新シリーズ「実況:キリスト教講座」のお知らせと第一回


 本日より、新シリーズ「実況:キリスト教講座」のアップを開始します。以前にこのブログで「神学論争と統一原理の世界シリーズ」を35回にわたって連載したことがありましたが、その続編とも言える内容です。

 私が自著『神学論争と統一原理の世界』を出版してからしばらくして、千葉中央修練所の21日修練会で、「キリスト教講座」という講義を担当していたことがありました。私自身の記録によると1999年6月から2005年2月まで合計63回講義しており、正確には21修だけでなく40修のキリスト教講座もこの中には含まれています。

 その後はこの講義からしばらく遠ざかっていたのですが、ときどき「キリスト教について話してほしい」とか「神学の話をしてほしい」と頼まれることがあり、CARPや青年支部で講義したことがありました。今回より、そのような講義をビデオ撮りした映像から、私の喋った内容を文字に起こして少しずつアップしていきたいと思います。講義の喋り言葉をそのまま文字にするので、タイトルを「実況:キリスト教講座」と名づけました。

 以前の「神学論争と統一原理の世界シリーズ」と多少ダブる部分もありますが、そこには含まれない内容も多く含まれています。神学に関心のある方は講義を受けているようなつもりで読んでいただけたらと思います。講義の記録なので、自己紹介のような内容から入るのですが、それも一興と思っていただければ幸いです。それでは実況に入ります。

実況:キリスト教講座01
キリスト教について学ぶ意義(1)

 「キリスト教講座」というタイトルでお話しします。パワーポイントを使います。きょうやる内容は、ちょっと昔、千葉の21修でやっていた内容を、多少変更してバージョンアップした内容です。1999年から2005年くらいまで、私が千葉の21修で「キリスト教講座」というのを一日かけて担当しておりました。そのときには最後に反対牧師と拉致監禁に関する内容もやっていて、それで4コマだったんですが、きょうは反対牧師や拉致監禁の話はしません。そのときに3コマでやっていた内容を広げて4コマにするという形で、キリスト教に関する内容そのものを充実させてやることにします。

 ちなみに、21修のキリスト教講座はずーっと続いているんですけど、昔は広さんという方がやっていました。いまはもういないんですけど。その次を担当されたのが太田朝久さんという方で、この方はいまも教会本部にいらっしゃいます。その太田さんの次が私で、私の後を引き継いで、いまは石丸先生という方がやっていらっしゃいます。

 いままでに4人の講師がいるんですが、そのうち3人は元クリスチャンです。広先生はセブンスデー・アドベンチスト教会というところから来て、太田先生はプロテスタントの出身で、石丸先生は私と統一神学校の同期なんですが、もともとカトリックの方で、神父になろうとしていたぐらいの方が復帰されたということです。とてもキリスト教の香りあふれるお話をいまも21修でしているそうであります。この4人の講師の中で私だけが元クリスチャンじゃないということになります。(笑)

 ですから、他の3人の講師の方々は、自分がキリスト教徒だったという、そこで信仰生活を送っていたという実感から、キリスト教と統一原理を比較するとこうなんだというお話をおそらくしておられると思います。私は自分がまだ修練生だった頃に広講師のお話を聞いたことがありますが、内容はそういう自分の体験に基づく比較でしたね。

 私の場合には、もともとクリスチャンじゃないわけですから、なぜキリスト教について語るのかということになりますと、後から説明しますが、アメリカに統一神学校というものがありまして、そこでキリスト教について学び、多少の体験をしたということで、それに基づいて語るということになります。

 では、もともとキリスト教徒ではなかった者がキリスト教について語るということなんですが、何が利点であるかということを一言でいえば、皆さんの中で、もともとクリスチャンだった方はいますか? 手を挙げてみてください。一人もいませんね。ということは、基本的にキリスト教のことがあまりよく分からない、その分からない人の気持ちがよく分かるということだと思います。(笑)それが私のアドバンテージかなと思っております。そういう意味で、統一食口はキリスト教のどこがよく分からないのかということが、もともとクリスチャンだった人は逆によく分からないのですね。

