憲法改正について03


③日本国憲法の前文は「コピペ」で成り立っている。

 日本国憲法の草案は連合国総司令部の軍人たちによって急いで作られたために、その「前文」は、歴史上のさまざまな有名な文書の「コピペ」で成り立っているという指摘があります。例を挙げると以下のようになります。

憲法改正について図⑤

 そもそも、日本国憲法の前文はアメリカ合衆国憲法に書き出しの部分が非常によく似ています。「われらとわれらの子孫のために」とか、「自由のもたらす恵沢を確保し」とか、「この憲法を確定する。」という文言は、アメリカの憲法と同じです。ですから冒頭部分はアメリカの憲法にそっくりなのです。また、リンカーンの有名な演説である「人民の、人民による、人民のための政治」を意訳したような部分があると言われています。

憲法改正について図⑥

 マッカーサー・ノートというのは、マッカーサー元帥がGHQのなかで日本国憲法草案を作成するように命じるにあたって、これだけはいれるようにと指示したものですが、その文言を修正したものが日本国憲法前文の中に入っています。さらにテヘラン宣言の中にある「専制と隷従、圧迫と偏狭」という言葉がそのまま使われています。

憲法改正について図⑦

 さらに大西洋憲章の中にある「恐怖と欠乏から解放されて」という言葉もそのまま使われています。またアメリカ独立宣言からひっぱってきたと思われる部分もあります。

 どうしてこのような「コピペ」の文章になってしまったのかと言えば、やはり時間がなかったからであると思います。GHQ民生局で「前文」を担当したのは、アルフレッド・ハッシーという当時44歳の海軍中佐でした。彼はハーバード大学を優秀な成績で卒業し、バージニア大学ロースクールを修了し、入隊前は弁護士や裁判官として活躍していた俊才でした。しかし、いかに俊才であっても、他国の「憲法の顔」というべき前文を数日間で完成させるのはやはり不可能でした。そこで既存の歴史的文書の良いところを寄せ集め、張り合わせて、何とか格好をつけたということなのです。

 私がアメリカに留学していたころに、論文を書くときに一番やってはいけないことは盗作であると教えられました。あっちこっちから「コピペ」して論文を作ってはいけないと言われました。しかし、いかに秀才と言えども、短期間にあまりにも重大な仕事をしなければならなかったために、そうせざるを得なかったのだろうと思います。

 このようにしてできた前文なので、日本の歴史、伝統、文化、国柄などに一切言及しておらず、「日本国の顔」が見えない文章になっています。いかにも英文を翻訳したような口調であり、しかもあまりうまい訳ではありません。もともと英文で書かれたものを日本語訳したので、語句や文法上の誤りがあると指摘されています。日本国憲法はそもそも日本語としておかしいのではないかという指摘です。

④日本国憲法の前文は日本語としておかしい

 こうしたことを最も強烈に主張した人が、衆議院議員と東京都知事を務めた石原慎太郎でした。彼は作家でもあったので、言葉の問題にはとりわけ敏感でした。「民族の感性をそこなう憲法である。全文を書き直すべき。」「およそ日本語らしさを感じられない現在の憲法は文化の破壊に他ならない。」などと痛烈に批判しています。

憲法改正について図⑧

 たとえば、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と言っているのですが、日本語なら普通は「制定する」と言うべきだろうと批判しています。さらに、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」と言っているのですが、日本語なら普通は「信義を信頼し」と言うべきだろうとも言っています。普通の日本語なら、「君を信頼して金を貸す」と言うのであって、「君に信頼して金を貸す」などとは言わないだろうということです。

 なぜこんな表現になったのかと言えば、“trusting in”というもともとの英文に引きずられたのではないかと言っています。

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憲法改正について02


2.日本人が自主的に制定した憲法ではない

 憲法改正をすべき2番目の理由は、日本人が自主的に制定した憲法ではないからです。そこでしばらく、日本国憲法がどのようにつくられたのかについて解説したいと思います。

①日本国憲法はどのようにつくられたのか?

 1945年8月14日に日本政府がポツダム宣言を受諾し、連合国側に終戦を通告します。その翌日の「玉音放送」を通じて日本人は敗戦を知ることになります。日本が敗戦しますと、連合国総司令官としてマッカーサーが日本にやってきます。

 1945年10月11日に、マッカーサー元帥が当時日本の首相であった幣原喜重郎に対し、明治憲法の改正を示唆します。「国の形を変えるには、まず憲法から」というのがマッカーサーの意図でした。

 そこで幣原首相は、憲法問題調査委員会(いわゆる松本委員会)を設置しました。これは松本烝治国務大臣を委員長とし、東京帝大、東北帝大、九州帝大の憲法担当教授などの専門家で組織されていました。松本委員会の憲法改正作業は厳重な秘密のうちに進められていたのですが、1946年2月1日、『毎日新聞』の第1面に突如「憲法問題調査委員会試案」なるスクープ記事が掲載されたのです。松本委員会の案では、天皇の地位と権能は明治憲法をほとんどそのままにしていました。この憲法草案を「あまりに保守的、現状維持的」とした『毎日新聞』によるスクープ記事は、GHQが日本政府による自主的な憲法改正作業に見切りをつけ、独自の草案作成に踏み切るターニング・ポイントとなりました。松本委員会の案があまりにも保守的だったので、マッカーサー元帥はそれを受け入れられないと判断し、最良の方法は総司令部で憲法草案を用意することであるという結論に達したのです。

 そこで、大急ぎで極秘のうちに、連合国総司令部による憲法草案作成の作業が進められました。わずか10日間で草案を書き上げたと言われています。そして同年2月13日に、総司令部によって作成された日本国憲法草案が、民政局長ホイットニー准将の手で吉田茂外務大臣と松本国務大臣に渡されることとなります。憲法草案を渡された両大臣は茫然としました。まず連合国総司令部のアメリカ人たちが日本の憲法の草案を書いたという事実に対して、そしてその草案の内容にも茫然としたのです。そのくらい、当時の日本人にとっては受け入れがたいことだったのです。

 ところがホイットニー局長は、「この草案に沿った憲法改正案が示されなければ、天皇の身体に責任をもてない」と語り、政府に大きなショックを与えました。1946年2月と言えば、まだ東京裁判が始まる前です。天皇陛下が戦犯として裁かれるかどうか、まだハッキリしていなかった頃のことです。天皇陛下をお守りするためにも、これに従わなければならないのではないかと思わざるを得なかったと思います。

 同年2月22日に幣原首相がマッカーサー元帥と会談します。元帥の態度は硬く、結局、大枠はマッカーサー草案に依拠することとなったのです。その結果、日本の文化や歴史をよく知らず、法律の専門家でもない外国の軍人たちが作成した草案が、ほぼそのまま日本の憲法になったのです。この「ほぼ」というのは、日本側の抵抗で修正された部分もあったという意味ですが、骨格はマッカーサーの原案のままだったのです。

②マッカーサーはなぜ新憲法の制定を急がせたのか?

 それではなぜマッカーサーは新憲法の制定を急がせたのでしょうか? その理由の一つに、極東委員会の存在があります。1946年2月26日、戦勝国11か国(米国、英国、ソ連、中華民国、オーストラリアなど)で構成される極東委員会がワシントンで第一回目の会合を開きました。同委員会は、「日本の憲法構造または占領管理制度の根本的改革」に関する最終的な決定権を持っていました。そして極東委員会の中には、天皇の戦争責任を国際軍事法廷で問うべきだと主張している国もありました。

 しかし、マッカーサー元帥はこの極東委員会とは異なる考えを持っていました。彼は天皇を守り、天皇制を存続させるべきだと考えていたのです。彼が日本国憲法案の起草を急がせたのは、天皇を存続させるためにも、極東委員会が動き出す前に、既成事実を作っておく必要があったということなのです。事実、極東委員会はマッカーサー主導で進められていく憲法改正過程に反発していました。

 マッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由については、別の解釈もあります。それが2021年に上映された「日本独立」という映画の中で描かれています。この映画は日本国憲法の成立過程を描いていますので、関心のある方は視聴をお勧めします。

憲法改正について図③

 この映画は白洲次郎と吉田茂を軸に、日本国憲法がドタバタの中でどのように作られたかを描いています。私はこの映画を劇場で見ましたが、「一国の憲法がこんな拙速なやり方で決められていいのか?」というのが率直な感想です。

 この映画の中で描かれているマッカーサーが新憲法の制定を急がせた理由は、じっくりと議論していては、米国が主体となっている日本の占領政策にソ連が口出しをしかねないからというものでした。それでGHQは新憲法案の即決採用を強く求め、そのようなマッカーサーの意思を吉田茂が受け入れて、新憲法が制定されたというストーリーになっています。

 この映画の中では、吉田茂はとりあえずGHQの言うとおりに憲法を制定しておいて、日本が独立して米軍がいなくなってから自分たちで憲法改正したらいいじゃないかと考えていたように描かれています。早く米軍にいなくなってもらい、主権回復すれば憲法はどうにでもなるということです。映画の中で吉田茂が身内に語った冗談に、「GHQとはどういう意味か知ってるか?」「General Head Quartersの略じゃないの?」「いや、Go Home Quicklyの略だ。」「やだー。逮捕されるわよ~。」というやり取りが非常に印象的でした。

