アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳75


第9章 感受性(7)

したがって、私はムーニーがある種の宗教的な体験を(非常に高い確率で)したであろうから、彼らが変わっているとか奇妙であるとか言うつもりない。しかしながら、私が指摘したいのは、そのような体験は滅多に起こるものではないし、そうした体験をした人はやや(あるいは非常に)おかしな人であると見なされると、彼らが(そして、実際に、他者が)「信じている」環境に、ムーニーたちは生きているということなのである。ムーニーと対照群の両方の回答を読みながら私は、もしフロイトが19世紀末期のウイーンの既婚婦人ではなく、今日の英国の学生を調査していたら、現代の多くの欲求不満の根源に横たわっているのは性的な抑圧ではなくて、霊的な抑圧であると結論づけたかもしれない、と感じ始めた。結局、前の晩に誰と寝たかについて友達に話すことは大抵は許容されるが、お祈りをしているときに聖母マリヤが現れたということを誰かに話すことはまずありえないのである。

おそらく特に既成教会には、直接的で個人的な神の体験に対しては眉をひそめる傾向さえあるであろう。そのようなものは「適切でない」という印象を持たれかねない。嫉妬深い聖職者たちは、超越者とのあらゆるコミュニケーションの媒体となるべきは彼らのみであり、正当に認められた(組織によって権能を与えられた)専門家でない限り、あの世のことを探るのは傲慢であり、おそらく危険でさえあると言う傾向がある。どのグループにも、神父やその他の聖職者たちと宗教的な疑問について深くあるいは非常に頻繁に話していた回答者はほとんどいなかった。ムーニーは、自分たちは試みたけれどもらちがあかなかったと言う傾向が最も強かった。また彼らが宗教的な疑問について両親や友人たちと議論したがらなかったことについても、同じ理由をあげる傾向にあった。ムーニーと対照群の3分の1は、宗教的な疑問を友人たちと頻繁に深く議論していたと言っているが、彼らの大部分が現代の世俗社会において宗教志向の人生を探究することや、ましてやそれを生きることは容易ではないと気付いていたことは明らかである。ある女性は、運動に出会う直前の自分の信仰の状態を以下のように描写している。「非常に深い疑問を抱いていた。カトリックに不満を抱いていた。宗教は単なる信条ではなく、生き方でなければならいということを私は知っていた。」

対照的に、統一教会は新会員候補者に対して宗教を探究することを許可するだけではなくて、そうするための概念やコンテクストをも提供するのである。『原理講論』は、世界を解釈するための宗教的言語と宗教的視点を提供している。運動それ自体は、神の存在が疑われないだけでなく、神の最大の願いを成就するために全人生を捧げることができる環境を提供している。会員たちは、地上天国の復帰に貢献する機会を与えられていると信じているのである。

 

将来のビジョン

ムーニー候補者は漂流者ではない。「実行する人」である。人生における大きな決定については彼に代わって他者が行ったかもしれないが、既に述べたように、彼は何かを達成したことのある行動の人である可能性が高い。彼は他の何千という人たちと同様に、自分自身を何か重要な存在となるか、重要なことをなすであろう特別な人物であると考えてきた。だが同時に、それが何であるのかははっきりと分かっていなかったのかもしれない。(このことは、彼が将来について何の考えも持っていなかっただろうということを意味するのではない。対照群よりもムーニーの方が、学校を終えたときに、何をやりたいかはっきりとした考えを持っていた)。数人のムーニーは自分たちを潜在的な指導者であると考えていたが、銀行を経営したり国家を運営したりすることを望む傾向にはなかった。むしろ、自分の住む社会に対する具体的な貢献をしたいと望む傾向にあった。

しかし彼は、家族と違って、社会は自分にあまり興味がないことに気付いたかもしれない。家庭や恐らく学校では小さな池の中の大きな魚であった者は、大学へ行ったり就職活動をしたりするときには、大きな池の中の小さな魚になりがちである。近代的で官僚的な社会は、人間味のない福祉国家的なやり方で「与える」意思はあったとしても、それほど多くのものを「取る」ことは欲しないだろう。「海外奉仕団(Voluntary Service Overseas)」のような組織は選考基準が厳しい傾向にあり、いまでは若いボランティアの採用にあたってかなり高度な資格や技術を要求している。国王や国家(あるいはそれに匹敵するもの)のために闘おうという呼びかけは滅多にない。――そしていわゆる「出世物語」も滅多にあるものではない。一般的には、人は自分の職業でゆっくりと地位を築き上げるまでは、より明確な成功の報酬を期待することはできない。もちろん、教師、医師、警察、軍務のような職業もある。実際、数名のムーニーはそうした職業に就いていたか、あるいは就くための資格を得る途上にあった。しかし、そのような職業にあったとしても、理想主義者は相当な欲求不満を体験することだろう。看護師だったムーニーの何人かが私に語ったのは、医療関係の仕事では患者を「全人格」として見ることができないと感じたとか、「私たちに期待されていたのは、病気を治療することだけだった。何がおかしいのかという根本原因を、誰も尋ねようともしなかった」といったことだった。

ジェーンとアンはかなり典型的なムーニーである。二人とも「他者に奉仕する」職業に就くための訓練を受け、そうした職業に就いていた。ジェーンはずっと教師になりたいと思っていた。しかし、

私は教えることに全く幻滅した。道徳の面で子供たちの役に立つことができないと感じたからだ。また、教育のこうした側面に対して親たちは全く関心がなく、学校の成績だけに関心を持っているように思えた。私が宗教教育の時間を受け持ったとき、「イエスは死ななければならない」と言う子供たちがいた。私は子供たちではなくて、親たちに心の教育をしたいと感じた。このようにして私は、教育や社会全体のどこが悪いのかを深く見つめるようになった。私は、親の価値観や基準がどこか間違っていることに気付いた。すなわち「絶対的な」基準がないように思われ、彼ら自身が人生に対する確信がないので、子供たちの真の導き手になれないのだ。

彼女と夫は教師を辞めて、養護施設で働くことを決めた。

 

養護施設で私は、自分たちは社会の過ちの結果を処理しているだけで、問題の核心を扱ってはいないことを知った。たとえここで90歳まで働いたとしても、何千という子供たちがやはりやってくるだろうと感じた。

教育はずっと私の「夢」の職業であった。だからこれを辞めるときは、人生の目標を失うようなものだった。同時に私はまた、絶対的な真理を探していた。教師を辞めるときに、神がこの真理に直接導くことができるように、私は自分自身を完全に神の手に委ねるような気持だった。そして5カ月が過ぎた。

 

彼女はそのとき、統一教会に出会った。そして夫とともに、入会することを決めた。

 

私はついに自分の「家」を見つけたと感じた。特に、私の「父」を見つけたと感じた。――それは、私にこの真理を知らせるために、あまりにも多くの苦労をしてこられた方だった。私は人生で初めて「完全に」心配から解放され、未来に対する大きな希望を感じた。それは自分自身だけではなくて、全世界にとっての大きな希望だった。

 

入会することによって、彼女は、「メシアが世界を復帰する手助けをし、天の父の重荷をいくらか自分が担うことができる」と感じた。

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