実況:キリスト教講座19


キリスト教と日本人(7)

 さらに、日本のキリスト教の歴史に残る人々の中に、「かくれ切支丹」とか、「潜伏切支丹」と呼ばれる人々がいます。さきほど、踏み絵の話をしました。殉教者というのはどういう人たちであるかというと、踏み絵を踏まないで、断固棄教を拒否して、キリシタンであることを告白し続ける、そして自分の生命を捧げるという形で信仰を表現した人々でした。これがまさに殉教者でした。ところが、別のやり方で信仰を表現しようとした人々もいたということです。すなわち、踏み絵を踏めと言われたときに、その場では踏み絵を踏んで、「神様、イエス様、申し訳ありません」と家に帰って悔い改めのお祈りをして、生き延びて、そして子供に信仰を伝えていくという道を選んだ人たちがいたわけです。これが、「かくれ切支丹」とか、「潜伏切支丹」と呼ばれる人々の歴史であります。

 そしてなんと、驚くべきことに、そのように隠れてキリスト教の信仰を伝えながら、7代250年にわたって子々孫々ずーっと信仰を維持していったグループが存在するのです。これもまた本当に驚くべきことです。だって、7代250年ですよ。一言でいうのは簡単ですけれども、例えば私たちは祝福家庭であるわけですが、祝福家庭が二世に信仰を相続するのが簡単でしょうか? 大変難しい問題があるわけです。なぜなら、統一教会の評判が世間でよろしくないので、子供が「こんな評判の悪い宗教に入りたくない」と反抗した場合に、親はどうしたらよいか分からないというようなことがたくさんあるわけです。すなわち、迫害されていて、世の中で不利益を被るような信仰をどうして子供に相続させなければならないのかということで、親は人情としては悩むわけです。ただ信仰があるから、子供に「この信仰を相続しなさい」と教育するわけですが、必ずしもすべての子供がそれを受け入れていくわけではないという現状があります。

 そのように、私たちは二世に信仰を相続させるのに、いまこの時点でも苦労しているわけです。しかし、いま日本の状況というのは少なくとも信教の自由が保障された民主主義社会です。ということは、統一教会の信仰を持っているというただそのことだけで、逮捕されるとか、拷問にあうとか、ましてや死刑になるなどということは絶対にない社会です。でも、信仰を相続するのは大変なんです。

 キリシタン時代はどうだったかというと、親が信じる信仰をもし子供に伝えたら、その子供がその信仰を受け入れて、熱心に信仰すればするほど、もし発覚してお役人に捕まったら、殺されるかもしれない、そういう信仰ですよ。親としてどうでしょうか。この信仰を伝えたら殺されるかもしれないというような教えを、どうして子供に伝えるのか、ということですよ。それはもう、ものすごい信仰なわけです。それでも彼らは伝え、伝えて、7代250年ずーっと伝えたということですから、これもまた恐るべき信仰であります。殉教に勝るとも劣らない、ある意味ですごい信仰だということになるわけです。

 しかも、これはカトリックの信仰なんですね。カトリックというのは信仰のタイプとして、司祭様がいて典礼を行ってくれないと保てないようなタイプの信仰なんです。でもバテレン追放令で司祭が全部出て行ってしまったので、信徒の群れしか残されていない。その中でキリスト教の儀式を守りながら、秘密裏に、役人に捕まらないようにいろんな工夫をしながら、信仰を維持してきたわけです。その工夫の一つがこの「マリア観音」です。

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 お役人が来たら、これは観音様ですと言うわけですが、心の中ではマリヤ様だと思って信じるわけです。そのようにさまざまな偽装をしながら信じ続ける。こういうことをやってのけたということも、実はキリスト教の歴史上、他に類例のないことなんですね。ですから日本民族というのはとても珍しい民族で、他に類例がないくらい過酷な迫害を行った民族であると同時に、他に類例がないくらいすさまじい信仰を見せた民族でもあるわけです。そういう人たちが私たちの祖先にいるということです。

 ですからこういう苦しい状況を通ってきたキリシタンたちに対して、神は慰めをたくさん与えていて、いろんな証しがあります。長崎には、外海と書いて「そとめ」と読む地方がありますが、外海地方では殉教したバスチャンという名の日本人伝道師の残した予言を信じ、未来に希望を託してきました。「コンヘソーロ(告白を聞く神父)が、大きな黒船に乗ってやって来る。どこでも大声でキリシタンの歌を歌って歩ける時代が来る」という預言が伝えられ、「七代たてば、よか世になる」と信じられていたわけです。それでみんなは7代たてば迫害が終わるんだということを信じてずーっと待ち続けたわけです。そしたら、7代250年経ったら本当にペリーという人が黒船に乗ってやってきて、それから開国されて、キリスト教が解禁になっていったということで、まさに神が与えたとしか思えないような預言が、苦難の中にあるキリスト教徒に伝えられていったわけであります。

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 さて、その日本の開国でありますが、これはカトリックというよりはプロテスタント側の努力が開国に向けて進められていったということになります。日本の開国がどこを起点して行われたかというと、琉球、すなわち沖縄なんですね。カール・ギュツラフ(1803-1851)という宣教師がいました。この人は中国で活躍したドイツ人宣教師だったんですが、1832年の8月に、琉球の那覇に寄港いたします。当時の琉球王国は薩摩藩の支配下にあったため、基本的にキリスト教は禁止でした。しかし、琉球は鎖国といってもそんなに厳しくなくて、結構ゆるかったんですね。ですから、彼は一週間那覇に滞在して、国王に漢訳聖書を贈呈し、さらに役人や民衆にも配布したわけです。当時、日本人の漁民が船に乗って流されて中国に漂着するということがありましたが、彼は中国で日本人の漂流漁民を引き取って、彼らから日本語を学びました。そして、ヨハネの福音書を日本語に翻訳するという作業をした人です。

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 これが「ギュツラフ聖書」と呼ばれるもので、最初のプロテスタント版の和訳聖書です。どんな訳がなされたかというと、非常に面白くて、例えばヨハネ伝1章1節の現在は「初めに言があった。言は主と共にあった。言は神であった」と訳されているこの部分が、当時の日本人とのやり取りの中でどう訳されていたかというと、「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル カシコイモノワゴクラク」と訳したんですね。なぜこの「言」が「カシコイモノ」と訳されたかというと、この「言」はギリシア語では「ロゴス」と言って、知恵という意味もあったんですよ。だから「カシコイモノ」と訳して、「神」という言葉は、創造主の概念は当時の日本にはなかったわけですから、「ゴクラク」という仏教用語でしか表現できなかったということになります。とにかくこのようにして、聖書やキリスト教の概念を日本語に訳すということが始まったわけです。

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 このギュツラフと関係して「モリソン号事件」というものが起こります。1837年7月に、ギュツラフと宣教師S・ウィリアムズがモリソン号という船に乗って、この自分たちが保護していた日本人漂流民7人を日本に帰してあげようというとても親切な目的で、日本上陸を試みたんです。ところが当時は鎖国中でありますので、外国船打ち払い令によって、日本側の砲撃を受け、上陸をあきらめて退却せざるを得ませんでした。この「モリソン号事件」については、三浦綾子という作家が『海嶺』という小説で描いております。映画にもなっておりますので、DVDなどがあれば見てくださればと思います。このときの経験からギュツラフは、その後もなんとか日本を開国させたいという情熱を持ち続けます。

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