書評「ムーニーの成り立ち」11


第九章「感受性性」(前半)

 このシリーズはアイリーン・バーカー著『ムーニーの成り立ち』のポイントを要約し、さらに私の所感や補足説明も加えた「書評」です。今回は第九章の「感受性」の前半部分を要約して解説します。第八章で扱った「被暗示性」との違いを簡単に説明すると、「被暗示性」が基本的に他者の提案や示唆を受け入れやすい傾向のことであり、何でも受け入れてしまうような受動的で説得に弱い性格であるのに対して、「感受性」は統一教会が提供するものに対して積極的に反応するような性質のことであり、その個人がもともと持っているセンサーのような性質だということになります。こうしたセンサーやアンテナが発達している人は統一教会の教えや修練会に積極的に反応するけれども、発達していない人は反応しないので入教しないということになります。そのような性質の中身を特定するのがこの章の目的です。

 初めにバーカー博士は統一教会に入教する人々の年齢層を扱っていますが、この部分だけは、もはや現在の日本の統一教会には全く当てはまらないという点で「隔世の感」があります。バーカー博士が研究していた当時、イギリスの統一教会に入教するメンバーの平均年齢は23歳でした。そして1978年における英国と米国のフルタイムのムーニーの平均年齢は26歳であり、1982年の初めの英国の会員の平均年齢は28歳だったということですから、統一教会はまさに「若者の宗教」だったわけです。日本でも「親泣かせ原理運動」と叩かれた時代には大学生が多く伝道されたわけですし、1980年代にも多くの若者が入教しました。しかしその後、日本の統一教会は高齢化が進むようになります。これには二つの原因があり、教会草創期に伝道された人々が自然に歳を取っていたということと、「壮年壮婦」と呼ばれる既婚の中年以降の人々が伝道されるようになったことです。この年齢層の人々が多く伝道されたという点において、日本統一教会は1970年代のイギリスのムーニーたちとはまったく異なる社会集団になったと言ってよいでしょう。現在、統一教会は2世信者を除けば、「若者の宗教」とは全く呼べなくなったほど、高齢化が進んでいます。平均年齢28歳という1982年同時のイギリス統一教会は羨ましい限りというところでしょうか? アイリーン・バーカー博士は、新宗教運動の高齢化問題に関する論文を書いています。「新宗教における高齢化の問題―老後の経験の諸相―」というタイトルで、日本語訳を以下のサイトで読むことができます(訳者は私ではありません):
http://www.iisr.jp/journal/journal2014/Barker.pdf

 続いてバーカー博士は、いかにも社会学者らしい手法で、イギリスのムーニーの男女比と出身階級の分析を行っています。この内容を理解するには、イギリスの階級社会に関する基本的な知識が必要でしょう。イギリスの階級は、大まかに以下の3つに分けられます。

①Upper Class(上流階級):王室、貴族、地主、資産家など。パブリックスクールからオックスフォード大学やケンブリッジブリッジ大学に進学するのが一般的です。
②Middle Class(中産階級):ホワイトカラー。大学に進学するのは、一般的にこの階級以上に属する人達であると考えられています。Middle Classは、さらにUpper Middle Class(上流中産階級)、Middle Middle Class(中流中産階級)、Lower Middle Class(下流中産階級)の3つに分かれます。
③Working Class(労働者階級):ブルーカラー。この階級に属する人達は、義務教育を終えるとすぐに社会に出るのが一般的で、大学に進学するのは稀です。バーカー博士の分析では、このWorking ClassもUpper Working Class(上流労働者階級)、Middle Working Class(中流労働者階級)、Lower Workinge Class(下流労働者階級)の3つに分かれます。

 イギリスは日本よりもはるかに保守的な伝統の残る階級社会で、本人の能力や努力次第で階級の壁を突き破って上に登れる可能性は日本よりも低いということです。そういう意味で、イギリスの研究においてはムーニーの出身階級を研究することは日本以上に意味がありそうです。

 イギリスのムーニーには上流階級の出身者はいないようです。ムーニーの出身階級は、中産階級の中と下、労働者階級の上と中に集中しています。つまり、階級の最上層にも最下層にもムーニーになりそうな人はいなく、全体の中間あたりの階級の人々がムーニーになるということです。

 一方で、イギリスにはホームチャーチ活動が当時から存在し、その会員はセンターで共同生活をする献身的なメンバーとは異なり、社会で働きながら信仰を持ち、より年長で既婚者が多いということです。そしてホームチャーチ会員の学歴はフルタイムの会員よりもやや低く、男性よりも女性が多いようです。バーカー博士の研究で印象的なのは、イギリスにおける統一教会員の男女比は、2対1で男性が多いということです。圧倒的に女性が多い現在の日本統一教会からすれば、新鮮な驚きです。やや乱暴に比較すると、1980年当時のイギリス統一教会は、親泣かせ原理運動と呼ばれた日本の初期統一教会の状況に似ており、イギリスのホームチャーチ会員の特徴は80年代以降に日本で増加した壮年壮婦の信者たちと似ているのではないでしょうか? 仏教的表現を用いるならば、フルタイムのムーニー(献身者)は「出家信者」であり、上座部仏教の路線であるのに対して、ホームチャーチ・メンバーは「在家信者」であり大乗仏教の路線であると言えそうです。

