北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ10


 北村サヨと天照皇大神宮教に関する研究シリーズの10回目である。最終回となる今回は、天照皇大神宮教と家庭連合の相違点を解説したうえで、教祖が亡くなった後の後継体制について扱うことにする。

<天照皇大神宮教の組織:職業宗教家の禁止>

 天照皇大神宮教の組織としての最大の特徴は、職業的宗教家の禁止であろう。宗教を生業(なりわい)とすることは、天照皇大神宮教の教義に反するのである。それは、魂が救われるかどうかはお金の問題ではなく、純粋に魂の問題であるという信念に基づく。ただで教えを受け、ただで伝道するのが天照皇大神宮教の基本である。よって月々の会費や年会費などのいわゆる宗費を取ることは禁じられている。同志が様々な会合・行事・活動に参加するときは、自弁自費が原則である。講話や説法に対する謝礼を受け取ることもなく、伝道に出かけるための交通費が教団から支給されることもないという。

 人間の魂にとって階級や肩書は関係ないという信念に基づき、教祖も幹部も信者も、それぞれ生業を持っていて、信仰によって生活している者はいない。(ただし、本部の事務職の専従はあるという)通常の宗教団体であれば、僧侶や神官や牧師になろうと思えば専門的な教育を受け、教義に関する知識を蓄積したうえで、聖職者としての肩書を取得する場合が多い。しかし、天照皇大神宮教では「知識や頭脳で悟ろうとする時代は終わった」と教えており、頭の良し悪しや肩書は信仰とは関係がないとしている。

 概して新宗教に対して批判的だった評論家の大宅壮一も、こうした教団のあり方を「ノン・プロ主義」と呼んで高く評価した。この「ノン・プロ主義」という言葉は、上之郷利昭著『教祖誕生』でも使われており、天照皇大神宮教が信仰による金儲けを目指していないことは多くの知識人から高く評価された。

 天照皇大神宮教の活動拠点は「支部」と呼ばれるが、これも別個に不動産を借りるなどのことはせず、近隣地域の同志の代表が支部長に任命され、その自宅を週に一度支部道場として開放して、支部同志が集うようになっている。とことん金のかからないシステムだ。このように職業宗教家が存在せず、余計な不動産もないため、毎月や毎年の会費を集める必要がないのである。もちろん、田布施にある本部道場の維持・運営費はかかる。樹木や花の維持・管理、トイレや畳などの設備の消耗に対するコストである。これに対しては同志たちの自由意思により、金額の定めや割当てのない「拠金」を本部や支部の「維持箱(拠金箱)」に不定期で入れることになっているという。

<家庭連合における組織と献金>

 世界平和統一家庭連合の組織のあり方は、この点では天照皇大神宮教とは大きく異なる。家庭連合の組織形態はキリスト教の伝統の上に立っているため、地域ごとの教会には教会長がおり、彼らは牧師というプロの宗教家である。説教や信徒の牧会・教育を行うことが彼らの仕事であり、それによって生計を立てているのである。大きい教会では牧師のほかにも教育部長や青年部長などの役職を持った職員がいる場合がある。そして教会を束ねる上部組織として教区があり、さらにその上部組織として地区がある。それらのリーダーである教区長、地区長もプロの宗教家である。そしてそれらを束ねる全国の会長がトップにいるという、まさにピラミッド型の組織構造をしている。各教会は自前の不動産を持っている場合もあれば、賃貸の場合もあるが、それらは個人の家とは異なる宗教施設として使われており、こうした施設が全国に数百か所存在している。これらは程度の差こそあれ、多くの宗教団体と同じ形であり、むしろ天照皇大神宮教のほうが特殊なケースと言えよう。

 このようにプロの宗教家と拠点となる教会の不動産を有する家庭連合は、当然それらを維持するための経費を必要とし、それは信者からの献金によって賄われている。ここまでは普通の宗教と同じであるが、家庭連合はそれに輪をかけて非常に献金熱心な教団として有名である。それは単に宗教団体を維持するだけではなく、「地上天国実現」という家庭連合の究極的目的を実現する活動のために、信者たちが熱心に献金するからである。その意味では家庭連合は、天照皇大神宮教とは真逆の、金のかかる宗教であると言える。その熱心さは時として信者の家族や世間から理解されず、批判の対象にもなるくらいである。

