櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第208回目である。
そもそもこのシリーズは2016年3月16日に開始して以来、途中何度かの休憩を挟んで2020年8月26日まで4年以上の歳月を費やして書き続け、207回をもって一度完結したものである。それをなぜいまになって再開するかといえば、再版の際に「まえがき」が加筆されたためである。特に2022年に第四刷を刊行したのは、安倍元首相銃撃事件の後であり、重要な内容が含まれているため、その部分に対する検証も必要であると感じたからだ。
櫻井氏は『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』の初版を2010年2月に刊行しているが、3年後の2013年に第三刷を、そして安倍元首相銃撃事件の後に第四刷を刊行している。第三刷と第四刷にあたって、それぞれ「まえがき」に加筆をしているので、その部分について私なりの論評をしておきたい。
「第三刷にあたって」(p.xviii-xxv)では、初めに「書籍の反響」について語っている。「本書は一般書店におかれることもあまりないA5判650頁に及ぶ学術書であり、市民の目に触れる機会もそれほどないと思われるが、1500部を超えて読まれているということ自体、統一教会が日本社会に与えた影響の深刻さを示しているのではないかと思われる。」(p.xix)となにやら自画自賛めいたことを語っているが、確かに学術書としては1500部は売れた方であろう。
通常の学術書なら、図書館需要で200~300部が見込まれ、仮に1000人の学会のある分野の本だとすれば,その一割の購入で100部程度。およそ400部は見込めるということになる。しかし、初版が400部では単価が高くなってしまうので、1000部刷るとしたら、残りの600部を書店等で販売しなければならない。これはかなり厳しい数字なので、学術書が1500部を超えるのは難しいわけである。
しかしこれは、純粋な学術書であることが前提の数字だ。実は櫻井氏の『統一教会』は純粋な学術書ではなく、イデオロギー的でプロパガンダ的な要素を多く含んだ著作なのである。そもそも櫻井氏は、統一教会について調査をするときに、自分と利害関係において一致しない対象は排除すると公言しているような学者である。櫻井氏の研究の主要な情報源は、統一教会に反対している牧師、脱会カウンセラー、弁護士などのネットワークにつながっている元信者である。情報源がこのように偏っているということは、著作が売れるマーケットも同様に偏っているということだ。
櫻井氏の著作が600ページを超える大著であり、しかも学術書の体裁を取っていてもなお1500部も売れる理由は、こうした統一教会反対派の教科書として活用されているからに他ならない。実はこれは単なる憶測ではない。私の知る限りで最低三名の信者が、氏族から反対されたり脱会説得を受けたりした際に、櫻井氏の著作『統一教会』を読んでみろと勧められたというのである。このことは、「統一教会が日本社会に与えた影響の深刻さを示している」のではなく、この本が価値中立的な学術書ではなく、イデオロギー的でプロパガンダ的な要素を多く含んだ「統一教会反対本」という性格を持っており、その筋のマーケットに売れていることを示しているのである。
櫻井氏は「書籍の反響」の中で、2010年に起きた「週刊ポスト名誉毀損訴訟」について触れているが、この事件についてはこのシリーズの第119回で触れているのでここでは説明を繰り返さないことにする。
続いて櫻井氏は「在韓女性信者の補足調査」と「春川事件」について報告している。いずれも合同結婚式で韓国に嫁いだ日本人女性に関わる内容である。この分野はもともと中西尋子氏が独占的に扱っていたが、第一刷の発刊後に櫻井氏も韓国を訪問して実態調査をしたのだという。一次情報に触れようとする姿勢自体は学者として評価できる。
