第四章「ムーニーと出会う」
このシリーズはアイリーン・バーカー著『ムーニーの成り立ち』のポイントを要約し、さらに私の所感や補足説明も加えた「書評」です。今回は第四章の「ムーニーと出会う」を要約して解説します。人が伝道されていく過程の最初の入り口は、教会員と出会うことにあります。この章では、その出会いがどのようになされるのかを扱っています。バーカー博士は、最初の接触の形態を①旅行者、②偶然者、③個人的縁故者の三つに大別しています。②は街頭で声をかけられて出会った人であり、③は教会員の友人や親族が伝道されるケースです。この二つは日本と変わらないので理解できるでしょう。しかし日本人にはちょっと理解しがたいのが、①の旅行者が一つのカテゴリーを形成するほどの割合を占めていることです。西洋では大学に入る前や卒業する前後に、「バックパッカー」となって比較的長期の一人旅をする若者が多く、あまり計画性のない冒険旅行のようなことをする風習があり、そうした人々が声をかけられて伝道されるケースが多いのだということです。そう言えば、私のCARP時代の日本人の知り合いの中にも、アメリカを旅行中に声をかけられてそのまま入教したという人が二人ほどいました。一方で、韓国の教会では③の縁故者を通しての伝道が主流であると聞いています。出合い方にも国ごとに特徴があるということですが、西洋人がどのように統一教会に出会って伝道されてきたのかを、この章を通して知ることができます。
見知らぬ人に街頭や訪問で声をかけられて伝道された人と、親戚や知人に誘われて伝道された人の割合がどのくらいになるのかは、日本においては正確な統計的データはないと思いますが、西洋では後者の割合は全体の4分の1弱だということです。その中でも親戚からは3分の1であり、友人からが3分の2ということですから、全体的に見ると親戚から伝道される人は12分の1、すなわち1割以下ということになります。「氏族メシヤ」という概念は当時はなかったと思いますが、その概念が生まれた後でも、基本的に親戚縁者を伝道するのが困難な状況は変わっていません。知り合いに伝道される方が警戒心がないので伝道される確率が高いかのように思いますが、バーカー博士の調査によれば、縁故者は見知らぬ人々に紹介された人よりも入教する割合は少ないということです。これは、縁故関係は回心にいたる最初のプロセスを越える助けにはなるかもしれないけれども、最終的に入教するかどうかはあくまでその人が原理を受け入れるかどうかによって決定されるということを意味しています。
このことは「氏族のメシヤ」の概念と相反するように思われますが、少なくとも西洋と日本においては事実であると思います。韓国においては縁故者伝道の割合が高いと聞いており、その正確な原因は分かりませんが、これは「統一教会に入教する」ということのハードルの高さが関係していると私は推察しています。すなわち、西洋と日本においては「統一教会に入教する」ということは、たとえ縁故者に紹介されようとも、よほど個人的に強烈な宗教体験がなければできないくらいにハードルが高いことであるのに対して、韓国ではそこまでハードルの高い行為ではないからではないでしょうか。統一教会に対する社会的評価の厳しさと、一般社会との隔絶が続く限りは、伝道は「個人の強烈な宗教体験」に依拠した一本釣りの伝道であらざるを得ないのではないでしょうか?。
続いてバーカー博士は、統一教会のメンバーに出会って勧誘された人が、最初にセンターを訪問したときにどのような体験をするかを描いています。1970年代の西洋の統一教会の伝道の様子がよく分かる記述になっています。このころはまだビデオによる原理の受講などはなく、講義による原理の紹介と、コーヒーを飲みながらのざっくばらんなおしゃべりが伝道の方法であったようです。カリフォルニアの例を除いて、このころの西洋の統一教会のセンターには御父母様の写真が堂々と飾ってあったりして、初めて訪れる人にもそこが統一教会であることを知ることのできる手がかりが沢山あったようです。とはいえ、統一教会に対する予備知識がなければお写真を見ても気付かなかったかもしれませんが。少なくとも、そこには「不実表示」や「威迫困惑」と非難されるような要素は全くなく、人生の目的を求めて悩んだり考えたりしている若者たちの楽しいサークルような雰囲気であったようです。