 聖書の中に譬えがありますね。王が宴をするときに、招待状を出していた人々と、招かれていなかった人々がいた。この招待状を出して招かれていた人々が、いわゆる準備されていた人たちで、その人が宴に来なかったので、道端に行って誰でもいいから連れてきた人々がいた。いまの統一教会を構成しているほとんどの人は、その道端で拾われてきた人たちで、私はその道端で拾われてきた人の気持ちがよく分かるということです。(笑)

実況:キリスト教講座

 ちょっと自己紹介をさせていただきますが、名前は魚谷俊輔と言います。1964年、昭和39年に生まれております。1964年というのは、東京オリンピックがあった年です。この時から日本は高度経済成長に入りました。そういう時代に生まれました。教会に来たのは1983年、つまり18歳の時に出会ったということです。出会ったところがどこかというと、CARPなんですね。

 私は東京工業大学という目黒区と大田区にまたがるキャンパスを持つ国立の理工系の大学に入りまして、18歳の時に霊の親が下宿まで訪ねてきまして、アンケートをきっかけとしてCARPに通うようになりました。東工大というのはもともと学生の90%以上が男性という大学でありまして、東工大CARPはその開拓支部という、とってもちっちゃなところだったんですけど、やっぱりほとんど男しかおりませんでした。そういう中で信仰生活を出発いたしまして、東工大を4年間で卒業しまして、そのあとCARPに献身いたしました。

 当時、東工大は開拓支部だったものですから、いろんな人事があって支部が合併されて、渋谷学区というところ、当時は「香貴寮」と呼ばれていましたけれども、そこで副寮長という責任分担になりました。それから京大に人事になって、京都大学のCARPで活動していたときに、1988年に6500双の祝福を受けました。そのときに大量の人々が「コリアびと」と呼ばれて、韓国に行ったんですね。日本から4千数百名行ったと思います。そのうちの一人として韓国に行きました。そのときに韓国語を学んで、韓国語が一応できるようになりました。

 韓国から日本に帰ってきまして、そのときはCARPに帰って来るんじゃなくて、チャーチの方に帰ってきまして、そこでしばらく活動して、2年くらい、おもに教育畑で、壮年壮婦に対する講師をやっていました。CARPのときは学生に講義していたんですけど、教会に行ったら30代、40代のおばさんたちに講義をするようになりました。

 そこで2年ぐらいたったときに「統一神学校学生募集」という情報が入りまして、私はかなり重要な講師をしていたんですが、そのときの責任者に「ぜひ行きたい」と志願しました。そしたら責任者が「ダメだ」と言うのです。「お前に抜けられたら困る」というわけです。そこで私は「英語の試験があるんですけど、それだけでも受けさせてもらえませんか?」と聞きました。TOEFLという英語の試験がありまして、留学に必要な一定の点数を取らないと行けないんですね。普段英語の勉強なんて全くしていませんから、「どうせ落ちるだろうから、試験だけ受けて来い」と責任者に言われまして、「ハイ、分かりました」と言って受けてきたんです。私が英語が得意だということを知らなかったようです。(笑)それで、みごと受かってしまいまして、「さよなら~。アメリカに行きます」と言って、アメリカに行ったんですね。(笑)

 それで大きく人生変わりましたね。そのまま日本にいたら、おそらくどこかの教会の責任者にはなっていたかなとは思いますが、英語を学べたということ、キリスト教について学べたということ、そして西洋の学問の伝統に触れることができたのは、自分の人生において大きなプラスになったんではないかなと思います。いまの責任分担は英語を使う毎日でありますけれども、アメリカの統一神学校を卒業したので、いまの自分があるわけです。

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