憲法改正について図④

マッカーサー元帥と吉田茂

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憲法改正について01


 今回から新しいシリーズで「憲法改正について」をアップします。これはこの問題に関する私の私見を披露するものであって、私が役職を有する組織の公式見解ではないことをお断りしておきます。
初めに憲法改正に必要な手続きについて説明します。

昨年から動き始めた憲法審査会

憲法改正について図①

 憲法改正はどうやったらできるのでしょうか? 憲法を改正するには、具体的にどの条文をどのように改正するのかという改正案が必要です。これをどこで審議してまとめるかというと、「憲法審査会」というところになります。これは衆議院と参議院の両方に設置されていますが、そこで改正案をまとめなければなりません。その上で、その改正案が衆議院と参議院のそれぞれの本会議に提出され、3分の2以上の賛成で可決されます。順番としては、衆議院から始めても参議院から始めても良いのですが、両方で3分の2以上の賛成が必要となります。その後に国民投票にかけられて、過半数の賛成で承認されて初めて憲法が改正されるということになります。これはかなり高いハードルであると言えるでしょう。

 ですから、憲法が改正されるためにはまず憲法審査会が機能していなければならないのですが、実はこの憲法審査会は昨年からようやく機能し始めたのです。憲法審査会は2011年10月20日に活動を開始したのですが、それから10年以上にわたってほとんど機能していませんでした。理由は、立憲民主党や共産党が憲法改正に強固に反対し、そもそも議論に入れなかったためです。言ってみれば、憲法審査会が政争の具となっていたのです。

 しかし、昨年2月の第1回憲法審査会以来、緊急時における「リモート国会」の是非について議論を重ね、意見をまとめることができた等、実績が出てきました。昨年は衆参両院の憲法審査会がほぼ毎週開かれ、憲法改正に絡む討議が例年にないほど行われていたのです。開催を主導していたのは自民党で、日本維新の会や国民民主党の賛同も得て議論の実績を積み上げていました。その意味では憲法改正の機運がかなり盛り上がっていたのです。

 そうした中で、夏の参院選で自民党が勝てば、その後には大型国政選挙のない「黄金の3年」を迎えるはずでした。その間に憲法改正をやろうというのが岸田政権のもともとのプランだったのです。しかし、安倍元首相暗殺事件とそれに続く政局の混乱、岸田政権の支持率低下により、憲法改正は暗礁に乗り上げてしまいました。「黄金の3年間」はどこかに吹っ飛んでしまい、いまは憲法改正に向かう動きはほとんど進んでいません。これが現住所になります。

そもそもなぜ憲法改正が必要なのか?

 では、そもそもなぜ憲法改正は必要なのでしょうか? さまざまな議論があるでしょうが、私は以下の7つの観点から論じてみたいと思います。

憲法改正について図②

1.憲法は施行以来76年間一度も改正されていない

 日本国憲法は、1947年5月3日に施行されてから、76年間、一度も改正されていません。成文化された憲法の中では、日本国憲法は14番目に古いものです。世界の憲法が頻繁に改正される中で、いままで一度も改正されていないということは、「化石憲法」と言ってよい状態になっています。

 1947年当時の日本と現代の日本では、状況が大きく変わっています。憲法も「時代の子」であり、時代に合わせて改正していくことは当然です。憲法を「不磨の大典」視することは意味がありません。

 そして憲法では「戦力を保持しない」と言っているのに、実際には自衛隊が存在するなど、憲法と現実の間に大きな矛盾が生じてしまっています。こうした齟齬を解消しなければなりません。

 さらに近年、諸国の憲法に明記されている「環境の権利・保護」「プライバシーの権利」「知る権利」などの比較的新しい概念が、日本国憲法には明記されていません。これは日本国憲法が古いからですが、こうしたアップデートも必要なのではないかということです。

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統一思想から見たマインド・コントロール理論03


前回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文のアップを開始した。今回はその3回目である。

西田の主張する「永続的マインド・コントロール」のもう一つの欠陥は、社会心理学者を自称する者ならば絶対に避けて通れないはずの数値的なデータによる裏づけが欠如しているという点である。西田は自説を補強するために、さまざまな実験データを引っ張り出してはいるが、そのほとんどが宗教とは直接関係のない実験結果ばかりであり、肝心の彼が「破壊的カルト」と呼ぶ宗教団体の説得術がどのくらい効果的であるかを、数値に基づいて検証したデータは一つもない。つまりこれは実証的研究ではなく、「解釈」にすぎないのだ。

現在では家庭連合に対して極めて批判的な宗教学者の櫻井義秀も、この西田論文の問題点を、「人間が生きるコンテキストを捨象した実験重視のアプローチにある」と批判している。しかも櫻井は、マインド・コントロール論そのものに対しても、非常に批判的だったのである。彼は、「騙されたと自ら語ることで、マインド・コントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。・・・自我を守るか、自我を超えたものを取るかの内面的葛藤の結果、いかなる決断をしたにせよ、その帰結は選択したものの責任として引き受けなければならない。・・・そのような覚悟を、信じるという行為の重みとして信仰者には自覚されるべきであろう。」(櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』1996 年 9 月、北海道社会学会、p.94-95)と述べている。

5.オウム真理教事件と「マインド・コントロール論」

オウム真理教事件が起きたときも、「マインド・コントロール論」が叫ばれるようになった。高学歴の若者たちが教祖の言いなりになって無差別大量殺人事件まで起こしてしまったのであるから、これは普通の状態では起こり得ないと考えられた。独房での修行や、ヘッドギアなどの異様な装置がマスコミで報道されたため、誰もがオウム真理教の信者は強力なマインド・コントロールを受けていると信じて疑わなかった。
オウムの裁判では、「マインド・コントロール論」がもつ危険な側面が明らかになった。たとえ殺人を犯したとしても、それはマインド・コントロール下にあって犯した罪であり、 通常の精神状態ではなかったのだから、減刑すべきであるという論理である。もし「マイン ド・コントロール」が法廷で認められ、本人の自律的主体的判断能力が失われていたと判断 されれば、刑事責任を問うことができなくなってしまう、という事態も考えられたのである。まさに櫻井氏が言うように、「マインド・コントロール論は意図せずに自ら自律性、自己責 任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある」という結果になる可能性があった。しかし、オウム の裁判ではそれは起こらなかった。松本智津夫(麻原彰晃)を含め、重大な殺人事件を起こ したオウム信者は全員が死刑判決を受けた。結果は以下のとおりである。

佐伯一明(殺人・死者4) 2005 年4月7日 死刑確定
松本智津夫(殺人・死者27)2006年9月15日 死刑確定
横山真人(殺人・死者12) 2007年7月20日 死刑確定
端本悟(殺人・死者10) 2007年9月28日 死刑確定
林泰男(殺人・死者12) 2008年12月22日 死刑確定
早川紀代秀(殺人・死者4)2009年7月17日 死刑確定
豊田亨(殺人・死者12) 2009年11月6日 死刑確定
広瀬健一(殺人・死者12) 2009年11月6日 死刑確定
井上嘉浩(殺人・死者15) 2010年1月12日 死刑確定
新実智光(殺人・死者26) 2010年2月16日 死刑確定
土谷正実(殺人・死者13) 2011年3月8日 死刑確定
中川智正(殺人・死者25) 2011年12月8日 死刑確定
遠藤誠一(殺人・死者19) 2011年12月12日 死刑確定

西田公昭は、こうした殺人犯たちの精神鑑定を行っている。実際の裁判においても、遠藤誠一、横山真人、井上嘉浩ら多くの被告たちが、松本死刑囚から「マインド・コントロール」を施されて、地下鉄サリン事件などを起こしたとして、無罪や死刑回避を主張した。西田公昭は、井上死刑囚の鑑定書に「修行を通してマインド・コントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」と書くなど、法廷でも「マインド・コントロール理論」を展開した。しかし、結果は惨敗だった。彼の主張は「マインド・コントロール下の能力減退は認められない」(横山死刑囚の判決)などと全て退けられ、上告した全被告の死刑が確定した。

6.結論

最後に、「マインド・コントロール」に対する素朴な疑問を二つ提示して結論としたい。一つ目は、「そもそも精神操作は可能なのか?」という根本的な疑問である。「洗脳」が可能 かどうかは、中国共産党とアメリカのCIAが真剣に取り組んだが、その結果は失敗だった。大国の国家権力によっても成し遂げられなかった「精神操作」が果たして「カルト」と呼ば れる小規模の素人集団に可能なのか、ということだ。

二つ目は、真の宗教的回心と「マインド・コントロール」を区別できるか、という疑問である。西田公昭の「永続的マインド・コントロール」は、宗教的回心の全般に当てはまってしまうのではないか。宗教的回心は通常、布教者が人の価値観を変えようとする中で起こるものである。だとすれば、この二つに明確な区別をすることはできないであろう。
本稿で筆者に与えられたタイトルは「統一思想から見たマインド・コントロール論」であるが、実はこれが結構難しい。統一思想は哲学的体系であり、形而上学的であるのに対して、「マインド・コントロール論」の是非をめぐる論争は、現時点においては①経験科学的に実証可能かどうかという問題と、②法律によって定義し条文の中に書き込めるかという問題が、中心的な論点になっている。したがって、形而上学と自然科学や法学が噛み合わないような議論の難しさがある。

