BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ36


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

日本は「カルト」の「被害者」を人為的に増やす運用基準を提案している

2/5/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

新しい草案のもとでは、もし反カルトの弁護士や政府が、彼女は被害を受けたと言うなら、本人が否定しても「被害者」にされる。

マッシモ・イントロヴィニエ

文部科学省
文部科学省 Credits.

2023年12月30日、日本で令和5年法律第89号が施行された。それは「特定不法行為等に係る被害者の迅速かつ円滑な救済に資するための日本司法支援センターの業務の特例並びに宗教法人による財産の処分及び管理の特例に関する法律」という長い名前が付いている。これは、2022年の安倍晋三元首相暗殺事件後に政府が行った、反統一教会(現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている)キャンペーンの一環である。暗殺犯の男は教団を嫌い、教団の取り組みに協力した政治家を成敗することを望んでいた。政府は現在、東京地方裁判所に対して家庭連合を宗教法人として解散させる請求を出しており、手続きは進行中である。

より過激な提案は拒否されたが、法律第 89 号は、解散を申し立てられた宗教法人に対し、不動産を処分する前に財産に関する定期報告書を提出し、行政機関に通知するよう命じている。 この法律はまた、特定の状況下で、これらの宗教法人の「被害者」がその団体の財産目録を閲覧して調査することを認めている。

法律第89号は「被害者」の概念が曖昧であると批判されており、文部科学省はこれに対する運用基準案を公表した。これもまた長いタイトルがついており、「特定不法行為等に係る被害者の迅速かつ円滑な救済に資するための日本司法支援センターの業務の特例並びに宗教法人による財産の処分及び管理の特例に関する法律に基づく指定宗教法人及び特別指定宗教法人の指定に関する運用の基準案」となっている。この運用基準案は最終版が成立する前に、パブリックコメントを募集している。

法律第89号によれば、解散請求が提出された宗教法人は、「指定宗教法人」と「特別指定宗教法人」の2種類に分類される。もしある団体に「相当多数」の「被害者」がいれば、「指定宗教団体」に指定されるであろう。もしその財産が散逸する恐れがあれば、その団体は「特別指定宗教法人」とみなされるであろう。「特別指定」のリストに入れられた団体は、財産に関してより厳格な監視の対象となり、その「被害者」(つまり彼らの弁護士)はその法人の所有する物件や口座により容易にアクセスできるようになる。

運用基準は「被害者」と「相当多数」の2つの概念を明確にすることが期待されるが、実際にはあまり明確になっておらず、むしろ文部科学省による主観的で恣意的な評価に広範な裁量権を持たせている。

「被害者」とは、解散請求の根拠となる「特定不法行為」によって被害を受けたとされる人々であると定義され、解散請求が提出される前であっても後であってもかまわない。これらは「特定不法行為に関し、法律上の権利(例えば損害賠償請求権など)を有し得る者」である。

問題は、特定の人物が「特定不法行為」に基づく「法的権利を有し得る」とみなされ、したがって「被害者」とみなされるかどうかを、どのように知るかである。この運用基準は参議院(日本の国会の上院に相当)の法務委員会が2023年12月12日に発表した意見を明示的に肯定して引用している。この意見によれば、「請求等を行う意向がいまだ明確でない者もこの被害者となり」、さらに「すでに賠償等を受けた者」も含まれるという。

参議院本会議場
参議院本会議場 Credits.