櫻井氏によれば、こうした女性たちは「①現在も堅固な信仰を維持している女性、②統一教会の地域教会には所属しているが信仰は失った女性、③統一教会と縁を切って家庭生活を送る女性」(p.xix)に大別できるという。さらに「①②③の女性たちが反目しあっているわけではない」(p.xx)というのであるから、反対派が陥りがちな「統一教会」対「反統一教会」という単純な図式に当てはまるわけではないことが分かる。櫻井氏もこうしたリアルな情報にもっと触れることによって、統一教会に対する極端な思考形態から脱却してほしいものである。
「春川事件」とは、2018年8月に韓国の江原道春川に住む日本人女性信者が、韓国人の夫を殺害した事件のことである。殺害の理由は生活苦や夫の飲酒と暴力であったと言われているが、これは韓国で暮らす日本人女性信者の中でも極めて特異な事件であり、これをもって「在韓祝福家庭夫人の窮状」などという言葉で一般化すべきでないことは言うまでもない。
「第三刷にあたって」のメインは、むしろ「文鮮明の死と体制の変化」の部分であろう。ここでは2012年に文鮮明師が聖和(逝去)した後の「お家騒動」のようなことが記述されている。いずれも櫻井氏自身が見聞きしたことというよりは二次情報をまとめたものであり、現役の教会員からすれば目新しい情報はない。実は統一教会の信者の情報リテラシーは、外部の人間が「マインド・コントロール」という言葉から想像しているような状況に比べればはるかに高い。ここで述べられているようなことは、教会員にとってはほとんどが周知の事実であり、こうした事態については心を痛めながらも、かなり冷静かつ客観的に受け止めているのである。
文鮮明師が亡くなった後、後継者の問題が発生したことは事実であり、これは新宗教の教祖が亡くなった後にはよくあることである。「統一教会の分裂」というキャッチコピーのような言説がインターネット上で拡散した時期はあったが、「第三刷にあたって」の櫻井氏の記述はいまとなっては昔話のような印象だ。なぜなら、文鮮明師の三男のグループと四男及び七男のグループは袂を分かったものの、本体である世界平和統一家庭連合のリーダーシップは韓鶴子総裁の下で安定しており、後継者問題についてもほぼ決着がついているからだ。
教祖が亡くなった後の後継者争いに関する解説は、権力闘争を際立たせるようなゴシップ的な描写になりがちであり、特定の当事者にとって有利な言説が意図的に拡散されることが多い。櫻井氏の記事もその域を出ていない。これも彼が現役の統一教会信者がどのように受け止めているかをきちんと取材せず、周辺のネット情報だけを追いかけているために起きる情報の偏りに起因するものであろう。
特に最後の「日本の統一教会組織が、文鮮明ファミリーや韓国の幹部たちから完全に蚊帳の外に置かれ、資金提供者としてのみ有効に活用されている事実だけは鮮明に浮かび上がる」(p.xxiv)という描写は、櫻井氏の思考形態の中に存在するステレオタイプをものの見事に表現している。現実はもっと複雑であり、韓国統一教会も、日本統一教会もこうしたステレオタイプだけでは説明しきれない多様性を持っている。しかし、櫻井氏の目的が学問的な真実の探求ではなく、イデオロギー的な批判にあるため、こうした総括をせざるを得ない事情があるのであろう。彼のマーケットがそれを求めているのである。
第四刷にあたって加筆された「まえがき」は、「安倍元首相銃撃事件」「容疑者家族と統一教会の接点」「被害者家族の苦難と二世信者の困難」「統一教会と自民党」「統一教会問題はいかに解決されるべきなのか」「統一教会に対する宗教法人の認証・解散」という6つのパーツからなっている。事件を受けて著作が売れると思ったのか、かなり力の入ったまえがきの加筆になっているが、この部分は2022年7月19日に脱稿したと「付記」(p.XVI)に書いてある。事件後10日余りの情報整理だけで書き上げたことになる。それだけに、未来について予想した部分に関しては、外れていることが多い。事件後の統一教会をめぐる世の中の動きは、専門家を自称する櫻井氏から見ても予想をはるかに超えた異常な展開であったことをあらためて思い知らされる。
第四刷にあたって加筆された「まえがき」については、次回から順を追って論評する。