2024年6月12〜15日にかけて、フランス西部ボルドーで「新宗教研究センター」(CESNUR)の国際会議が開催された。6月13日に行われた、第8セッション「統一教会と日本・まさに起きていることは何か?」では、宗教法人・世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)が解散命令を請求されている日本の事案に焦点が当てられた。このシリーズでは、第8セッションの7つのプレゼンテーションの内容を紹介する。第6回目の今回は、オーストリア在住の家庭連合信者であるスズコ・ヒルシュマンさんのスピーチである。
私の名前はスズコ・ヒルシュマン(Suzuko Hirschmann)です。日本で生まれ育ち、オーストリアに住んで40年になります。私は、旧統一教会信者が犯罪行為であるディプログラミング(拉致監禁による強制改宗)の犠牲者となっている現実への認識を高めるために、この場に立ちました。その犠牲者の中には私の姉も含まれています。このような現実は、いまだ拉致監禁・強制改宗が実際に行われている日本でさえ、ほとんど知られていません。ディプログラミングとは、たとえ家族であろうと、本人の意思に反して暴力的に信仰を棄てさせることです。その結果、家族をバラバラにしてしまいます。
過去15年間、日本では統一教会に対する新たな民事訴訟はほとんど起こされていません。それなのになぜ日本政府は旧統一教会を解散させようとしているのでしょうか。なぜ、4,300件を超える拉致監禁・強制改宗問題が今まで語られてこなかったのでしょうか。
その理由は2つあります。一つは、被害者の家族が、ディプログラマー(職業的脱会屋)に協力していることです。それは、被害者が自分の親を裁判で訴えることを意味し、結果的に被害者は黙ってしまうのです。もう一つは、メディアが拉致監禁・強制改宗という犯罪について意図的に報道して来なかったことです。
私は仏教の伝統の中で育ちました。二番目の姉は統一教会に出会い、人生の疑問に対する答えをその教えの中に見出しました。その後、姉は統一教会を私たち家族に紹介しました。当初、父は統一教会に賛同していましたが、メディアの影響や反統一教会団体との接触を通して、反対するようになりました。高校生だった私は、両親を悲しませたくなかったので、統一教会には行かないことにしました。しかし、姉と弟は密かに統一教会の青年の集会に参加していました。
ある日、私は1冊の本を読みました。クリスチャン信者が、峠の頂上にさしかかった列車の下に飛び込み、何十人もの乗客の命を救った実話が書かれていました。読み終えた時、涙が止まりませんでした。「今まで私は自分のことだけを考えて生きてきた。これからは人のために生きたい」と思いました。主人公の男性はキリスト教の信仰ゆえに、仏教を信ずる父親から勘当されました。その物語は、私の姉の状況によく似ていました。手短に言えば、私も結局は統一教会に入会したのです。
1976年、衝撃的なことが起こりました。二人の姉は実家に戻り、毎日実家から職場に通っていました。ある日、すぐ上の姉から電話がかかり、「お姉ちゃんが誘拐されてどこかに監禁されているようだ」と言いました。
後日、拉致された姉がその日何が起きたのかを話してくれました。姉が家で寝ていると、見知らぬ男4人が姉の部屋に入り、手足をガムテープで縛り、口を麻酔布でふさぎました。姉は車に乗せられ、東京にある監禁施設に連れて行かれたと言うのです。4人組の男は日本語ではなく韓国語を話していたそうです。
一番上の姉の夫である義兄は、統一教会と接点がなかったのですが、父に頼まれて男達に同行しました。義兄は状況を観察し、彼らの暴力的なやり方に不信感を抱き始めました。義兄は拉致された姉に、「信仰を失ったふりをして早くここを脱出するんだ」とこっそり助言してくれました。姉は施設にいる間、別の統一教会信者の女性がディプログラマーの丸山氏の住む別のアパートに連れて行かれるのを目撃しました。この女性は丸山氏から2カ月以上にわたって繰り返しレイプされていたことが後に判明しました。女性は脱出後、刑事告訴しましたが、恐怖とプライバシーの問題から告訴を取り下げました。彼女の父親は、娘に起きた悲劇に対する苦悩により自殺しました。
姉は数日間しか監禁されませんでしたが、何が起こるかわからない状況で毎晩眠れずに祈っていました。その施設には約20人が監禁されていました。そこには毎日新たに拉致された人が連れて来られました。
丸山氏のことは統一教会内ではすでに知られていたので、私は最寄りの警察署に行き、警察官に事情を説明し、丸山氏の住所と電話番号を伝えました。警察はすぐに丸山氏に電話し、「今すぐその女性(姉)を連れて警察署に出頭しなさい。応じなければ自宅まで出向く」と警告しました。拉致されて4日後に姉は施設から救出されました。警察の捜査で、姉の拉致を依頼したのが父であることが判明しました。それで警察は態度を一変させ、姉と私に「親の言うことを聞きなさい」と言いました。身の危険を感じた私たちはすぐに警察署を出て、恐怖心から両親に住所を教えずに2年間東京で暮らしました。
10年後、父は暴力的な方法は親子の信頼関係を破壊することになると悟りました。父は最後に私たちの信仰を認め、賛同してくれるようになりました。
旧統一教会の拉致監禁被害者の多くは、親戚からの支援がなかったため、数か月から数年間監禁されました。解放されるためには、命がけで脱出するか、無理にでも信仰を失って裁判で旧統一教会を糾弾するかの2つの方法しかありません。ご自分がその選択をする状況になったと想像してみてください。ご清聴ありがとうございました。
このスピーチの英語のオリジナル動画日本語字幕付きは、以下のサイトで見ることができます:https://www.youtube.com/watch?v=TT-mhlT5y0M&t=1s