日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ10


 鎌倉時代をもって、日本仏教の創造的な時代というのは終わってしまいます。室町時代と戦国時代の仏教がどうであったかというと、室町幕府は鎌倉時代以来の真言律宗を重んずる一方で、禅宗の臨済宗との関係を深め、臨済宗の寺を幕府の官寺(かんじ)としました。官寺とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のことで、室町幕府は臨済宗を優遇します。

 世の中が戦国時代に入ると、仏教も武力闘争に加わるようになります。1467年に応仁の乱が起こると、世の中の秩序が乱れ、浄土真宗の信者の一部が武装化して、各地で一揆を起こすようになりました。浄土真宗の別名を「一向宗」といったので、これは「一向一揆」と呼ばれました。さらに京都では、商人らを中心に日蓮宗が勢力を拡大し、一向一揆の勢力から都を守るために、有力な町人が武装し、「法華一揆」を起こしました。

 当時、比叡山延暦寺には「僧兵」というのがいて、お寺が武装勢力になっていたんですね。こうなりますと、多くの戦国大名は勝つために仏教勢力を利用するようになり、寺院は戦いに巻き込まれていきます。武装化によって勢力を増した浄土真宗と日蓮宗は、やがて他宗との抗争や戦国大名の争いに利用されることが多くなりました。このようにして信仰の本質から外れていくことにより、仏教は衰退するようになります。比叡山の僧兵を嫌い、目の敵にしたのが織田信長でした。1571年、織田信長が比叡山延暦寺の全山を焼き討ちするにおよび、仏教勢力は大きく衰退しました。

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 戦国の世が終わると、江戸時代を迎えます。江戸時代の仏教は、完全に政府である江戸幕府の管理下にあったことが特徴です。1601年より各宗派の本山に対して幕府から寺院諸法度が発令されます。徳川家康は戦国時代から、仏教が武装勢力であるということを知っていたので、仏教勢力から武力を取り上げ、本末制度を作って管理しようとしました。そこで、寺社奉行を頂点とする体制のもとに、すべての仏教のお寺を組み込みました。すなわち、江戸幕府のもとに寺社奉行があり、その下に各宗派の大本山があります。その下に中本山、本山があり、末寺があって、その下に檀家の信徒がいるという構造です。

 このように、檀家(寺請)制度を作って、日本人全員がいずれかの仏教宗派に属する仕組みにしました。この檀家寺請制度は、キリシタンの禁止とも深くかかわっていました。これによって仏教は事実上の国教となり、檀家は自分の所属するお寺にお布施をすることが義務づけられたわけです。そうすると、寺院は布教する必要がないわけですね。国家の宗教になったわけですから。それでは何をやるかといえば、檀家の信徒が亡くなったら葬式を挙げればよかったわけです。いまの仏教が「葬式仏教」と批判されるのは、江戸時代に作り上げられたシステムが継続しているからです。このときから、日本の仏教には、純粋な宗教的エネルギーというものはなくなっていきます。すなわち、お上のもとにある御用宗教、官制宗教になったわけです。

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 そこに明治維新がやって来るわけです。明治政府は「神仏分離令」というものを出します。それは何故かというと、皇室の宗教が神道だからです。その神道に仏教という外来の宗教が混ざっていてはいけないということで、それまで千数百年間にわたってずーっと仲良くやってきたのを、いきなり「切り離せ!」と言ったわけです。そうすると、「神社の中にある仏像・仏画や仏具は取り除くべし!」という指令が出されたわけです。それを民衆は勘違いして、各地で仏教の寺院や仏像、経典を破壊する運動が起こりました。これを「廃仏毀釈」といって、数年で収まったものの、これによって多くの文化財が失われました。基本的にはこのときに神社とお寺が政府によって人為的に分けられたということです。

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 それでは現代はどうなっているかというと、いま日本の仏教には13宗56派があると言われています。時系列的にいうと、奈良系が一番最初に生まれ、華厳宗(1派)、法相宗(1派)、律宗(1派)があります。その後に天台系と真言系が続きます。天台宗は3派、真言宗は9派に分かれております。その次に浄土系が来て、浄土宗(4派)、浄土真宗(10派)、時宗(1派)、融通念仏宗(1派)がこのグループに入ります。さらに禅系が続きまして、臨済宗(14派)、曹洞宗(1派)、黄檗宗(1派)がこれに入ります。そして日蓮宗の9派を加えると、13宗56派になるというわけです。これが現代日本の仏教の基本的なマップということになります。

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 それではこれらの宗派の勢力はどのようになっているんでしょうか? 『宗教年鑑』という資料がありまして、それによると、大きく5つのグループに分けて比較するとこのようになります。浄土系が1712万人の信者を擁し、全体の37%を占めています。日蓮系が1326万人の信者を持ち、28%を占めています。真言系が922万人で20%、禅系を二つ合わせても315万人で7%、天台系が312万人で7%、奈良系が71万人で1%ということになります。信者の数からすれば、浄土系が一番大きいことになります。

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 一方、お寺の数はやっぱり浄土系が多いんですが、信者の数に比べると、禅系はお寺の数が非常に多いことが分かります。

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 日本の宗教人口における仏教の位置を、やはり『宗教年鑑』で調べてみると、とっても不思議な数字が出てきます。日本の宗教人口は、神道系の信者が1億77万人、仏教系の信者が8471万人、キリスト教系が192万人、諸教を合わせて949万人で、これらを全部合わせると1億9689万人になるわけです。日本にこんなに人口いましたっけ? これを見て一目瞭然で分かるのは、神道の信者の数がほぼ日本の人口に匹敵するくらいいるわけです。これは誰に聞いて統計を取ったのかというと、宗教法人に信者の数を自己申告してもらうわけです。そうすると神社本庁がものすごい数を申請しますから、日本人のほとんどはどこかの神社の氏子になっているということになるので、この数になるわけです。仏教の場合には8471万人ですから、日本の総人口の約7割が仏教徒であるということになります。これは、宗教法人に聞くからこういう数字になるんです。

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 それでは個人に聞くとどうなるかというと、統計数理研究所というところが「あなたは何か信仰や信心を持っていますか?」という調査を個人に対して行ったところ、72%の日本人が「持っていません」と答えたというのです。「持っている」と答えたのは28%でした。さて、先程のデータでは、日本人の7割が仏教徒であるはずでした。ところが、日本人で信仰そのものを持っている人は28%しかいないのです。神道に至ってはもっと信者数が多いわけですから、日本の神道と仏教は、宗教法人側では信徒だと思っているのに、本人には信者であるという自覚がない者が非常に多い宗教である、ということが大きな特徴であることが分かります。この辺は諸外国と大きく違うところですね。

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