<マスコミや文化人の評判>

 島田裕巳は著書『日本の10大新宗教』の中で、「天照皇大神宮教が踊る宗教として広く知られていた時代、その評判は決して悪くなかった。高橋和巳の『邪宗門』にも、天照皇大神宮教をモデルにした教団が登場するが、好意的に扱われている。」(p.93)「作家の深沢七郎も、一九五八年に『婦人公論』でサヨと対談を行っているが、それも深沢の希望で、彼は『蛆虫ども』というサヨの歌説法のいさぎのよさにひかれた。上之郷も『教祖物語』でさまざまな教団を取り上げているが、天照皇大神宮教に対してもっとも好意的である。私の宗教学の後輩にも、北村サヨの魅力について研究をした人間もいる。これだけ好意的に見られてきた新宗教は、かなりめずらしい。」(p.94)と評している。こうした評判のよさは、北村サヨの人柄と、すでに述べた「ノン・プロ主義」が好意的に受け止められたことに起因すると思われる。

 一方で、家庭連合ほどマスコミから叩かれた宗教も珍しいであろう。1967年7月7日付朝日新聞夕刊に「親泣かせの『原理運動』」という見出しの批判記事が出されたのを皮切りとして、日本における統一教会報道は「家庭の破壊」「洗脳」「マインド・コントロール」といった言葉によって彩られ、社会問題を起こしている宗教としてバッシングを受けてきた。米国でドナルド・フレーザー下院議員が統一教会を追求する議会活動を行っていた頃には、日本でも統一教会がKCIAの手先であるかのような報道がなされた。1980年代に入ると、統一教会が「霊感商法」を行っているとの批判キャンペーンが展開された。米国で文鮮明師に脱税の容疑がかけられて裁判が始まり、1984年に最高裁が上告を却下して文鮮明師の収監が決定した際にも、日本のマスコミによって報道された。さらに、元信者らが統一教会を相手取って起こした「献金返還訴訟」「青春を返せ裁判」、合同結婚式による結婚の無効を訴えた「婚姻無効訴訟」などの記事も多く見られる。統一教会の中心的宗教行事である合同結婚式に対する記事も、圧倒的に批判的なものが多かった。こうした傾向は現在に至るまで続いている。

 こうしてみると、天照皇大神宮教と家庭連合に対するマスコミの態度はまさに真逆であると言ってよいほど異なっている。

<教祖亡き後の後継体制>

 北村サヨは1967年に亡くなっているが、その後は孫の清和(きよかず)が継いだ。清和はサヨの長男である義人の長女であり、信仰上の教主の立場である。教団のマネジメントは義人が宗教法人上の「代表役員」として受け持つようになった。義人は教団内では「若神様」と呼ばれていた。義人・香寿子夫妻には清和を含めて男女6人の子供がいる。長女・清和のほかは新聞記者になったり、技術者になったり、海外に留学したり、それぞれの道を歩んだ。新聞記者になった経夫氏は2013年に参議院議員に当選している。

 信仰上の後継者に孫娘がなることは、清和が生まれる前からサヨによって予告・予言されていた。彼女が正式にサヨの後継者として任命されたのは、高校2年生の17歳のときのことで、教団内では「姫神様」と呼ばれていた。しっかりした後継者が定まったことで、天照皇大神宮教は教祖の死後にありがちな分裂を経験しないですんだ。その清和も2006年に亡くなり、現在はその娘である明和(あきかず)が三代目の教主として後を継いでいる。そして義人・香寿子夫妻の長男であり、明和の叔父にあたる北村哲正が教団の代表役員となっている。以上の流れを一つの図にまとめれば、以下のようになる。

北村家系図

 文鮮明師は2012年に亡くなっているが、その後に世界的な統一運動の指導者として全権を相続したのは妻の韓鶴子女史である。文師夫妻には13名の子供がいたが、長男と次男はすでに亡くなっている。有力な後継者と目されていた三男の顕進氏と七男の亨進氏は現在、韓鶴子女史と袂を分かっており、文師夫妻の子女の中で韓鶴子女史と行動を共にしているのは家庭連合の世界会長を務めている五女の文善進氏である。家庭連合の後継体制は現在のところ「夫から妻へ」という形になっているが、これが次の世代にどのように受け継がれていくのかに関しては不確定な要素が多い。

カテゴリー: 北村サヨと天照皇大神宮教シリーズ パーマリンク