次にイギリスにおける週末の2日間の修練会の様子が描かれますが、それ以上に表2「修練会に参加した理由」は面白い分析結果だと思います。人が修練会に参加する動機はさまざまありますが、「積極的に真理を求めており、それを発見したいと思っていた」と答えた人は全ムーニーの45%、離教者の52%と、少なくとも一度は入教を決意したグループの中では最も多い数字になっています。それに対して信仰を持つことはなかった「非入会者」では23%と低い数字になっています。「遊び半分の好奇心/他にすることがない」という動機は、全ムーニーの8%、離教者の9%と低いのに対して、「非入会者」では20%と高めの数字になっています。このことから、教会に関わるようになった動機が「真理探究」にない場合には、修練会の過程で淘汰されて、結局は入教しない傾向にあることが分かります。一方、「会員が強く求めるので断れなかった」と答えた人は、全ムーニーが4%と低いのに対して、離教者の9%、非入会者の13%と高めの数字になっています。このことから、主体的な動機を持って来なかった人は結局は教会に残らない傾向があることが分かります。離教者でこの数字が高くなるのは、後悔や自己正当化の心理が働いているからかもしれません。
バーカー博士は、イギリスにおける週末の2日間の修練会と、カリフォルニアのキャンプKにおける修練会の様子を対比的に描いています。簡単に比較すれば、イギリスの修練会は小規模で素朴なものであり、正統派という印象です。一方、カリフォルニアの修練会は大規模で演出的効果が大きく、統一教会の文化そのものというよりはカリフォルニアの文化の影響を強く受けているようです。西洋の修練会の様子は、その大部分が日本修練会と似通ったものであり、親しみを持てる内容です。ただその中で一つだけ全く異質で理解不能なものが、カリフォルニアにおける「Choo choo choo yeah yeah pow!」という奇妙な呪文です。インターネットで検索すると、これは西洋の反カルト運動では一種の洗脳のテクニックのようにとらえられているようです。ダースト夫人がこれを最初に歌い始めたと言われおり、子供じみた遊びのようなものだと思うのですが、少なくとも日本の統一教会ではまったく馴染みのないものです。
カリフォルニアのキャンプKにおける修練会のでの様子からいくつか分かったことを列挙してみます。
1.修練会で講義の合間にスポーツをすることは日本でも西洋でも同じようです。カリフォルニアではドッジボールが盛んだったようですが、日本では「統一バレー」がメジャーでしょう。
2.西洋でエンターテインメントと呼ばれていたものは、日本では「和動会」ですが、寸劇や歌をやるのはよく似ています。
3.ゲストが「横的な授受作用」をしないようにメンバーが気を配っていたというのも共通しています。見方によっては「監視されている」と思われたかもしれません。
4.カリフォルニアの運動においてメンバーがゲストに愛情や関心を強く示すのは、「伝道」という目的に徹しているからであり、相手が伝道されないと判断するや否や、手のひらを返したように関心を示さなくなるというのは、どこか日本の運動に共通するものがあります。
カリフォルニアの伝道システムは、2日修、7日修、21日修と、比較的短期間に集中的に修練会に参加させて、一気に食口にしてしまうというスタイルだったようです。それだけにこのペースについていけない人は必然的に脱落していくようになっていたのだと思います。本人に学ぶ気がないか、継続して学ぶことが困難な事情を抱えた者は脱落していき、最終的には主体的な探求心をもって修練会に参加しようとする人々だけが選択されるプロセスが、まさにこの時代の伝道システムだったということができるでしょう。日本ではもう少し時間をかけて丁寧に導くかもしれませんが、基本的に「選択のプロセス」であることに変わりはありません。その意味で、統一教会の修練会は「洗脳」(強制的画一化)ではなく、「選択」(個人の自由意志による判断)の場であるといえます。
この章の最後には、西洋の21日修練会の講義日程と一日のスケジュールが掲載されています。西洋の21修と日本の21修(千葉中央修練所等で行われているもの)を比較するといくつかの違いがあることが分かります。
1.一日のスケジュールは、西洋の方が日本よりもゆったりしている。
2.日本では原理講義は一通りだが、西洋では二通りやるようだ。
3.お父様の路程の講義時間は日本に比べて西洋はかなり短い。(これは1970年代という時代的な要因もあるかもしれません)
4.勝共や統一思想に割く講義時間も、日本に比べて西洋はかなり短い。
5.信仰生活講座やキリスト教講座は日本独自のものであり、西洋にはこうした講義がない。
これら違いの最も本質的な原因は、日本の21修が既に食口になったメンバーの教育にあり、信仰歴が既に数年あるメンバーが参加するの対して、西洋の21修が伝道の仕上げの部分に当たり、この後で入教を決意するという点で、修練会の役割の違いに起因しているのではないかと思います。一応これをもって統一教会の伝道方法に関する外面的・客観的な記述は終わり、次章からは「ムーニーになること」の意味をより学問的に掘り下げていくことになります。