 次にバーカー博士は、ムーニーの家庭環境に話題を移します。バーカー博士の研究によれば、ムーニーの大多数は幸福な家庭的背景をもっており、彼らは自分の親を尊敬して育ってきたからこそ、「真の父母」という存在を受け入れることができたのだということです。そしてその両親の職業は、投資家、株のブローカー、あるいはビジネスマンなどのお金を稼ぐことを指向している仕事よりも、医者、看護婦、教師、軍人、警察など、個人あるいは国家に対して奉仕する価値をもった仕事が多かったというのです。そしてムーニーが育った家庭は、伝統的な価値観、道徳、礼儀が守られた、立派な家庭である傾向にあるというのです。彼らはこうした価値観をあらかじめ持っていたからこそ、統一教会に入ったのであり、もともと自分が持っていたものとは全く異質な価値観を受け入れたのではないというのがバーカー博士の分析です。要するに、統一教会の提示する「為に生きる」「犠牲と奉仕」「父母を敬う」という価値観を、あらかじめ家庭の中で教育されてきた人々が、統一教会の教えを聞いて共鳴するという傾向が強いということであり、これは「洗脳」や「マインド・コントロール」を主張する人々の主張するような「急激な価値観の変容」ではないと言うことになります。

 次に、イギリスのムーニーの宗教的背景に関する分析がなされています。イギリスのムーニーはカトリック家庭の出身者が比較的に多いとのことですが、日本とイギリスでは宗教人口の分布が全く異なるので、信仰の「種類」が一致しないのは当然と言えるでしょう。しかし、宗教的「関与」のあり方が、ムーニーになるかどうかを決定する要因になるというのは日本でも英国でも共通するかもしれません。バーカー博士が「英国の成人人口の3分の2以上が英国国教徒であると自称するであろうが、実際に英国国教会の会員になっているのは20人に1人に過ぎない」というのと同じように、日本人の多くが葬式や初詣など文化的には仏教や神道に属しているといっても、自覚的に信仰を持っている人は少数派と言えるのではないでしょうか? そうした世俗化した文化の中で、ムーニーになるような人は、他の一般国民に比べてより宗教的であるといえる家庭で育てられている傾向がある、というのがバーカー博士の分析結果です。ムーニーは幼児期の礼拝出席率が非常に高く、宗教的な家庭の出身者が多いのです。しかし青年期になる、教会と中途半端な関係に陥ることはなかったようで、定期的に礼拝を守るか、組織的な宗教との関係を完全に絶ってしまうかのどちらかに決定したようです。このことはやはり宗教的な背景をもち、人生に対する宗教的な問いかけを心に抱いていた人々が統一教会の教えに反応したという意味であり、これも決して「マインド・コントロール」や「洗脳」が示唆するような、価値観が180度変わったということではないようです。

祈祷するイギリスのメンバー

祈祷するイギリスのメンバー

 続いてバーカー博士は、ムーニーになる人の典型的な(例外を除いた平均的なという意味)人生行路を描き出していますが、それは以下のようにまとめることができます。

①幸福で安定した家庭背景を持っており、比較的長く幸福感や安心感を享受していた
②宗教的な家庭背景を持ち、神の存在を年長になるまで疑うことがなかった
③男女関係で大きな問題を起こしたことがなかった
④知的に優れているわりには情緒的には未成熟であった
⑤両親の愛情を息苦しく感じ、両親から独立する必要性を感じていた
⑥勉強熱心で、成績は平均よりも優秀であったが、競争社会のピラミッドを上っていくことに価値を見いだせなくなっていた
⑦人生のより後の方で「落ち込み」を経験する傾向にあった
⑧初めて世の中に出て行ったときに経験する失望、痛み、幻滅などに対処する準備が十分にできていなかった
⑨統一教会に出会って安堵感を経験し、「家に戻ってきたように感じた」
――という感じの入教の経路になります。

 これらはイギリスのムーニーの描写でありながら、日本で統一教会に入教する成年信者にもある程度当てはまるのではないかと思います。日本における数少ない外部の学者による統一教会研究に、塩谷政憲氏の研究がありますが、彼もまた若者たちが統一教会に入信する動機を「親からの自立」という観点から分析しています。詳しくは、「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」(森山清美編『近現代における「家」の変質と宗教』に掲載)という論文の中で詳細に論じられていますが、その一部を拙著「統一教会の検証」の中でも紹介しています。信者の親や反カルト派は、「あんないい子がなぜカルトに走ったのか」という疑問を持つのですが、「いい子なのに、統一教会に入った」のではなく、バーカー博士の調査研究によれば、「いい子だからこそ、統一教会に入った」というのが正しいのです。この点が正しく理解できないと、「洗脳」や「マインド・コントロール」による説明に頼るしかなくなってしまいます。逆にこの点を受け入れてしまうと、子供が統一教会に入ったことにある種の必然性を認めなければならなくなるので、親はそれを情緒的に受け入れられないのです。

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