神学論争と統一原理の世界シリーズ34


第八章 宗教の現在と未来

4.そもそも宗教は人類にとって必要か?

およそ人類の歴史において、宗教の存在しなかった時代はないし、宗教の全く存在しない文化圏もない。これだけで宗教が人類にとって必要であることの証明になるとも考えられるが、近代化の過程の中で宗教が社会に対する影響力を次第に失ってきたというのもまた事実だ。いったいこれから先、未来の世界においても宗教は生き続けるのだろうか?

宗教消滅の予言

ジークムント・フロイト

ジークムント・フロイト

1927年に心理学者のフロイトは『幻想の未来』(注1)という本を書いて、将来宗教はなくなるだろうと予言した。彼によれば、宗教とは結局、親の庇護を求める幼児の依存的体質の変形であり、幻想であるから、科学と理性の発達によって人間が迷信から解放されれば宗教はなくなるだろうと言ったのである。これは典型的な啓蒙思想の発想であった。啓蒙思想にとって、宗教は人間の依存的体質、および偶像的・魔術的なものを代表していた。これに対して啓蒙思想がスローガンのように掲げた理想が「自律」という概念であった。

イマヌエル・カント

イマヌエル・カント

哲学者のカントが啓蒙思想を定義したときに、「もはや人間が盲目的に権威に依存する時代は終わった。人間は今や自分の人生の問題は自分の理性を用いて解決しなければならない大人になったのだ」と言った。このようにして宗教における偶像的要素を破壊しながら西洋の近代化が行われていったのだが、そのように世の中がどんどん合理化されて自由になった結果、人々が手にしたものは何であったかといえば、それはどうしようもない「孤独」であった。人々はアトム化された社会の中で、自己のアイデンティティーを失い、さまよい歩いているのである。

近代化と新宗教の興隆
そして、この合理化の波は日本にも押し寄せてきた。日本におけるユング心理学の第一人者として有名な河合隼雄氏は、著書『家族関係を考える』(講談社)の中で、日本に伝統的に伝わる多くの宗教儀式は、日本人の形成する社会を支える心理的基盤となっていたのであり、人々が自分の無意識の深層とバランスのとれた対話をするための重要な役割を果たしてきたと説明する。ところが近代人の合理性はそのような儀式の非合理性に対して浅薄な挑戦を行い、多くの儀式や宗教を否定するようになった。このために現代人は宗教の守りのないままに無意識界と突然対面しなくてはならなくなり、それが現代人のさまざまな精神的病理を生み出しているというのである。

近代化が国民的な目標とされ、合理主義的な価値観が支配的だった時代が終わった今、あらためて近代化のマイナス面が反省され、非合理的なものの価値が見直されるようになった。すなわち宗教が復権する時代を迎えたのである。戦後の日本の宗教事情を一言で表現すれば、それは伝統的な諸宗教の衰退と、これに代わる新宗教の興隆ということであった。

文部省統計数理研究所による「日本人の国民性」調査の結果と、NHK放送世論調査所が行なった「日本人の意識」調査によると、1973年あたりを境に、信仰とか信心をもっている人の割合が、それまでの減少傾向から増加傾向に転じたという。フロイトの予言から70年が経とうとする今、宗教はなくなるどころか、新しく生まれ変わって時代の要請に答えようとしているのである。(注2)

宗教が必要でなくなる時を予言する統一原理
にもかかわらず、「統一原理」は将来宗教はなくなるだろうと予言している。しかしそれはフロイトの予言とは全く正反対の意味においてである。フロイトは宗教に反するものとして合理主義を主張し、これに取って代わられることによって宗教は消滅すると予言したわけだが、「神なきヒューマニズム」は結局人類を満足させるに至らなかった。それは本来「神の子」である人間の本心を満たすことができなかったためだ。

「統一原理」は人間が堕落した結果、神のもとに帰るための手段としてさまざまな宗教が出現したととらえている。したがってもし人類始祖が堕落しなかったならば宗教は必要なかったし、救いが成就された後には統一教会もほかのいかなる宗教組織も必要なくなるであろうと主張しているのである。統一教会は自らの使命を、統一教会自体をも含めた全ての宗教組織を廃止させることであるととらえている。しかしこれは我々の生活を完全に世俗化させるという意味ではなく、むしろ逆に我々の生活を完全に聖化し、神が完全に我々のうちに住まわれるようになるということである。すなわち宗教が教える内容は永遠のものだが、もし地上に天国が完成して全人類が神を知るようになれば、その手段としての宗教組織は使命を終えて解散するようになるのである。

西洋のことわざに、“If everything is art, nothing is art.(もしすべてのものが芸術なら、芸術は存在しない)”という言葉がある。すなわち芸術という概念が成り立つのは、芸術とそうでないものとの区別が存在するからであって、もしすべてを芸術と呼ぶならば、「芸術」という言葉は意味を失ってしまう。同様に「統一原理」は、“If everything is religion, nothing is religion.(もしすべてのものが宗教なら、宗教は存在しない)”と主張するであろう。全人類一人ひとりの心の中に神が住まわれるようになれば、そのとき宗教は必要なくなるのである。

<以下の注は原著にはなく、2015年の時点で解説のために加筆したものである>
(注1)ジークムント・フロイト(1856 – 1939年)は、オーストリアの精神分析学者、精神科医で、彼の提唱した数々の理論はのちに弟子たちによって後世の精神医学や臨床心理学などの基礎となった
(注2)統計数理研究所は東京都立川市緑町にある大学共同利用機関(国立大学法人法に基づき設置された国家政策に基づく研究機関)で、もともとは文部科学省に属していた。同研究所では1953年以来5年ごとに「日本人の国民性調査」を実施しているが、宗教を信じるかという問いに対して「信じている」と答えた人の割合は以下の通り:

table1

確かに1973年まで下降していた数字が1978年に反転上昇しているが、その後も順調に伸び続けているわけではなく、上がり下がりを続けており、50年間を通じてみれば25%と35%の間を上下しているだけであり、あまり大きな変化はないと言える。この表から言えることは、日本の場合には近代化によって宗教が衰退したとか、宗教を信じる人の人口が減少したとは言えないということである。

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