アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳54


第6章 修練会に対する反応(5)

 非回心者に対する影響

ムーニーたちと同様に、研究者たちの主要な関心事は統一教会の修練会の結果であるため、人々が最終的に運動に入会するかどうかに焦点を当てる傾向がある。しかし、予期せぬ結果が意図した目的と同じくらいに興味深いということはあるもので、非入会者は回心しなかったけれども、ムーニーとのコンタクトによって影響を受けなかったわけではない、ということを私はすぐに理解したのである。実際、たとえ彼が会員にならなかったとしても、多くのゲストの人生において修練会が過ぎ去っていく期待外れの出来事以上のことであることは、ほとんど疑いがない。ただし、ある根っからの探求者は、これまでにこうしたものにあまりに多く行ったため、どれが統一教会であるかを憶えているか自信がないと答えてはいるが。非入会者の三分の一は、修練会に参した結果として、何らかの形で自分たちが変わったと主張した。さらに四分の一は、恐らく変わっただろうと語っている。

奇妙な話だが、ムーニーは自分たちの信仰を広めるよりも、競争相手の信仰を広めることに成功している可能性がある。自分たちは変わったと言った非入会者の半分以上が、統一教会の修練会に参加した結果、統一教会以外の宗教的信条の真理性に対する確信を強めたと主張した(例えば、「私はカトリックに対する信仰を一層強固なものにした」)。四分の一は、実際に神を発見したとか、神体験を新たにしたと述べた。「いまや神へに対する非常に確固たる信仰を持っている」「いまは神についてより深く話すことができるし、より多くのことを知っている」「神への信仰は一段と強まった」「宗教的信仰がより安定している」。また、不信も強化されている。「(いまや私は)宗教に関わる全てのことを憎悪する。私のこれまでの価値観と信念は大いに強化された」。ある人々にとって「統一原理」は、彼らの宗教的疑問や信念に対する理解を成長させる上で、霊感を与える源泉として、肯定的に見られている。他の人々にとっては、宗教的な意識が高まったのは、統一教会の教えに反発した結果であった。「それによって私は、(新約聖書)の黙示録に預言された偽キリストをより意識するようになった。・・・そして聖書をより詳細に見るようになった。・・・それは、聖書が唯一の真理であることを確認する、素晴らしい教育であった」。

より世俗的な変化に目を向けると、非入会者の15%がより幸福になったか、何らかの形でより満足するようになったと主張した。「うつ状態から抜け出し、薬を飲まなくても良くなった。これまでの生涯でなかったくらいに、私は明るく生き生きとしている」「より楽観的になった」。一方で、11%が不安や不幸を感じると主張した。「時折不機嫌になり、人生全般に自信を持てず、イライラする」。さらに11%は、これからはもっと慎重であるべきだと学んだと述べた。「単純ではだめだ。こうしたことに対しては、もっと慎重でなければ・・・」「私はかつて、非常に人なつこくて信じやすいタイプだった。だがいまは、より懐疑的になっている」。

数名の者が、修練会の結果としてより善良な人間になる方法を学んだと感じた。「物事の見方が変わったように思う。私はいまも祈っている。もともと道徳心は持っていたが、それらがより一層強くなった」。「これまで以上に自分を律することができるし、私利私欲を捨てて他人のために尽くせるようになったと感じる。その他にも多くの人格的変化があった」。かなりの回答者が、心が広くなったとか、あるいは寛容性の必要を認識するようになったと主張した。「他の人々の信仰をより尊重するようになった」。「より多く考えるようになり、大抵のことに疑問を抱くようになった」。「宗教に対して心を開いたが、盲目的になったわけではない。自分はコインの両面を見ることができる。一面しか見えない人とは違う」。「未知の領域に対する目が開かれた」。「教会に入会したいと思わせるほどには、修練会は私に変化をもたらさなかったが、教会同士がもっと友好関係を持ち、もっと理解し合う必要があるということには気づかせてくれた」。

すでに示唆されていることだが、この運動の最も厳しい批判者たちの一部は、短期間入会し、その後離れた人々の中に見いだされる。これは全く予想されないことではなかった。恐らくもっと驚くべきことは、離教者の大多数が依然として、運動が自分たちの人生にもたらした変化を肯定的に見ている、ということを発見したことだ。「私は(いま、統一教会のゆえに)神、聖書、イエス、霊界を信じている。そして文師が、統一教会が主張するところの人物である可能性を信じている。私は、自分の生活を道徳的に正すためのガイドラインを持っているし、自分の人生により責任を負うことができると感じている」。また別の離教者は次のように書いた。「自分の道徳性が高まったと感じられるほどに、より深く考えるようになったと感じている」。別の人は主張した。「人間関係についての考え方が変わった。自己中心的にならないように努めている。おそらく私はまだ真理を探し続けている」。別の人は次のように結論づけた。「他人をなぜ愛すべきなのか、そして自分より不幸な人をなぜ助ける必要があるのかを、よく理解できるようになった」。最後に、別の離教者は書いた。「私は全般的に人生に対してより敏感になったし、心が広くなった」。

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