シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」03


シンクレティズム以前:教会草創期(1)

1.崔奉春宣教師と草創期の食口たち
統一教会の教えを初めて日本に宣教したのは、1958年に日本に密航した崔奉春宣教師(日本名:西川勝)であった。崔奉春宣教師による開拓期の状況に関しては、『日本統一運動史』(光言社)が最も正確な資料と思われるが、その記述によればこの時期の伝道方法は純粋にキリスト教的なものであり、シンクレティズムの要素はまったく見受けられない。日本で最初に行われた礼拝の様子の記述も、純キリスト教的なものである。

昭和34年10月2日金曜日、午後7時15分に第一回の礼拝をもって東京統一教会は発足したのである。・・・4月より今日まで原理を信じた兄弟姉妹4人(西川勝・清水義雄・須田トク・田村芳子)と共に礼拝は始められた。司会清水氏。賛美歌と祈りの後、西川勝の聖書拝読。マタイ伝六章25節より終わりまで読み、『義と神の国を求めよ』という題で約30分。8時に終わり、4人で歴史的な礼拝は終わったのである。日本に一日も早く神の国の来たらん事を祈り、神の賛美と共に、報天の決意を堅くした。(注1)

崔奉春宣教師

「崔奉春宣教師」

草創期の統一教会に伝道された人々も、もともとキリスト教を信仰していた人か、キリスト教に興味を抱きながらも既存の教会には入り切れずにいた人々が多く、キリスト教の一つとして統一教会を受け入れることに抵抗はなかった。このことは以下の証言からも知ることができる。

松本道子さんの証し:「当時私は、新宿区柏木町にある韓国人教会に通っていました。そこの牧師に信頼されて、教会の鍵を預かる執事の仕事を任されていました」(注2)

小河原(現、桜井)節子さんの証し:「初めて神を知ってみたいという思いがそういう私の心に芽生えはじめ、学校が夏休みに入る頃からキリスト教会館に出入りするようになっていた」(注3)

別府美代子さんは未亡人でクリスチャンであった。(注4)

岩井(現、神山)裕子さんの手記:「偉大なる原理に救われる前の当時の私は伝道者になる夢を見、また自分もそのことを願い、聖書学院に入るのだと意気揚々としていました。・・・私を導いて下さる方を求めて・・・某集会に何度か足を運び・・・導いてくださいましたが・・・満足できないし、・・・いやになり何度か休んでいるなかに、1960年11月の初め頃・・・ふと行きたくなり、集会に出席したのが、私の最大の日となったのです。(注5)

春日(現 ラニオン)千鶴子さんの手記:「聖書学校へ行っていた私は、友人から勧められた『原理解説』を読んで、西川先生のことを、最大の預言者かニセ預言者かどちらかだと思ったのです。」(注6)

阿部(現 石井)トミ子さんの手記:「当時、私は真剣に真理を求めていました。そして興味を持ち始めていたキリスト教にそれを求めようとして・・・電話帳を調べ・・・出かけたのがYMCA、そこで偶然見つけたのが『原理講義』という貼り紙と矢印だったのです。」(注7)

松本道子さんの手記:「竹内みつゑさんという婦人が・・・やってきました。この婦人はとても熱心なクリスチャンで途中からでしたが側へ来て、じっと話を聞いているのです。」(注8)

倉森(現 周藤)薫代さんの手記:「かつての私はクリスチャンとは名のみ、人生に絶望し、希望もなく生ける屍のごとき毎日を送っていました。・・・昨年の9月初め、大阪にてこの偉大なる原理を聞くことができました。今までのクリスチャンとしての観念を全く覆される、あまりにも飛躍したこの御言を、私は何の疑いもなく信じられたのはどうしたことかと、不思議にすら思います」(注9)

周藤健氏の証し:「あれから・・・神様は私を訓練してここまで導いて下さったのです。クリスチャンになる前も、クリスチャンになった後も、霊肉の葛藤の中にいた私でしたが、天はすべてを知って原理通りに導いて下さったのです」(注10)

後に統一教会の会長となる久保木修己氏は、当時出会った統一教会の信徒たちのことを立正佼成会の信徒たちと比較して、以下のように描写している。

私が統一教会の青年たちに接してみて、驚いたのは、彼らは目先のことに関心がありませんでした。食べること、着ること、住むことに無関心です。かといって、従来の宗教のように現世利益を否定して、ひたすら来世での幸福を求めて、修道の生活に甘んじているわけでもありません。彼らは数こそ少ないのですが、若くて、健康で、かつ情熱的でした。彼らの目は輝き、口から出る言葉は、日本とか世界のことばかりです。目先の利益と日本や世界あるいは将来の利益を求める違いをまざまざと感じました。佼成会に集っていた病気で苦しむ青年の多くと比べて、私は佼成会の御利益宗数的な現実を認めないわけにはいかなくなりました。(注11)

概して、草創期の統一教会の信徒たちは、純粋で理想主義的な動機で統一原理を受け入れた人々であり、キリスト教的な背景を持ち、現世利益とはかけ離れた宇宙の真理として統一原理を受け止めていたと分析することができる。

(1)歴史編纂委員会編『日本統一運動史』光言社、2000年、p.129-30
(2)同上、p.132
(3)同上、p.136
(4)同上、p.139
(5)同上、p.140
(6)同上、p.144
(7)同上、p.148
(8)同上、p.151
(9)同上、p.157
(10)同上、p.164
(11)同上、p.170

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