにおいては)は極めてよくある問題であり(注43)、運動は状況と関わった特定の個人に応じて、さまざまな方法でそれを処理している。通常はその二人が自分たちの行動が不適切であることを自ら認めて、彼らの関係を完全に切ってしまうか、お互いに友人であり続けられる程度にまでその感情を克服するのである。前者の解決法は、しばしばどちらか一方の個人の「使命」または場所の変更を必要とする。カップルが自分たちの問題に対処する意思がないか、それができないときには、年長の兄弟または姉妹(おそらく彼らのセンターのリーダー)がしばしば介入して、そのカップルを神の前に正しい役割に復帰することを目的として、霊的な指導または支援を提供するであろう。もしこれが成し遂げられなかった場合には、通常はどちらか一人もしくは二人ともが運動を去るだけであろう。(注44)このように、恋愛関係や性関係を解消するには相当程度の個人の自由が存在するのであるが、運動は断固として神の教えに忠実であることと、本質的にそのような関係を排除する家族の役割を強く主張するのである。

 兄弟姉妹の役割が男性と女性の関係を構築するが、同性愛の問題はそうした社会的取り決めによっては触れられないままになっている。また、同性愛は原理講論および運動のその他の主要な神学的著作の中で特に言及されていない。文師の72の説教(そのタイトルがこの研究に関連すると思われたので選ばれた)を注意深く調査してみたが、出てきたのは「もっとも不自然な愛」(注45)というたった一つの発言であった。

 同性愛に関しては、確かなことは二つだけである。一つ目は、かなりの数の同性愛者が運動に加入したということであり(注46)、二つ目は、グループによるその神学の解釈は、男性の同性愛も女性の同性愛も排除するということである。最初のポイントに関しては、信仰歴6年のメンバーが以下のように説明した:
「実際、統一教会に入教した同性愛者は多い。たくさんだ。私がMFTチームにいたとき、私のチームの一つでは、4人が入教した当時はそうだった。主に男性の同性愛者だ。・・・私が知っているのはそれだけだ。」(注47)

 若干の統一教会信者が、運動に加入したレズビアンを知っていると言ったが、ほとんどが男性の同性愛者について語った。(注48)

(注43)運動内部における恋愛の発生に関しては、メンバーの報告は一般的に元メンバーの発言と一致する。エドワーズ(『神に狂って』、pp.153; 198-200)とウッド(『ムーンストラック』、pp. 7; 104-108; 124; 167)は共に恋愛関係に言及するが、一方でアンダーウッド(『天国の人質』)は言及しない。 エルキンズ(『天的詐欺』、p.57)は、年長の兄弟がグループにはデートもその他のいかなる男女の恋愛関係もないと述べたことを示しただけである。私がインタビューした元メンバーは、それは特に運動に入って比較的日の浅いメンバーの間の問題であると言った。
(注44)J・スティルソン・ジュダは以下のように報告している:「ある若い女性が教会を離れた理由として以下のような事実を教えてくれた。彼女は同僚の一人に恋をしたのだが、彼はそのことで彼女を叱っただけでなく、彼のために選ばれたある韓国の女性と結婚してしまったのである。」J・スティルソン・ジュダ「新宗教と宗教の自由」、ジェイコブ・ニードルマンとジョージ・ベイカー編『新宗教を理解する』に掲載、p.207。
(注45)なぜ印刷された説教に同性愛に対する言及が一カ所しかないのかについては、推察することしかできない。可能性がある理由が二つ思いつく。(1)おそらく実際の説教ではもっと言及していたのだが、それを読むメンバーたちが、これは重大な問題だと考えないように、編集者によって削除された。(2)あるいはおそらく、そのような事柄は一対一で扱うのが統一運動のポリシーであるということだ。運動における自分の生活について書いた元メンバーの中では、ウッドだけがこの問題を扱っているが、彼の記事はいささか理解困難である。他のメンバーと一緒に文師の話を聴いていたとき、ウッドは「お父様、同性愛の問題について我々はどうしたらよいでしょうか?」と尋ねた。文の答えは、「もしそれが本当に問題になるなら、それを切り取って、丸焼きにして、靴箱に入れて、私に郵送しなさい」(『ムーンストラック』、p.163)。私たちはこれから同性愛者の扱いに関する一般原則や規範を引き出すべきであろうか? あるいは文はそれを、ウッドに対する個人攻撃を意図して言ったのであろうか? 彼自身の証言によれば、ウッドは性的に不適切なメンバーたちのリーダーであると疑われていたという。あるいはそれは文の非常に不可解なユーモアの一例だったのだろうか? ウッドの報告が正確であると仮定したとしても、私は文の答えにどんな意味を付与してよいのか分からない。この韓国人シャーマンのしゃべり言葉を解釈しようとする部外者は、不可能な使命を担っているのかもしれない。メンバーたちでさえ、ときとして彼の言うことを理解するのは難しいと感じるのだ。
(注46)統一運動が同性愛者たちを引き付ける理由は、いかなる決定的な方法によっても説明することは難しい。ある者は同性愛者であると名乗るのを避けるために関わったのかもしれないし、またある者はすでに社会から「逸脱者」としてのレッテルを張られていたために、不人気な宗教グループに入ることにあまり抵抗を感じなかったのかもしれない。
(注47)インタビュー:マレー女史
(注48)女性の同性愛者にメンバーが気付いていないのは、単にこのグループが、女性同士の親密な接触は男性同士の同じような行動パターンに比べてより受け入れやすいという、アメリカ社会の傾向を反映している一例に過ぎないのかもしれない。さらに、統一運動の男女比は2対1であるため、おそらく女性の同性愛者よりも男性の同性愛者の方が多いのであろう。

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