しかし、マインド・コントロール論を主張する者の世界観には、明らかに反宗教的で唯物的な世界観があることは指摘できる。これが統一思想から見た「マインド・コントロール論」に対する批判のポイントになるであろう。そもそも心理学という学問には、宗教的体験を心理現象に還元しようとする傾向がある。しかし、すべての心理学がそうだというわけではない。そのことを説明するために、象徴的な二人の心理学者の立場を比較してみたい。それがジークムント・フロイト(1856-1939)とウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)である。

フロイトとジェイムズ

フロイトは無神論者で、一貫して宗教を否定的に評価している。フロイトの父母はユダヤ人であり、当時のオーストリアでは差別の対象であった。これを動機として、キリスト教的な神に対する嫌悪感情を抱いたと思われる。その意味でフロイトの宗教憎悪の動機はマルクスに似ていると言えるだろう。

彼は当時急速に発展してきた自然科学と唯物論的世界観に希望を見出し、自然科学こそが人類のすべての苦しみを解決するという「科学崇拝」に到達した。フロイトにとって宗教とは人間の願望から形成された「幻想」であり、病理学的に言えば、強迫観念に取りつかれた神経症である。彼は 1927 年に出版した『幻想の未来』という著作の中で、これまでは宗教という空想の世界が苦しむ者に慰めを与えてきたが、もしも科学がもっと大衆に浸透すれば、人々は宗教という幻想を棄てるようになるだろうと予言している。もちろん、科学が高度に発達した現代においても宗教は存在するので、彼の予言は外れたことになる。

ウィリアム・ジェイムズはアメリカの哲学者だが、宗教学の分野で名著とされている『宗教的経験の諸相』の著者でもある。彼は宗教心理学の草分けともいえる人物だ。英米哲学は概して自然主義的傾向が強いのだが、そのなかにあってジェイムズは際立って宗教的な哲学者だと言える。ジェイムズは宗教現象を超自然的に理解しているが、それは彼の方法論である宗教的経験の分析から得られる結論である。彼の重要な研究テーマのひとつに、人生が一変してしまうような「回心」が起こるメカニズムの解明がある。ジェイムズは回心体験者の証言を科学的に分析し、彼らがしばしば超自然的存在との交流を体験することを事実として扱い、心的な現象に超自然的な働きがあることを排除しなかった。彼の宗教に対する態度は、唯物的なフロイトの態度とは対照的である。

統一思想から見たマインド・コントロール論ということで、あえて結論を出すとするならば、「科学的であることと唯物的であることは同義ではない。『マインド・コントロール論』は、唯物的で反宗教的な世界観に基づいて、宗教的回心を単なる精神操作に貶めようとする疑似科学にすぎない」ということになるだろう。

参考文献

西田公昭『マインド・コントロールとは何か』1995、紀伊國屋書店
西田公昭『「信じるこころ」の科学』1998、サイエンス社
西田公昭『なぜ、人は操られ支配されるのか』2019、さくら舎
櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』1996年9月北海道社会学会
渡邊太「洗脳、マインド・コントロールの神話」『新世紀の宗教』宗教社会学の会編、2002、創元社
大田俊寛「社会心理学の『精神操作』幻想―グループ・ダイナミクスからマインド・コントロールへ」(第70回心身変容技法研究会:2018年9月28日 於:上智大学)
小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』1973、東京大学出版会

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統一思想から見たマインド・コントロール理論02


前回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文のアップを開始した。今回はその2回目である。

3.西田公昭の研究の本質

ここで本稿のターゲットである西田公昭の研究の本質とは何であるか、ということを端的にまとめてみたい。筆者は彼のいくつかの著作と論文を読んだが、言っていることはほぼ同じで、まとめてみれば非常にシンプルである。まず彼は社会心理学の研究者として、フロム、レヴィン、チャルディーニなどの過去の文献を読んで、その理論を勉強した。この理論をAとする。次に彼は「破壊的カルト」と呼んで批判している団体の元信者から聞き取り調査を行っている。この情報をBとする。そしてAの理論をBに当てはめて解釈し、「マインド・コントロール」に関する理論構築を行った。要するにこれだけである。

西田は著書の中で、社会心理学の多種多様な理論や実験に関する情報を紹介している。例を挙げれば、フェスティンガーの認知不協和理論、チャルディーニの影響力論、バーノンの感覚遮断実験、ジンバルドーの監獄実験、プライミング効果論などである。一方で彼は「カルト」と目される諸団体にまつわる多種多様な事例を引き合いに出し、それらに関して同じく多種多様な社会心理学的テクニックを参照しながら説明するのである。それらを結び付ける根拠は、単に「やり方が似ている」ということである。彼がやっていることは、単に「解釈」によってそれらを結び付けているだけで、実際には何も検証していないのである。

西田公昭の主張のオリジナルな部分としては、「一時的マインド・コントロール」と「永続的マインド・コントロール」の区別がある。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.59-60)一時的マインド・コントロールは、個人のいる場に働く拘束力を利用するとされる。つまり、ある個人の置かれた特定の状況における判断や行動の操作を目的に、外部環境からの情報をコントロールすることによって、その人の行動を支配しようとすることである。その影響力は後々には作用せず、「その場限り」あるいは「その状況下」だけのものである。例えば、外部環境から隔離された「修練会」という特殊な環境においては、人の思考に対する影響力が強くなるということである。

しかしながら、これだけではその特殊な環境を離れたら、もはやコントロールすることはできない。「カルト」と呼ばれる教団の信者たちは、常に「修練会」のような特殊な環境にいるわけではなく、そこを離れて日常生活に戻っても信仰を維持しているという事実がある。そこで場の力によらず、環境が変わってもコントロールが可能でなければ、この現象を説明することができない。そこで「永続的マインド・コントロール」という概念が必要になったのである。それは、意思決定のための「装置」までも変容し操作してしまうので、個人のいる場に関係なく影響を与えることができるとされる。

4.西田公昭の研究の欠陥

それでは、西田公昭の研究の欠陥とは何であろうか。第一に、偏向した情報源による方法論の欠陥をあげることができる。西田の著書『マインド・コントロールとは何か』の冒頭には、「東北学院大学の浅見定雄教授、全国霊感商法対策弁護士連絡会の方々、全国各地で活躍されている脱会カウンセラーの方々、そして元破壊的カルトのメンバーたちには、多くの貴重な資料を提供していただいた」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.10)という記述がある。

要するに、教会を離れた元信者からしかデータをとっておらず、現役信者に対する調査は行っていないのだ。しかも、家庭連合反対派の人脈から紹介された元信者たちなので、彼らは基本的に自然脱会者ではなく、拉致監禁を伴う強制改宗を受け、教会に対する敵意を植え付けられた人々である。こうした人々は、家庭連合およびその伝道方法に対して、きわめて強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いので、情報源として公平でない。

さらに、現役信者も元信者も、基本的には勧誘を受けて一度は入信した人々という点では同じカテゴリーに入るが、実はそれ以上に多いのが、勧誘されても結局入信しなかった人々なのである。こうした「説得されなかった人々」も調査しなければ、マインド・コントロールの効果を測定することはできない。渡邊太は、この点について、「入信過程におけるマインド・コントロールの効果を証明するためには、入信した人たちだけでなく、勧誘されても入信しなかった人も含めた被勧誘者全体を調査対象にする必要がある」(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.217-8)と批判している。西田理論のもう一つの問題点は、実験室での結果をそのまま現実の社会過程に適用して しまっているということだ。実験室という特殊な環境で得られた知見が、そのまま現実の社会に当てはまるという保証はない。この点についても渡邊太は、「現実の社会においては無数の媒介変数が存在し、さらに媒介過程が急速に変化する可能性がある・・・現実の社会は極めて複雑であり、実験室の知見を適用した説明がそのまま有効である保証はない」(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.218)と批判している。

もう一つの難点は、「現代の破壊的カルトのマインド・コントロールは心理学や社会心理学の応用技術だ」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.234)と主張している割には、その立証が貧弱であるという点だ。その手法とは「優秀なセールスマンが多用する方法であったり、プロパガンダの常套手段」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.87)であると西田は言うのだが、家庭連合の信者たちがそのような社会心理学を学んで伝道に活かしているという事実はない。そして仮にそうだとしても、それがセールスやプロパガンダの常套手段ならば、日常のどこにでも転がっている合法的な手法であり、それを非難する理由はどこにもないということだ。

それでは西田の主張する「永続的マインド・コントロール」はどのようになされるのであろうか。彼は人の心は、複数の「ビリーフ」によって構成される一つのシステムであるとしている。「ビリーフ」とは通常「信念」を指すが、ここではもっと広い意味で使われていて、「知識」「偏見」「妄想」「ステレオタイプ」「イデオロギー」「信条」「信仰」などはすべてビリーフであるとされる。そして複数のビリーフからなる意思決定の認知システムのことをビリーフ・システムという。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.74-78)

人の意思決定に大きく関わるビリーフに、自己ビリーフ、目標ビリーフ、因果ビリーフ、理想ビリーフ、権威ビリーフなどがあり、人はそれまでの人生を通してこうしたビリーフを形成する。しかし、その人がカルトと出会うと、カルトから「こういう考え方もありますよ」と言われて、カルトのビリーフがその人の心の中に入れ込まれるようになる。

