解散命令請求訴訟に提出した意見書08


7.日本における「マインド・コントロール言説」に関する判決
 ①「マインド・コントロール」言説が否定され、統一教会が勝訴したケース
 「マインド・コントロール」なる概念が日本の法廷で初めて争われたのは、いわゆる「青春を返せ」裁判においてである。これは、統一教会を脱会した元信者らが統一教会を相手取って起こした集団訴訟であり、原告らの主張の内容はおよそ以下のようなものである。
「われわれは統一教会の名前も実態も知らされないまま虚偽の勧誘を受け、正常な判断能力を奪われて入信させられた。その結果、長期にわたって精神的に抜き差しならない状況に置かれ続け、違法な行為(いわゆる霊感商法をはじめとする経済活動)に従事させられ、この間ただ働きであったので、その逸失利益、慰謝料等の請求をする」。

 こうした訴訟は札幌、東京、新潟、名古屋、神戸、岡山など全国各地で起こされたが、全国で初めて下された判決が、1998年3月26日の名古屋地裁判決であった。この訴訟では、統一教会を相手に元信者の女性6人が総額6千万円余の損害賠償を求めていた。これに対して稲田龍樹裁判長は原告側の請求を棄却する判決を下し、「マインド・コントロール」に関しては以下のようにはっきりと否定している。
「原告らの主張するいわゆるマインド・コントロールは、それ自体多義的であるほか、一定の行為の積み重ねにより一定の思想を植え付けることをいうととらえたとしても、原告らが主張するような効果があるとは認められない。」

 その後、控訴審で原告側と教会は和解している。

 続いて、1999年3月24日の岡山地裁判決でも統一教会側が勝訴し、この判決は確定している。

 さらに、2001年4月10日の神戸地裁判決でも統一教会側は勝訴しており、原告がいわゆるマインド・コントロールを受けていたかに関しては以下のように判断している。
「(原告らが)信仰に至る過程において、被告あるいは被告の教義の内容及び入信後の信者の生活や活動についての情報が不足していたとは認められず、外部との接触も遮断されておらず、被告あるいはその信者による原告らに対する勧誘、教化行為が詐欺的、洗脳的であるとはいえず、原告らは自己の主体的自律的判断において信仰を持つに至ったものであり、被告や信者らの勧誘、教化方法は違法とはいえない」
「(原告らは)主体的自律的意思決定をなしえない心理状態にあったとはいえない」

 このように、「マインド・コントロール」を完全に否定し、統一教会が勝訴した判決が複数存在するのである。

 ②統一教会は敗訴したが、「マインド・コントロール」言説を認めなかった判決
 1998年6月3日にもう一つの「青春を返せ」訴訟に対して岡山地裁が下した判決が存在する。これは、統一教会を相手に元信者の公務員男性が200万円の損害賠償を求めた裁判であった。この判決で小沢一郎裁判長は、「原告図子は最初に勧誘を受けてから棄教・脱会に至るまで約1年5カ月の期間を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階毎に自ら真摯に思い悩んだ末に、自発的に宗教的な意思決定をしているというほかはない」と述べ、勧誘や教化のあり方についても「社会的相当性を逸脱したものとまではいえない」として、原告側の訴えを退けている。つまり、一審判決は名古屋地裁判決と同様に「マインド・コントロール」を否定し、統一教会が勝訴していたのである。

 しかし、原告は控訴審で逆転勝訴し、これが最高裁でも認められて、統一教会の敗訴が確定することとなった。この判決において、広島高裁は「マインド・コントロール」なる概念に対して判決で以下のように判示した。
「なお本件においては、控訴人がマインド・コントロールを伴う違法行為を主張していることから、右概念の定義、内容等をめぐって争われているけれども、少なくとも、本件事案において、不法行為が成立するかどうかの認定判断をするにつき、右概念は道具概念としての意義をもつものとは解されない(前示のように、当事者が主観的、個別的には自由な意思で判断しているように見えても、客観的、全体的に吟味すると、外部からの意図的操作により意思決定していると評価される心理状態をもって『マインド・コントロール』された状態と呼ぶのであれば、右概念は説明概念にとどまる)。」

 「道具概念」とか「説明概念」というような難解な用語を用いており、素人には何を言いたいのか分かりにくいのであるが、難しいものの言い方をかみくだけば、マインド・コントロールという概念(考え方)は心理状態を説明しているだけで、不法行為が成立するかどうかを判断するときの道具には使えない、と言っているのである。

 結局、広島高裁判決は「マインド・コントロール」概念を採用せず、それは脇に置いておいて、布教行為や勧誘行為の目的、方法、結果が社会通念上認められる範囲を逸脱しているかどうかを判断し、この個別の事件に関してのみ、不法行為として認定したに過ぎない。裁判所は一般論として「マインド・コントロール」の存在とその違法性を認めたわけでもなく、統一教会の勧誘行為が「マインド・コントロール」であると認めたわけでもない。