法務委員会に敬意をもって申し上げるが、これは無理筋である。このような定義の目的は、単に「被害者」の数を膨らませることであり、宗教団体を相手取った訴訟で勝訴した人々を遙かに超えている。(論理的に、客観的な基準を適用した者たちだけが「被害者」として数えられるべきである。)法務委員会と運用基準によれば、「被害者」には宗教法人と和解して賠償等を受けた人々も含まれるという。しかし、そもそも和解の目的は、争われていることの真実を確立することではなく、当事者間で相互に受け入れ可能な合意に達することによって、それ以上の高額な法廷手続きを回避することにほかならない。ある人が宗教法人との和解に至ったという事実は、その人が「被害者」であることの証明にはならない。

さらに奇妙なのは、宗教法人に対して請求を提起する意向がない人々への言及である。これらの人々は宗教団体に満足している現役信者か、特に恨みを抱いていない元メンバーかもしれない。にもかかわらず、統一教会や他の「カルト」に反対しているキャンペーンの背後にいる反カルト弁護士、メディア、または文部科学省は、たとえ彼らが宗教団体に不満を持っていなかったとしても、そうした不満を持っている「はずだ」と主張するかもしれない。持っていないとすれば、それはおそらく彼らが「洗脳されている」からであり、それゆえに「被害者」としてカウントされるのだ。

文科省が「被害者」としてカウントした人の地位に対して、宗教法人が異議を唱える手続きについては一切の言及がないことにも留意すべきだ。実際上は、しばしば反カルト弁護士から提供された情報に依存している文科省が「被害者」であると宣言すれば、「被害者」自身が「被害者」ではないと否定している場合であったとしても、「被害者」になってしまうのだ。

「相当多数」の「被害者」という概念については、運用基準は「『相当多数』の意味は個別具体的に判断する」と述べているが、「一般的な事案では、数十人程度の被害者があれば、『相当多数存在する』に該当することとなる」としている。大きな組織において「数十人」の苦情が「相当多数」を構成するかどうかについては議論の余地がある。例えば(正確な数字を確定することが私の目的ではなく、例示しているだけである)、文科省が検討した期間に日本の統一教会信者が60万人いたと仮定すると、48名の苦情申立人(「数十人」に相当する仮想的な数)は信者の0.01%未満に過ぎず、この割合では「相当多数」とは思えない。

白い顔の女性
公的な委員会で統一教会の「被害者」が証言する様子の絵画的表現

さらに悪いのは、提案されている数学的な処理だ。運用基準によれば、「個々の被害者を特定して、それらが相当多数存在することを示す必要はなく、相当多数存在する可能性があれば足りる」とされている。実際のカウントを行わない場合、「相当多数」の「被害者」がいるかどうかについて、運用基準が言うところの「相応の可能性」があることをどうやって知るというのであろうか? 運用基準は、「行政機関等に寄せられた相談やその他の情報」によって「確認」されるべきであると答えている。これはおそらく(そして過去の行動様式によれば)、文科省が「背教者」である元信者や反カルト組織と相談することを意味するのであろう。ここでも、標的となった宗教法人がこれらの非常に推測的な数値に異議を唱えるための手続きは存在せず、文科省に虚偽の情報や見積もりを提供する者に対する制裁も存在しない。

運用基準の目的が法律第89号における「被害者」と「相当多数」が意味するものの曖昧さを解消することであるとすれば、その目的達成の試みは壮大な失敗である。いやもしかしたら、明確な回答が示されているのかもしれない。「被害者」が誰であり、何人の「被害者」がいるかは、どちらも文科省に情報を提供する反カルト組織によって決定されるであろう。彼らが指定し評価したことは、たとえ「被害者」に指定された人が自分は全く「被害者」でないと主張したとしても、議論の余地のないものとされるであろう。

これはメディアに煽られた現在の日本の国民感情の副産物に過ぎず、それがどんなに不公正なものであったとしても、世論と議員たちが統一教会を標的としたいかなる形態の罰も支持する原因となっていると信じる者もいるであろう。しかし、ひとたび確立されれば、不人気な宗教団体の「被害者」を特定し数えるための基準は、メディアや反カルト組織が自己の目的のために「カルト」と指定したその他すべてのグループに容易に適用されるであろう。これは日本における信教の自由を葬り去るための、さらなる一歩に過ぎない。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E3%80%8C%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%80%8D%E3%82%92%E4%BA%BA%E7%82%BA%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%A2%97%E3%82%84%E3%81%99/

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