初めはそれまでのビリーフの方が強く機能していて、カルトのビリーフは周辺に小さく存在しているに過ぎない。しかし、カルトによる教化プロセスを通して、カルトのビリーフが次第に大きくなって中心部分に移動していき、逆にそれまでの自分のビリーフは小さくなって周辺に追いやられていく。そして最後はカルトのビリーフが中心的に意思決定を行う装置として機能し始め、もともとのビリーフは活動を停止してしまうようになる。このように、ビリーフ・システムと呼ばれる意思決定の装置を入れ換えることによって、人を永続的にコントロールする技術のことを、西田は「永続的マインド・コントロール」と呼ぶのである。

永続的マインド・コントロール

ビリーフ・システムの変化を説明した西田公昭『マインド・コントロールとは何か』の174ページの図。

しかしこれは、ある人が新宗教に出合い、その教えに共鳴して、教団の中で徐々に自分の
アイデンティティーを確立していく過程を、悪意をもって表現したものに過ぎない。そして、この変化の構造そのものは、ウィリアム・ジェイムズによる回心の描写に非常によく似てい る。ジェイムズは回心の経過を「今までは、当人の意識の外囲にあった宗教的なものが、い まや中心的地位を占め、宗教的目標が当人の精神的なエネルギーの中心として習慣的には たらくようになる」(小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』1973、東京大学出版会、p.84)と説明している。たとえこれが伝道者の働き掛けによって引き起こさ れたとしても、それはどこの宗教においても日常的に起こっていることであり、あえて「永続的マインド・コントロール」などという仰々しい名前を付ける理由はどこにもないのである。

カテゴリー: 統一思想から見たマインド・コントロール論

統一思想から見たマインド・コントロール理論01


今回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文をアップする。

1.序論

筆者は今年3月に『間違いだらけの「マインド・コントロール」論』という本を出版した。この本は副題が「紀藤正樹弁護士への反論と正しい理解」となっているように、主たる批判の対象は紀藤弁護士である。紀藤弁護士は『マインド・コントロール』というタイトルの本を出版しており(紀藤正樹『決定版マインド・コントロール』2017、アスコム)、消費者庁の霊感商法に関する検討会の委員として議論に加わり、その後のいわゆる「救済新法」の法制化や家庭連合の解散命令請求に向けた質問権の行使などの政策決定に大きな影響力を及ぼした。したがって、まずは紀藤弁護士の間違いを指摘することが重要であるという認識のもとに、この本のターゲットが定められた。しかし、紀藤弁護士に対する批判は拙著を読んでいただければよいので、本稿では別の人物をターゲットにしたいと思う。それは西田公昭である。初めに彼の経歴を簡単に紹介しよう。

西田公昭の経歴

立正大学心理学部対人・社会心理学科教授(社会心理学博士)
1960年、徳島県生まれ
関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得
静岡県立大学助手、准教授を経て現職
統一教会に関する訴訟で専門家証言
オウム真理教事件で被告の鑑定人
日本脱カルト協会理事
消費者庁霊感商法検討会の委員

彼も紀藤弁護士と同じく、消費者庁の霊感商法検討会の委員に選ばれており、その会合において「マインド・コントロール」について発表を行っている。彼は全国霊感商法対策弁護士連絡会とも密接に連携して活動をしているが、彼の役割はマインド・コントロール理論の学問的構築にあると思われる。その意味では、学問的に彼を批判しておくことは重要である。

西田公昭について特筆すべきことは、昨年の一連の騒動を受けて、全国の消費生活センターの相談員に、霊感商法におけるマインド・コントロールの概念を教える研修が行われ、そこで西田公昭の監修した動画が教材として使われたということである。いまや消費者庁で「マインド・コントロール」という概念が教えられ、その学問的権威付けとして西田公昭の研究が用いられる時代になったのである。(2023年4月11日付「産経新聞」)

西田公昭については、私の過去の著作で批判済みである。1999 年に出版した『統一教会の検証』(光言社)の第2章において、15ページにわたって彼の主張するマインド・コントロール理論について批判をしている。そのときに基礎資料として用いたのが彼の二つの著作である『マインド・コントロールとは何か』(1995、紀伊國屋書店)と『信じる心の科学』(1998、サイエンス社)であった。これらは既に25年以上前の本なので、最近の著作も読んでおかなければと思って、2019 年に出版された『なぜ、人は操られ支配されるのか』(さくら舎)を読んでみた。印象としては、初期の著作の方がまだ学問的な感じで、最近の本はより一般大衆向けになっており、西田自身がだんだんと学者からアジテーターに変化しているようだ。

2.「洗脳」から「マインド・コントロール」へ

初めに、「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いについて簡単に説明したい。人の心を操作する技術という意味で最初に使われた言葉は「洗脳」で、英語では Brainwashingと言う。この言葉はアメリカで生まれた。朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造についての CIA の報告書がきっかけとなり、ジャーナリストのエドワード・ハンターが、中国共産党の洗脳テクニックについて著書で紹介して以来、一般によく知られるようになった。その後、精神科医のR・J・リフトンが、中国共産党の収容所から帰還した米軍兵士への詳細な聞き取り調査に基づいてまとめた大著が『思想改造の心理』(1961)という本で、これは洗脳理論の古典として知られる著作である。このように「洗脳」はもともと、共産主義者が米軍の兵士に対して試みた思想改造を意味していた。

リフトンは著書の中で、「洗脳」を構成する8つの要素をまとめた。それが、①環境コントロール、②密かな操作、③純粋性の要求、④告白の儀式、⑤「聖なる科学」、⑥特殊用語の詰め込み、⑦教義の優先、⑧存在権の配分である。リフトンの著作により、これらのテクニックを用いれば、いとも簡単に人の心を操れるという神話が生まれ、敵に対する非難や冗談に多用されるようになった。

しかし、これらの手法を使えば、人の心を自由に操ることができ、その人の思想を永続的に変えることができたのかと言えば、実はそうではなかった。洗脳の効果について、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに失敗だと判断されなければならない」(Lifton 1979, p.253)と述べている。すなわち、中国共産党の拘束下にあったアメリカ人は、一時的あるいは表面上の服従を示していただけで、心の底から共産主義者になったわけではなかった。収容所から解放されてアメリカに戻れば、彼らは元の人格を取り戻したのである。

実はそれくらい、精神操作に抵抗する自我の力は大きいということが分かったのである。まずここに大きな問題がある。洗脳やマインド・コントロール理論を唱える論者のほとんど は、マインド・コントロール理論の先駆的業績としてリフトンの研究を参照しているのだが、洗脳の有効性を否定するリフトンの結論については触れずにすませているのである。(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.210)

それでは「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いとは何だろうか。洗脳とは物理的監禁や、拷問、薬物や電気ショックなどを含めた強制的な方法で、人の信念体系を変えさせる手法を指す。しかし、どの研究報告も、洗脳は「一時的な、行動上の服従しかもたらさなかった」と結論している。

一方でマインド・コントロールとは、身体的な拘束や拷問、薬物などを用いなくても、日常的な説得技術の積み重ねにより、しかも本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまう、「洗脳」よりもはるかに洗練された手法を指すと解説されている。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.51-52)問題は、洗脳のように強制的な手段を用いても人の信念体系を変えさせるのは困難だとされているのに、日常的なコミュニケーションの積み重ねだけではたして精神操作が可能なのかということだ。

カテゴリー: 統一思想から見たマインド・コントロール論

『世界思想』巻頭言シリーズ12:2023年2月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第11回の今回は、2023年2月号の巻頭言です。

民主主義の根幹を揺るがす「関係断絶」決議と闘う

 昨年12月23日、一般社団法人UPF大阪が、富田林市と大阪市を相手取って民事訴訟を提起した。これは昨年9月に富田林市議会が「旧統一教会と富田林市議会との関係を根絶する決議」を可決し、11月に大阪市会が「旧統一教会等の反社会的団体の活動とは一線を画する決議」を可決したことに対して、これらの決議の取り消しを求め、損害賠償を請求する訴訟である。

 提訴の理由は、これらの決議が日本国憲法が保障する請願権、思想良心の自由及び信教の自由を侵害し、法の下の平等に違背するというものだ。「根絶」という言葉は通常、病原菌に対して使われる言葉であり、それを宗教団体に対して使うのは論外であり、人権感覚のかけらも感じられない。また、これまでに国が旧統一教会を「反社会的団体」と規定したことは一度もないにもかかわらず、一地方議会がこのような断定的な言い方をするばかりか、「一線を画する」という表現で、事実上の関係断絶を宣言するのは、理不尽としか言いようがない。

 宗教法人である世界平和統一家庭連合(旧統一教会)とUPFは創設者が同じであり、互いに友好団体である。しかしUPFの目的は布教伝道ではなく社会活動である。UPFは刑事事件を起こしたこともなければ、民事訴訟で敗訴したこともない。しかし、友好団体である家庭連合に関わるトラブルが問題とされ、UPFは家庭連合の「関連団体」として一括りにされて批判され、排除されているのである。

