日本仏教史と再臨摂理への準備シリーズ02


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 ここで、お釈迦様の教えのポイントの一つを理解することができます。いたずらに体を苛める、たとえば断食し続けるとか、いろんな難行苦行をすることによって悟れるというものもないということです。だからと言って、飲んで食って快楽に浸っていて、悟れるというわけでもないということです。悟るということは、この「苦」と「楽」の中道にあるんだということです。極端から離れて、正しい見解を持つこと、これがお釈迦様の教えられた「中道」ということです。

 お釈迦様は、菩提樹の下で悟りを開かれた後に、約45年間にわたって、自分が悟った真理を伝える人生を歩まれるようになります。5人の修行仲間に初めての説法を行ったことを「初転法輪(しょてんぽうりん)」と言います。当時、お釈迦様は身分や職業で人を差別することなく、誰にでも求める人には真理を教え広めたので、非常に多くに人々がお釈迦様のもとに集ってくるようになりました。

 当時のインドの宗教であるバラモン教は、どうしてもカースト制度に縛られていて、一番高いカーストの人々を優遇して、賤民を差別していたので、旧来のバラモン教に飽き足らなかった大衆の心をとらえ、出家者だけでなく在家信者も増えてゆきました。当時、マガタ国のビンビサーラという王様がお釈迦様の教えに感動して帰依し、首都・王舎城郊外の竹林を寄進しました。これを「竹林精舎」といって、林の中で修業を行ったわけです。ここにお釈迦様のコミュニティが出来上がって、ここで長らく教えを説かれたということです。そして、80歳で亡くなられるわけですが、これを「入滅」と言います。その時まで、生涯にわたって法を説かれました。これがごく簡単にまとめたお釈迦様の生涯であり、仏教の出発点になります。

 皆さんに仏教の原点をお話しするのはなぜであるかというと、実はこのお釈迦様の説かれた仏教と、いま日本に存在している仏教の間には、ものすごく大きな違いがあるからなんですね。お釈迦様の説かれたもともとの仏教がどんなものかということを知って初めて、そこから日本の仏教がどれほど遠くに来たかが分かるので、私なりに仏教の本を読んで、「仏教とはこんな宗教だ」と思ったことをいくつかポイントでお話ししたいと思います。

 一言でいうと、お釈迦様が解明された仏教の教えというのは、とっても哲学的で合理的な教えです。お釈迦様は菩提樹の下で悟ったというのですが、何を悟ったのかというと、「縁起」の理法を悟ったと一般的には言われています。それでは「縁起」とはどういう意味なのでしょうか? 日本人は縁起が良いとか悪いとかよく言いますが、もともとの縁起の意味は、いかなるものごとも独立して存在しているのではなく、つねに他のものとお互いに関係し合っていおり、そして、条件しだいで変わりつづけていくものであるということです。これを「無常」というわけですが、こういう真理を悟ったというのです。これ自体が非常に哲学的な表現じゃないですか。原理でいうと、二性性相、相対基準、授受作用に近いようなことを言っているわけです。

 そして、この世のものは、すべて「因」(直接的原因)と「縁」(間接的原因)によって発生すると教えています。この「因」と「縁」を合わせて「因縁」と言います。日本人は「因縁」というと、ちょっとおどろおどろしいイメージがあるんですが、もともとお釈迦様が言った「因縁」というのは、原因があって結果が生ずるんだという、極めて合理的な話なんですね。すなわち、「因」+「縁」=「生起」(結果)ということで、これを「因縁生起(いんねんしょうき)」というわけです。

 次に「諸行無常(しょうぎょうむじょう)」ということを説いておりまして、世の中の一切の現象、万物は、つねに変転してやむことがないという意味です。このような、極めて哲学的な教えなんですね。それが後に発展して、「空(くう)」という教えになります。この「空」の教えあたりになると、一般人では理解できるのかなというぐらいに哲学的な教えになります。

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 これは非常に有名な「般若心経」一節です。これを丸暗記してそらんじることができる方も多くいらっしゃいます。その中から一番本質的な部分を二か所取ってきました。

 「色不異空 空不異色」(しきふいくう くうふいしき)で、「色は空に異ならず 空は色に異ならず」と赤い文字で書いてあります。これはもともとあったサンスクリット語の原典を三蔵法師が訳した結果、この漢字になったということです。日本の読経ではこれが一般的に用いられています。赤い文字の下にある黒い日本語は何かというと、中村元(なかむら・はじめ)という現在仏教学の大家が、サンスクリット語の原典から現代日本語に訳すとこういう意味だということで、訳したものです。

 「色不異空」とはどういう意味かというと、「この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある」ということです。なんか、ものすごい哲学的ですね。そして「空不異色」とは、「実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない」という意味です。何を言ってるのかよく分からないですね。おそらく、物理学を学んで量子力学などを極めた人は、「これは真理だ!」と分かるんではないかと思われるくらいに、哲学的な内容です。

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これが一番有名な「色即是空 空即是色」(しきそくぜくう くうそくぜしき)です。「色はすなわちこれ空 空はすなわちこれ色なり」ということですが、これを現代日本語に直せば、「(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである」となります。一般人の感覚からすれば、どっちなのかよく分からないということになるだろうと思います。これを通して何を言いたいかというと、実は「諸行無常」ということが言いたいわけです。われわれが普段執着している物質的現象というものも、実は人間がこだわるほど堅固なものでも、永遠のものでもないから、そういうものに対するこだわりを棄てましょう、ということが要するに言いたいわけです。

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