日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ11


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 NHKのISSP国際比較調査(2008年)というのがありまして、「あなたが親しみを感じる宗教は何ですか?」と聞いたところ、仏教は65%で断トツ一位でした。その次が神道(21%)、キリスト教(13%)となります。このことから、仏教は日本人からかなり親しみを持たれている宗教であるということが分かります。

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 もう一つ、特定の信仰を持っていなかったとしても、宗教的なものの考え方の中で、「絶対にある」と思う人と、「たぶんある」と思う人の数を足すと、このようなグラフになります。「祖先の霊的な力」を47%の人があると思っています。「死後の世界」があると思っている人は44%です。「輪廻転生」があると思っている人は42%です。「涅槃」があると思っている人は36%です。「天国」は36%、「地獄」は30%、「宗教的奇跡」は17%の人があると思っています。このように、日本人は「自分は信仰を持っていない」という人が7割ぐらいいるにもかかわらず、宗教的なものの考え方は結構持っているのです。これが日本人の宗教性の特徴ではないかということなんです。

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 現代日本仏教の現状を、批判する側面と評価する側面で整理すると大体こんな感じになります。仏教に対する批判的な見解としては、①儀礼や形式だけの形骸化した宗教になっている、②現世利益的な祈祷・祈願・呪術ばっかりをやっている、③葬式仏教・職業仏教・世襲仏教ということで、代々お寺をやっている家が職業として葬儀をやっているに過ぎない、④都市部に人口が流出することによって、伝統的な檀家制度が衰退しており、仏教は崩壊の危機にあるーーというようなことがよく言われます。

 一方、仏教を評価する見解としては、①それでも日本人はお葬式といえば仏教だし、お墓参りは今でも行われている、②お盆やお彼岸などをきちっとやる人も多く、文化の中にちゃんと生きている、③日本人の死生観にはいまも仏教的な考え方が大きな影響を及ぼしている、④座禅をしてみたいとか、四国のお遍路さんや札所巡りなどの仏教的な修行はいまでも人気があり、そうした行為を通して宗教的な体験をする人もいるので、決して死んではいないーーというようなことがよく言われます。

 この二つを総合するとどういうことになるかと言うと、既成のお寺とか教団に対しては批判的ですが、人々の心の中には仏教的な考えが残っているので、そうした宗教性が土台となって、新しい宗教を受け入れる「精神的土壌」として、日本の仏教伝統は機能しているのではないかということになります。ですから日本の新宗教は、伝統教団から主管されてはいないけれども何となく宗教性を持っている人たちに呼びかけて、その人たちを伝道・布教することによって教勢を伸ばしていったと考えられるわけです。統一教会におきましても、日本人の中に仏教的な宗教性があるからこそ、信仰を受け入れやすいということは多分にあるのではないかと思います。

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 さて、メシヤを迎える準備としての仏教ということで、これまでの仏教の流れを簡単に整理するとこうなります。まず、根本分裂のところで、上座部仏教の理想は「阿羅漢」であると言いました。これはあくまでも自己の解脱のために信仰するということです。それに対して大乗仏教の理想は「菩薩」でした。これは他者の利益のため、衆生の救済のためというより大きな目的を志向しています。この二つを比べると、大乗仏教の方が私たちの言う「為に生きる」愛の精神により近いということになります。ですから、大乗仏教の方がより発展して日本に伝わってきたということは、メシヤを迎える準備としては意味のあることなのではないかと思います。

 それから、「自力信仰」対「他力信仰」というのも仏教の重要なテーマでした。この二つを比較すると、基本的に修行によって悟りを開こうとする自力信仰の人は、メシヤを必要としませんよね。そうすると、自力信仰を貫いていく人はメシヤに出会えないわけです。ということは、もともと自力信仰であった仏教が、長い年月を経て他力信仰になっていったということにも、何らかの摂理的意味があるんではないかと考えられるわけです。親鸞という人は、「罪悪深重の衆生、煩悩具足の凡夫、悲しきかな、愚禿親鸞、愛欲の広海に沈む」などということを言っています。これはキリスト教のパウロの嘆きによく似ていますね。こういう罪観、仏教では「煩悩にまみれた汚れた私」という表現になるんですが、そういう自覚を促し、他力によってしか救われないという信仰の訓練が出来ていた方が、メシヤに出会いやすいわけです。すなわち、堕落人間であることを自覚した「他力信仰」の方がメシヤに出会いやすいのではないかと思われるわけです。そういう観点からすると、浄土系や日蓮系が日本では勢力を伸ばしたということは、メシヤを迎える精神的土壌を仏教が準備してきたと言えるのではないでしょうか。

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 これが統一教会とどう出会うかということなんですが、日本統一教会の最初の入教者はクリスチャンだったんですね。ですから櫻井夫人にしても松本ママにしても、純粋にキリスト教の牧師という雰囲気で来た西川先生から、キリスト教として原理を学んだわけです。やはりキリスト教徒が最も神に近い選民圏ですから、日本の中で少数派のクリスチャンたちが最初に統一教会につながったわけです。

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 しかし、その次に来たのは立正佼成会の会員たちだったわけです。1962年8月に久保木会長が入教しますが、この方はもともと庭野日敬会長が非常に可愛がっていた、将来を嘱望された立正佼成会のリーダーだったわけです。その方が、まだ何もなくて耳パンを食べていた統一教会に入教しました。しかし、久保木会長一人だけが来たわけではなくて、西川宣教師の直接交渉により、立正佼成会の庭野日敬会長に対して、「おたくの青年中核メンバーをうちの修練会で教育しましょう」と提案したわけです。そもそも、自分の教団の信徒をどこか他の宗教団体の修練会に出して教育してもらうなどということを、普通の人はやらないわけです。でも庭野日敬会長はとても心の大きい人だったので、その提案を受け入れたわけです。

 こうして、1962年12月10日から1963年1月20日までの40日修練会にまず久保木会長が参加し、その後、4回の修練会に総計230名の青年リーダーたちが立正佼成会から参加したわけです。ですから、私たちの先輩である777クラスのリーダーの中には立正佼成会出身者が非常に多いのです。

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