 UPF大阪は訴訟に先立ち、大阪市会と富田林市議会の両方の全議員に対して、請願の依頼を文書で送ったが、誰一人としてこれに答えた者はおらず、決議によって事実上請願権が侵害されていることが明らかになった。
 民主主義は、さまざまな個人や団体の社会参画を通じて、議決で物事を決めていく制度である。そして地方議会は、地方公共団体が設置する議決機関である。そこが特定の団体との関係を持たないと宣言するのは、憲法上の問題があり、民主主義の根幹を揺るがす大問題である。

 そもそもこれら二つの決議の原因は、昨年7月8日に起きた安倍元総理暗殺事件にあると言える。事件発生から何か月経っても、事件そのものの真相解明が全く進まない中で、マスコミは家庭連合とその関連団体の糾弾に明け暮れ、それに政治が動かされるという異常事態が続いていた。日本社会全体がおかしな方向に向かっており、その中で家庭連合およびその友好団体に関わる人々は、深刻な差別と人権侵害にあってきたのである。

 その中には復興支援やバザー売上金の寄付の返還、行事への後援取り消し、団体登録や公認の取り消し、会場使用の拒否、ボランティア活動への表彰取り消しなど、行政による法的根拠に基づかない差別や排除も含まれる。地方議会の議決はその最たるものだ。

 元東京地検特捜部検事の高井康行弁護士は、昨年12月25日付の産経新聞で、現在の社会的雰囲気あるいは風潮に自由主義社会とは相容れないものを感じ取り、「全体主義が微笑んでいる」と警鐘を鳴らした。UPFは今後、こうした全体主義的傾向に抗い、請願権、思想良心の自由、信教の自由、法の下の平等を守るために闘っていく。

カテゴリー: 『世界思想』巻頭言シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ23


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、私が一部の日本語訳を担当したこともあり、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。昨年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降の日本における家庭連合迫害の異常性を、海外の有識者がどのように見ているかを理解していただくうえで大変有益な内容であると思われたので、私の個人ブログでシリーズ化して紹介することにした。

日本はなぜ統一教会・家庭連合に対して信教の自由を保障すべきなのか: 日本政府に対する意見書

07/03/2023BITTER WINTER

宗教・信教の自由の著名な専門家であるウイリー・フォートレ、ヤン・フィゲル、マッシモ・イントロヴィニエ、アーロン・ローズの4名が増大する魔女狩りの終焉を要求
ビター・ウインター

ビター・ウインター

左からウイリー・フォートレ、ヤン・フィゲル、マッシモ・イントロヴィニエ、アーロン・ローズ

2023年6月14日

内閣総理大臣 岸 田 文 雄 殿

外務大臣    林  芳 正 殿

文部科学大臣 永 岡 桂 子 殿

私たちは、安倍晋三元内閣総理大臣の悲劇的な暗殺事件後、日本で浮上した宗教・信仰の自由への脅威についての重大な懸念をお伝えすべく、本書面をお送り申し上げます。

私たちは、宗教・信仰の自由の分野で長い経験を積んできた学者であり、人権活動家です。私たちは、日本の数千年にわたる文化と活気ある民主制度に感銘を受けている日本の友人でもあります。私たちの多くは、全体主義政権による人権及び宗教・信教の自由の侵害に抗議する必要があった際、国際的な場で日本を貴重な同盟国として捉えてきました。

Table of Contents
1. 前提としての一般論
2. 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に対する攻撃
3. 「霊感商法」問題
4. 家庭連合信者に対する強制的脱会説得による人権侵害
5. 反教会活動における背教者の役割:イギリス政府の対家庭連合事件の失敗
6. 教会の自律的組織運営権に対する脅威
7. 家庭連合の解散は、日本を国際的な非難に晒し、非民主的国家における宗教の自由の侵害を正当化する

前提としての一般論

まず最初に、この問題に対する私たちの見解をご理解頂くために不可欠な一般論を3つご紹介いたします。

第1に、世界中で宗教・信仰の自由を擁護してきた長い経験から、「カルト」という汚名を着せられることで少数宗教の権利が否定されると私たちは認識しています。宗教研究者の多くは、20世紀最後の数十年間以来、「カルト」という用語の使用を断念してきました。「カルト」は科学的な内容を持たず、特定の少数派を悪魔視し抑圧するためだけに使われます。2022年12月12日、欧州人権裁判所はTonchev and Others v. Bulgaria事件の判決において、過去の判例法を変更し、主流の学者の意見を容れ、「カルト」やラテン語の「セクト」に由来する英語以外の言語の用語は、汚名を着せられた団体の構成員の「宗教的自由の行使に否定的な影響を与える可能性がある」と述べ、公的な政府文書に使用すべきではないと判示しました。また、「洗脳」も、20世紀以降、宗教研究者やアメリカ合衆国及び欧州諸国の法廷により信憑性を否定された概念です。それは、「良い」宗教は信者獲得のために洗脳を行わないのに対し、「悪い」「カルト」は行うと主張することによって、差別を助長せんとする擬似科学的概念です。誤った「洗脳」概念は、特定の少数宗教の成人会員を拉致し、棄教するまで違法に拘束し、様々な暴力に晒し続けるという犯罪的な強制的脱会説得を正当化するためにも用いられました。

1993年、国連人権委員会は、宗教・信仰の自由に関し、日本が加盟し批准した市民的、政治的権利に関する国際人権規約第18条に関する一般的意見第22号を採択しました。

この一般的意見第22号第2節は、人権規約第18条に関して以下のように述べています。

・「宗教」「信仰」概念は広く解釈されるべきである

・人権規約第18条の適用は、伝統的な宗教に限定されるものではなく、伝統的な宗教と類似する制度的特徴や実践を行う宗教・信仰に限定されるべきでもない
・それゆえ人権委員会は、新宗教であることや、敵意の対象となり得る少数宗教であることなどの様々な理由により、宗教・信仰に対して差別的傾向があることに懸念を抱いている

これは重要なポイントです。多数派や人気のある宗教はその人気によって保護されます。人権規約第18条は、いかなる理由によるにせよ、一部の人々から敵意を向けられる可能性のある少数宗教も保護することを国家に求めています。

・第2に、少数宗教を攻撃する際、反対派やメディアはしばしば「背教者」と呼ばれる元信者に依存します。「背教者」というのは侮蔑的な用語ではなく、デビッド・ブロムリーその他の主要な社会学者によって導入された専門的な概念で、グループを脱会した元信者の中で元のグループに対し攻撃的に反対する少数者のことです。「背教者」は「元信者」と同義語ではありません。ほとんどの元信者は背教者ではなく、彼らは自分がいた宗教に対する闘争に興味を持っていません。人間の苦難は常に尊重されるべきであり、背教者の言説は無視すべきではありません。しかし、背教者は大多数の元信者を代表するものではなく、自分たち固有の目的を持っており、彼らの話は、元の宗教の現実よりもむしろ、彼らの感情や彼らが採用したイデオロギーを伝えるものでしかないと、学者たちは何度も警告してきました。
・第3に、我々の世俗社会には、政治活動に積極的な信者がいる宗教団体に対する広範な敵意が存在しています。政教分離は重要な民主主義の原則ですが、他の市民と同様に、宗教者にも国家の政治に参加する権利があることを肯定することも重要です。また、特定の少数宗教に対する批判がしばしば政治的理由から提起されつつも、「カルト」や「洗脳」といった話法のせいで政治的目的が隠されてしまうことに我々は気づくべきです。

統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に対する攻撃

これらの背景は、日本における統一教会(世界平和統一家庭連合、「家庭連合」)の状況や、その宗教法人格を剥奪する動きに対する私たちの懸念を理解する上で重要です。統一教会・家庭連合は、反カルト運動家によって、「洗脳」を用いる「カルト」として攻撃される宗教団体の典型例です。

日本では、統一教会・家庭連合に対する攻撃は1987年以来、全国霊感商法対策弁護士連絡会(「全国弁連」)が主導してきました。全国弁連を設立した弁護士のほとんどが政治的な動機を持っていたことを多くの報道や学術文献が述べています。全国弁連は、反共活動及び反共保守派政治家への支援を効果的に行っていた統一教会及び統一教会と同じ創始者が始めた国際勝共連合とを、攻撃したいと考えたのです。

「霊感商法」問題

「霊感商法」とは、購入者に霊的恩恵をもたらすとして物質的価値をだいぶ上回る価格で販売された特定工芸品の販売を批判するために、統一教会の反対者がレッテル貼りした用語です。実際には、統一教会は組織としてこのような販売活動に関与してはいませんでした。一部のメンバーが行っていたことです。統一教会はこの分野での逸脱行動に対し措置を講じ、2009年のいわゆる「コンプライアンス宣言」以降、統一教会信者によるこのような販売活動は実質的になくなりました。安倍元首相暗殺事件前には、苦情件数は年数件にまで減少し、こうした販売活動は過去の問題と見なされ得る状況でした。統一教会・家庭連合は、この問題だけでなく他の件でも、刑事事件で有罪とされたことは一度もなく、宗教法人格剥奪を正当化する条件は全く存在しません。

ほとんど機能していなかった「霊感商法」反対キャンペーンが安倍元首相暗殺事件後に復活したのです。あらゆる宗教団体で一般的な単なる献金が、「非物質的な霊感商法」という奇妙で自己矛盾した言い方をされるようになりました。

家庭連合信者に対する強制的脱会説得による人権侵害

しかし、これらの議論の中で欠落していたのは、より深刻な犯罪である強制的脱会説得でした。この悪辣な犯行は、日本では統一教会に反対する弁護士らによって積極的に支援され、1970年代から2015年に後藤徹氏の事件で最高裁判決が下されるまで続きました。後藤氏は家族と脱会説得者により12年以上にわたって監禁された統一教会信者です。甚大な暴力と苦しみが伴う強制的脱会説得は、日本における統一教会・家庭連合とその反対派との間の熾烈な関係を理解しようとする際に、常に考慮されるべきです。

反教会活動における背教者の役割:イギリス政府の対家庭連合事件の失敗

他の類似事例同様、統一教会・家庭連合に反対する活動は、ほんの数人の背教者にほぼ依存しています。その中の1人は「小川さゆり」という仮名を用い、反統一教会の全国弁連により大々的に宣伝され、日本の首相にまで紹介されました。他の背教者同様、彼女の話の主要かつ重要な部分は明らかに虚偽であり、国際的な宗教の自由に関する専門誌『Bitter Winter』(過去4年間の米国国務省の宗教の自由に関する報告書で200以上の記事が信頼できる情報源として引用されている)や、受賞歴のある日本のジャーナリスト福田ますみ氏によって明らかにされています。

これは意見の次元の問題ではありません。小川さゆり氏の両親は、彼らの娘の話が誤りであることを証明する数十の文書を提出しています。両親の話は重要な証拠に裏付けられており、小川さゆりの話よりも真実味がないとの偏見を持つ理由はないため、首相や他の日本当局が小川氏の両親からも話を聞くべきだったと私たちは問題提起させていただきます。

重要な先例として、イギリス政府は、1984年に「反カルト運動」からの要請に基づき、イギリスの統一教会から「慈善団体の地位(日本の宗教法人格に非常に類似)」を剥奪すべく、背教者の統一教会に関する証言にほぼ全面的に依存するという不適切な行動を採りました。背教者の多くは、プロの強制的脱会説得専門家によって強制的に棄教させられており、大多数はイギリスやアメリカにおける反カルト運動の影響を受けていました。この事実が統一教会の代理人弁護士らによって暴露されると、政府の主張は崩れ、政府はその主張の完全な取下げを余儀なくされ、現在の価格で約6百万ドル(8.5億円)以上相当の費用を支払わされました。この事件の結果、イギリス政府は反カルト活動家との協力関係をやめ、その代わりINFORMという組織を通じて新宗教運動の学術的な研究者と協力するという決定を下しました。

小川氏などの背教者に依存することは、適正手続や正義の尊重までもが疑われる典型例であり、この件で深く憂慮されるところです。統一教会・家庭連合に対する敵対的証言が組織的に優遇され、攻撃的な反家庭連合活動家が家庭連合問題を扱う公式な委員会に参加し、それと異なる意見や証言が真摯に考慮されていないように私たちには見受けられます。

教会の自律的組織運営権に対する脅威

私たちはまた、宗教団体への献金や子どもへの宗教教育の分野に導入された措置について懸念しています。これらの措置は、家庭連合だけでなく、エホバの証人など他の団体に対しても、自分たちが良かれと思うところに従って自律的組織運営をなし、宗教上の原則に従って信仰生活を送る権利を危険にさらすものです。民主主義国家においては、彼らが多数派と異なることは、彼らへの保護をしなくなる理由にはなりません。少数派グループや極めて多くの反対者らを持つグループにも宗教・信仰の自由が保障されて初めて、宗教・信仰の自由が認められているといえます。

家庭連合の解散は、日本を国際的な非難に晒し、非民主的国家における宗教の自由の侵害を正当化する

宗教・信仰の自由に関する国際的コミュニティは、日本における現状を注視しています。なぜなら、今世紀の民主主義国家における宗教・信仰の自由に対する最も深刻な危機だからです。私たちは、日本国内及び国際社会において、宗教・信仰の自由を支持し擁護する全ての組織が私たちの訴えを支持すると期待しています。家庭連合の解散は、中国やロシアの少数宗教に対して採られる措置に匹敵するものであり、民主主義国では前例のない行動です。また、日本を国際的非難に晒すことになります。さらに、日本政府がこの行動を進めた場合、世界中の独裁的・全体主義的国家による宗教団体への攻撃を正当化することになり、国際人権機関が行っている宗教の自由を保護する努力を損なうことになります。

私たちは、日本政府に対して、以下の3点を強く求めます。

1 強力で財力豊かな党派性のある敵対勢力に対峙している団体を含む、日本で活動する全ての宗教・信仰団体の宗教・信仰の自由を保護すること
2 宗教・信仰の自由に対し脅威となる措置を取り下げること
3 家庭連合が、宗教法人として、信教の自由を平和に行使できること

私たちの申入れに目を通して頂けましたことを心より感謝申し上げます。

心を込めて

ウイリー・フォートレ

ヤン・フィゲル

マッシモ・イントロビーニエ教授

アーロン・ローズ博士

署名者紹介:

ウィリー・フォートレは、ベルギー教育省やベルギー議会で職責を務めたことがあります。1988年に彼が創設しブリュッセルに拠点を置く国連NGO「国境なき人権」においてディレクターを務めています。彼の団体は、人権一般に限らず、歴史的な宗教、非伝統的な宗教、新宗教に所属する個人の権利も擁護しています。この団体は非政治的で、どの宗教からも独立しています。

彼は25以上の国々で人権と宗教の自由に関する事実調査を行ってきました。彼は様々な大学で宗教の自由と人権分野の講師を務めています。また、大学の学術誌に国家と宗教の関係についての多くの論文を発表しています。彼は欧州議会で複数の会議を主催しており、その中には中国における宗教・信仰の自由に関するものも含まれています。彼は長年に渡り、欧州機構、欧州安全保障協力機構(OSCE)、そして国連において宗教の自由のための提唱活動を展開してきました。

ヤン・フィゲルは、元欧州委員会(EU)教育委員(2004年?2009年)であり、スロバキアの元副首相(2010年?2012年)です。これらの職責に先立ち、彼はスロバキアのEU加盟交渉の主席交渉官及び外務省の国務長官として成功を収めてきました。1989年、スロバキアのキリスト教民主主義運動(KDH)の創設に参加し、2009年から2016年まで党首を務めました。彼はスロバキア議会の副議長として4年間務めました(2012年?2016年)。

2016年から2019年まで、彼はEU外での宗教・信仰の自由促進のための初代EU特使として任命され、キューバ、イラン、パキスタン、スーダンで、宗教・信仰の自由を侵害された受刑者の釈放に重要な役割を果たしました。

彼は現在、国際信教・信仰自由連盟という政府間ネットワークの国際専門家評議会員であり、また国際宗教自由サミットという市民社会主導組織のグローバル・リーダーシップ評議会委員でもあります。

マッシモ・イントロヴィーニェは、イタリアの宗教社会学者であり、主流学術出版社から出版された70冊以上の宗教社会学分野の書籍の著者です。2011年には、アメリカとカナダも参加する欧州安全保障協力機構(OSCE)において、「人種差別・異文化排斥・宗教的不寛容及び差別」廃絶分野の代表を務めました。2012年から2015年までは、イタリア外務省が設立した「宗教の自由監視機関」の議長を務めました。彼は宗教の自由と人権に関する日刊誌『Bitter Winter』の編集長でもあります。

アーロン・ローズは、ヨーロッパの宗教の自由フォーラム会長及び国際教育ネットワークであるコモン・センス・ソサエティの上級幹事です。彼は1993年から2007年まで国際ヘルシンキ人権連盟の事務局長を務め、その後、イラン人権国際キャンペーンの創設者となりました。ローズは『人権の軽視』(Encounter Books、2018年)などの著書や、ウォールストリートジャーナル、ニューヨークタイムズ、ニューズウィークなどの出版物に多数の記事を執筆しています。彼は、人権への貢献に対してオーストリア共和国の名誉市民に任命されるなど、様々な栄誉を受けています。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e7%b5%b1%e4%b8%80%e6%95%99%e4%bc%9a%e3%83%bb%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e9%80%a3%e5%90%88%e3%81%ab%e5%af%be%e3%81%97%e3%81%a6%e4%bf%a1%e6%95%99%e3%81%ae%e8%87%aa/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ22


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、私が日本語訳を担当したこともあり、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。昨年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降の日本における家庭連合迫害の異常性を、海外の有識者がどのように見ているかを理解していただくうえで大変有益な内容であると思われたので、私の個人ブログでシリーズ化して紹介することにした。

米国務省の信教の自由に関する2023年版報告書:敵に厳しく、味方に甘い

05/29/2023MASSIMO INTROVIGNEA

中国、ロシア、イラン、パキスタンの悪行に関しては素晴らしい記述、米国の政治的同盟国による信教の自由侵害に関しては控えめな表現

マッシモ・イントロヴィニエ

ブリンケン国務長官
2023年版報告書をメディアに紹介するアントニー・J・ブリンケン米国務長官。出典:米国国務省

もともと中国問題だけを取り扱う雑誌として2018年に発行を開始した『Bitter Winter』は、毎年、米国務省の信教の自由に関する報告書の中国の項目を称賛と感謝の思いをもって読んでいる。この報告書は常に包括的であり、学術的なアプローチはとっていないものの、情報が豊富で分析が深く、中国内の宗教に関する最高度の学術的な文書に匹敵すると言ってもよいだろう。2023年の報告書は2022年を対象としており、チベット仏教徒やウイグル族およびトルコ系イスラム教徒を始め、カトリックの「良心的兵役拒否者」やプロテスタント系家庭教会に至るあらゆる宗教に関して、中国における宗教または信仰の自由(FoRB)の状況はさらに悪化していると指摘している。

また、「中国政府は、CAG(全能神教会)や法輪功などの宗教団体を『カルト』と見なし、学齢期の子供たちを対象にした『邪教』に対するプロパガンダを続けている」と正しい記述がなされている。人権擁護団体によると、中国政府は中国共産党が政権に敵対的であるとみなすあらゆる団体を「邪教」に分類するようになり、裁判所は、「邪教」として公式リストに載っていない団体にも「邪教」に対する処罰の適用を増加させている。

特にこの報告書では全能神教会の年次報告書を引用し、「1年の間に、当局は数千人の会員を逮捕し、そのうちの何人かに強制教化や、殴打、睡眠遮断、そして体に負担がかかる姿勢の強要などの身体的虐待を行い、少なくとも14人が死亡した」と指摘している。

「Bitter Winter」の読者にとってこれらのことに聞き覚えがあるとすれば、それは例年と同様、国務省の報告書の中国に関するセクションが、ほぼすべての項目において本誌を引用し、多数の本誌記事に依拠しているからである。さらに重要なことは、報告書が具体的な事実や事件に関して信頼できる情報源として「Bitter Winter」を引用しているだけでなく、中国における宗教的自由の悲惨な状況についての本誌の分析の重要な要素も共有しているということである。

中国における全能神教会の迫害
中国における全能神教会(CAG)の迫害を描いた匿名のCAGアーティストの作品

また、ドイツ(差別的な「セクトフィルター」について)やロシアに関する項目でも本誌が引用されていることからわかるように、中国以外の国の宗教または信仰の自由の侵害に関する本誌の比較的新しい項目がこの報告書の情報源となっていることも嬉しいことである。ロシアの状況は以前よりも悪化していて、「当局は『過激派』、『テロリスト』、そして『望ましくない』と指定されたグループを信仰していたり、所属していたり、または関係をもっていたりすることを理由に、調査、拘留、投獄、拷問、身体的虐待、財産の押収を続けており、そこにはエホバの証人、クリミア・タタール人のメジュリス、ヒズブ・タハリール、タブリージャマート、トルコのイスラム神学者サイード・ヌルシの信者、サイエントロジー教会、法輪功、そして複数の福音主義プロテスタント教会などが含まれている」という報告に私たちも同意している。

パキスタンに関する項目の報告者は、特定の情報源についてほとんど言及せず、しばしば「人権団体」や監視団からの情報であると一般的に述べているが、私たちは「Bitter Winter」が欧米における唯一のあるいは最初の情報源である項目をいくつか確認している。しかしさらに重要なのは、パキスタンが、アフマディー教団、ヒンズー教、キリスト教などの少数派宗教の信者にとって「信仰を理由に残酷、非人道的、または卑劣な扱いや不法監禁を受ける国」であるという私たちの評価を、この報告書が権威をもって確認したということだ。そしてこの報告書には、バハイ教の信者に対する「組織的な迫害」について貴重な詳細が記載されたイランに関する報告をはじめ、他にも多くの優れた項目が存在する。

イランのバハイ教の学生の秘密の会合
(国の高等教育システムから排除されている)イランのバハイ教の学生の秘密の会合

米国務省の年次報告書を作成している部署の友人であり称賛者でもある私たちには、いくつかの批判的な意見も述べることが許されるであろう。2023年の世界は、2022年の世界とは違う。民主的な国々がロシアによるウクライナへの侵略戦争と中国による台湾への新たな脅威に直面していることで何かが変わった。米国務省はNGOではない。政治的な機関であるので、宗教または信仰の自由に関しても、敵や競争相手とみなされる国と、米国の同盟国との区別が考慮されるのは理解できる。

それにしても、2022年には民主主義国家でも宗教または信仰の自由に関して非常に深刻な問題が見られたことで、宗教的不寛容のウイルスから免れる国はないという多くの専門学者の分析が事実だったと確認された。特に、2020年にUSCIRF(米国際宗教自由委員会)によりそのルーツと基本的に詐欺的な性質が暴露された『反カルトイデオロギー』により不当に「カルト」の汚名を着せられているグループにとっては非常に深刻な問題となっている。

政治的な背景を考えると、同盟国にも宗教または信仰の自由の侵害問題が存在することが行間から伝わってくるのだが、その記述は必ずしも強くないのである。最も顕著な例が日本である。日本では2022年に安倍晋三元首相が、彼の統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)に対する友好的な態度を成敗したかったという男に暗殺された。

暗殺者は、現在も家庭連合の会員である母親が、家庭連合へ過度な献金をしたことで2002年に破産したと主張している。暗殺事件後、家庭連合に対する空前の誹謗中傷キャンペーン が行われ、それはエホバの証人など「カルト」のレッテルを貼られた他の団体にも及び、宗教運動が献金を募る自由や、宗教団体の信者が自分の子供を信者にすることを制限する法律や規制をもたらす結果となった。

報告書では、「9月と10月、パリに拠点を置くNGO、『良心の自由のための団体と個人の連携(CAP-良心の自由)』は国連人権委員会に一連の声明を提出し、安倍元首相暗殺以来、統一教会が日本で『不寛容、差別、迫害のキャンペーン』の被害者となったと述べた。統一教会側は、否定的なメディアの注目の結果、メンバーが攻撃、暴行、殺害予告を受けたと述べている」と報告している。さらに同報告書は日本の新法に対して、宗教または信仰の自由に関する懸念を表明している。

ティエリー・ヴァレ氏
CAP-良心の自由のティエリー・ヴァレ氏oの写真:ピーター・ゾーラ―

しかし同報告書は、家庭連合やエホバの証人に対する攻撃は「信教の自由に関することではなく」、会員や社会に与えた「害」に関するものであるという典型的な反カルトの立場も同じように扱っている。また、カルトのレッテルを貼られたグループの「背教者」である元メンバーの公での証言にも言及しているが、そのような「背教者」の中で最も目立つ元家庭連合メンバーの小川さゆり(仮名)の話が、賞も受賞している日本のフリー・ジャーナリストによってほとんど嘘だと論破されていることは無視されている。

私たちは信教の自由に関する報告書において、信教の自由に反対する人々と賛成する人々の立場が同等に尊重されるべきだとは思わない。正直なところ、私たちは、特定のグループに「カルト」のレッテルを貼ることを偏見とみなすアメリカの伝統的な立場を、日本の状況の報告においても貫いてほしかったと思っている。同じ2023年の報告書のロシアと中国に関する項目においては、この立場が繰り返し取られているからである。

米国の同盟国であるということで、宗教または信仰の自由の侵害で「ソフト」な扱いを受けているもう一つの事例がフランスである。報告書は「分離主義」に対する法律への異議申し立て、当局のイスラム恐怖症に対する非難、フランス政府の反カルト機関MIVILUDESによるエホバの証人に対する横柄な扱いについて言及をしてはいる。

報告書には「エホバの証人は、セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部(MIVILUDES)の会長が5月にポッドキャストに出演し、そこでエホバの証人が自分たちに関して『明らかに事実と異なる』情報だと報告している内容を特集したと報告している。内務省はこのポッドキャストをウェブサイトに掲載し,他の政府機関もこのアカウントをリツイートした。11月、同省は,ポッドキャストの内容に対する異議を詳述したエホバの証人の声明を掲載した。また、エホバの証人は年次報告書の中で、MIVILUDESがエホバの証人をフランス語で否定的な意味合いを持つ「セクト」とした根拠となる情報を開示する法的義務を果たしていないとも述べている。エホバの証人はさらに,MIVILUDESが「セクトの異常」を記述した年次報告書は,客観的な調査をほとんど受けていない匿名の苦情に基づくものであると述べている」と記載されている。

エホバの証人
パリで伝道するエホバの証人たち 出典:jw.org。

同報告書はまた、「3月23日、サン=ドニ市長は、サイエントロジー教会が同自治体内で購入した建物を改修し、本部と修練所にすることを許可する許可証に署名した。前年の2021年12月、裁判所はこのような許可を拒む自治体の政令は『権力の乱用』であると判断した」と言及している。しかし同時に、フランスでは 「サイエントロジー教会は宗教団体ではなく、世俗的な団体の地位にある」と、誤った報告もしている。

批判的なコメントもあるが、宗教の自由を常に侵害しようとする反カルトのMIVILUDESや、民間の反カルト団体に対するフランス政府のスポンサーシップという組織的な問題を考えると、それらはどこかマイルドなものだ。フランスにおけるサイエントロジーとエホバの証人に対する嫌がらせは、言及された事件をはるかに超えており、他のいくつかのグループも不当に標的にされている。

最後に、台湾を保護し支援する必要性を理解しつつも、「この1年間、信教の自由を侵す重大な社会的行為の報告はなかった」という報告文書にはいささか違和感を覚える。私は4月に代表団を率いて台湾を訪れ、4つの大学で行われた会議に参加し、管理院と立法院を訪問し、この2つの機関の指導者と面会した。学識経験者、政治家ともに、特定の宗教・精神運動に影響を与えている税務問題や、国際的な専門メディアや学術雑誌で何十本もの研究・論文が掲載されている太極拳事件については非常によく理解していた。報告書が太極拳事件にまったく触れなかったことは理解しがたいものである。

台湾訪問
4月に台湾を訪問し立法院(国会)院長の游錫?氏と面会したCESNUR-Human Rights Without Frontiers-Bitter Winter代表団のマルコ・レスピンティ、ロジータ・ショリテ、ウィリー・フォートレ。

先に述べたように、この論評は、国務省の報告書の多くの優れた、非常に素晴らしい項目を読むことや、貴重な資料とすることを妨げることを目的としたものではない。米国の重要な同盟国である特定の国に対する過剰ともいえる甘さについては、ウクライナ戦争による一時的な現象であることを祈るばかりである。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%81%AE%E4%BF%A1%E6%95%99%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B2023%E5%B9%B4%E7%89%88%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%EF%BC%9A%E6%95%B5/

カテゴリー: BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ

BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ21


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、私が日本語訳を担当したこともあり、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。昨年7月8日に起きた安倍晋三元首相暗殺事件以降の日本における家庭連合迫害の異常性を、海外の有識者がどのように見ているかを理解していただくうえで大変有益な内容であると思われたので、私の個人ブログでシリーズ化して紹介することにした。

日本の宗教献金法 4. 洗脳の復活

02/04/2023MASSIMO INTROVIGNEA

洗脳は、新宗教研究家らによって、すでに20世紀に疑似科学として論破されていた。それが今、日本で復活している。

マッシモ・イントロヴィニエ

4本の記事の4本目

岸田首相
「洗脳」が存在すると説得されたのか? 日本の岸田文雄首相。出典:日本政府

献金に関する日本の新法には、非常に問題のある第3条第1項があり、寄付者の「自由意思を抑圧」することによって寄付を得る可能性に言及している。

この言葉がどのようにして法律に盛り込まれることになったのかについては、日本のメディアも伝えている。ある記事によると、この法律が議論されている間、「一部の野党や弁護士から、『洗脳』の結果として金銭が支払われた場合、寄付の取り消しや疑わしい団体の構成員の処罰を可能にする条項を設けるよう求める声が上がったという。こうした声を受け、岸田内閣は、寄付者の『自由意思を抑圧しない』ことを法人に求める条項を盛り込むことを決めた…。」

私は、既に信憑性が否定された「洗脳」のような概念を日本が法制化したがっているという私の最初の理解が正しかったことを、ここで確認することができた。問題は、寄付を募る宗教家と寄付候補者との対話の中で、後者の「自由意思を抑圧」することが本当に可能かどうかである。私は寄付者が心神喪失状態にある場合を除外しようと思う。なぜなら、この場合、一般的に言って、彼らの意思は「自由」ではなく、したがって、抑圧されるべき自由意思は存在しないからである。

精神的な判断能力のある正常な人に限って言えば、宗教活動で行われているとされる「洗脳」の問題は、宗教研究者の間で最も議論されたことの一つである。その圧倒的多数が、すでに前世紀に、洗脳は人気のない少数派宗教を差別するために使われる疑似科学的理論であると結論付けている。

古くは、宗教の中にはあまりにも奇妙なものがあり、正気の人間が入信することは考えられないと主張された。そのような宗教の入信者は、黒魔術を使われたに違いない。この理論は、中世から近世にかけてのヨーロッパでは異端者に対して、中国では中世以降「邪教」(「異端の教え」のことであり、最近の西洋の言葉では「邪悪なカルト」と訳される)に対して、のちに日本ではキリスト教徒に対して使われた。19世紀には、黒魔術は催眠術に世俗化され、例えばモルモン教が催眠術で改宗者を獲得したと言われた。

「洗脳」は、冷戦時代、CIAが中国やソ連に対するプロパガンダのために作った言葉である。CIAの工作員で「マイアミ・デイリー・ニュース」記の肩書きを持つエドワード・ハンターが1950年に「洗脳」という言葉を作り、それはソ連や中国が「普通の」市民を共産主義の狂信者に変えるために使う不思議な手法であると主張した。

エドワート・ハンターの「洗脳」
CIA工作員エドワード・ハンターが1950年に「洗脳」を「発明」。Twitterより。

皮肉なことに、冷戦初期の激しい論争が収まると、左翼の精神科医と共産主義者はその後数十年間、共産主義ではなく、宗教を攻撃するために「洗脳」という言葉を用いた。彼らは、ほとんどの宗教的回心は、邪悪な精神操作のテクニックが働いているという前提なしには説明できないと主張した。

精神科医のウィリアム・サーガントは、1957年の著書『心の戦い』で、洗脳はすべての宗教で行われていると主張したが、彼はキリスト教を最もひどい例として挙げた。しかし、反カルト運動が成長したその後の数十年間、アメリカの心理学者マーガレット・シンガーなどの反カルト主義者は、すべての宗教が洗脳を行うわけではないと主張した。まっとうな「宗教」は信者を洗脳しないが、一部の宗教だけが洗脳を行っていて、それは「カルト」だと主張したのである。

その後、学界と法廷の両方で激しい論争が繰り広げられた。宗教学者の多くは、シンガーとその追従者を知的詐欺師として非難し、反カルト主義者が気に入らないのは特定の宗教活動の説得技法ではなく、その教義であると主張した。民主主義国家の法廷で教義を攻撃することは不可能なので、彼らは、彼らが嫌う運動が洗脳によって信者に損害を与えていると主張することで、宗教そのものに対する批判ではなく表面上世俗的理由による批判を始めたのである。

マーガレット・シンガー
マーガレット・シンガー。

新宗教運動の現代科学的研究の創始者であるアイリーン・バーカーは最近、「洗脳のような概念を使う人は、しばしば、その結果に到達した過程よりも結果をもとに判断している。彼らは、自由意思でその結果に到達するような人がいるということは受け入れがたいと主張している」と書いている。

バーカーはまた、1984年に発表した統一教会に関する代表的な研究において、文鮮明師の運動によってアプローチを受けた者のうち入信する者の割合と、数年後自然離脱する者の割合は、主流の宗教で見られるものと同様であり、比較的に低いことを実証した。これらのデータは、現在日本で見直されている、統一教会が「被害者」の「自由意思を抑圧」することができるという説とは相容れない。

アイリーン・バーカー
アイリーン・バーカーは1984年に出版した統一教会への入信に関する本で、「カルト」は「宗教」とは異なり信者を入信させるために「洗脳」を用いるという説を否定している。

この戦いは結局、「洗脳」も「自由意思の抑圧」もないことを実証した学者たちが勝利したのである。ほとんどの民主主義国家で、裁判所は洗脳説を否定した。イタリアでは、1981年に憲法裁判所が「プラッジョ」(ファシスト政権によってイタリア法に導入された「洗脳」に似た犯罪)に関する刑法の条文を削除した。米国では、1990年のカリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所の「フィッシュマン」判決により、新宗教運動を攻撃するための洗脳理論の主張に事実上終止符を打った。学界では、ウィリアム・アシュクラフトが2018年に出版した新宗教運動の学術研究に関する権威ある教科書で述べたように、「洗脳」を信じて反カルト運動を支持するごく少数の学者は、宗教学の本流から離脱して、「カルト研究」という反体制の分科会を設立しなければならなかったが、それは「主流の学問ではない」のである。

フランスは世俗的ヒューマニズムの伝統が強いので例外だったが、2001年に「カルト」に対する法律が成立したときでさえ、学者、主要宗教者、及び上級裁判官の広範な抗議によって、議会は当初の草案にあった「精神操作」への言及を削除した。ただし残念ながら「被害者」の一部が置かれるかもしれない「心理的服従」状態への言及は残った。スーザン・パーマーや他の研究者が示したように、フランスの法律の施行は、弱者に強く、強者に弱いものであった。その結果、最高の弁護士や専門家を動員する資源のない小さな団体の指導者が有罪判決を受け、投獄されることになった。一方、大きな団体は抵抗し、宗教活動が信者の自由意思を抑圧するために強力な技術を用いるという主張は単なる疑似科学的神話であると法廷を説得できたのである。

当然のことながら、日本の反カルト主義者たちは、宗教的自由のより強い伝統を持つ米国や他の国々の好例にではなく、フランスとその2001年法の悪い例に日本が従うべきことを示唆している。

「洗脳」、「マインド・コントロール」、「霊感商法」と呼ばれる手法によって、入信者、信者、寄付者の「自由意思を抑圧」することは可能なのか? 新宗教運動を真剣に研究してきた圧倒的多数の学者達の答えは「ノー」である。日本の新法における自由意思の抑圧への言及は、混乱とエンドレスな法廷闘争、そして宗教の自由への深刻な脅威を生み出すだけであろう。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e5%ae%97%e6%95%99%e7%8c%ae%e9%87%91%e6%b3%95-4-%e6%b4%97%e8%84%b3%e3%81%ae%e5%be%a9%e6%b4%bb/

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