 実は、名古屋地裁における敗訴と、この広島高裁での判決をきっかけとして、元信者が統一教会を訴える「青春を返せ」裁判はその戦略を大きく転換することになる。すなわち、原告側は「マインド・コントロール」といったような法律用語として成立しない漠然とした主張をやめ、「正体を隠した伝道」や「不実表示」を理由に法的責任を問う戦略に切り替えたのである。

 結局、「マインド・コントロール」の存在やその効果は立証できないので、勧誘の目的、方法、結果の各要素の具体的な反社会性、違法性を主張する方向に方針を変え、「青春を返せ訴訟」は「違法伝道訴訟」と呼ばれるようになった。その結果、札幌「青春を返せ」裁判で、原告側が勝訴し、東京「青春を返せ」裁判で統一教会側が和解金を支払う形で和解が成立するなど、原告にとって有利な展開となった。しかしこれは、「マインド・コントロール」の主張をやめたからこそ得られた結果であるといえよう。その後も、少なくとも統一教会を相手取った民事訴訟では、「マインド・コントロール」を違法性の根拠とした判決は出ていない。

8.なぜ「マインド・コントロール言説」を信じる人がいるのか?
 これまで述べてきたように、「マインド・コントロール言説」は疑似科学であり、その効果は科学的に証明されていないし、裁判において違法性を裏付ける根拠としても認められていない。にもかかわらず、「マインド・コントロール」なるものが存在するとかたくなに信じる人々がいるのはなぜかをここでは扱いたい。

 すでに述べたように、「ディプログラミング」を実践する反カルト運動が「マインド・コントロール」を主張するのは、新宗教への入信過程が自由意思によるものであった場合には、自分たちのやっていることは単なる誘拐と監禁になってしまうので、自己正当化の論理として、「マインド・コントロール」が必要なのである。これはビジネス目的ということになる。しかし、こうした反カルト運動の論理を、新宗教に入信した若者たちの両親や、ディプログラミングを受けた信者自身が受け入れてしまうのはなぜなのだろうか? 

 ①親や親族はなぜ「マインド・コントロール」言説を信じるのか?
 この点に関して島田裕巳氏は興味深い指摘をしている。
「娘や息子が宗教団体に走ってしまったことに困惑した親たちは、自分のかわいい子どもが自発的に宗教団体に入信したとは考えない。そして、子どもたちは宗教団体の巧みな勧誘のテクニックによってだまされて入信したのだという結論を下す。洗脳とかマインド・コントロールということばが持ち出されるのも、子どもたちがだまされたということを強調するために都合がいいからである。」(注30)

 渡邊太氏はこの指摘を敷衍して、親はご都合主義的にマインド・コントロール論を使っているわけではなく、親の視点からは子どもが本当にマインド・コントロールされているに違いないと感じられるのだということを、「感情論理」という概念を用いて説明している。これはF・ハイダーのバランス理論によって説明できる対人関係の認知と感情のメカニズムで説明できるということだ。

 要するに、親と子どもと「カルト」という三者の関係において、親の視点から見ると、子どもと「カルト」の関係は親が直接関与できない領域なので、想像や空想が投影されやすい。一方で子どもに対する感情と「カルト」に対する感情は自分の直接体験である。親が子どもを愛しており、かつ「カルト」に対して不信の思いを抱いているとすれば、親としては愛する子どもがいかがわしい「カルト」を本気で信じているというのは、心理的なバランスが悪いのである。それで「親から見ると、子どもはカルトに救いを求めているが、カルトの方は子どもたちを騙して搾取しているのだ、と感じられるのである。」(注31)

 これは男女の三角関係でも同様のことが起こるであろう。例えばA君がB子さんを好きだったとする。ところがB子さんがプレイボーイとして評判の悪いC君のことが好きなようだという話を聞けば、A君は素直にその事実を受け入れられず、B子さんが本当にC君のことが好きなはずがない、純真なB子さんは言葉巧みなC君に騙されているに違いないと考えるであろう。このように人間の認識には常に「感情論理」が関わってくるのである。
渡邊太氏は、「洗脳やマインド・コントロールといった概念は、何かを説明する科学的概念というよりは、感情論理にしたがって腑に落ちるという感覚をもたらすイデオロギー的な概念といえる。価値多元主義的な社会状況において、単純で分かりやすい理解の枠組みとして、洗脳、マインド・コントロール理論は機能する。」(注32)と結論づけている。

(注30)島田裕巳「マインド・コントロール社会の到来」『imago』第4巻9号 1993年、p.227
(注31)渡邊太前掲書、p.231
(注32)渡邊太前掲書、p.233-4

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解散命令請求訴訟に提出した意見書07


 島田裕巳氏は「宗教とマインド・コントロール」と題する論文の中で以下のように述べている。
「洗脳が批判の対象とされたとき、洗脳そのものが問題にされたわけではなかった。ある集団が洗脳を行っていると批判したのは、その集団とイデオロギー的に対立している側の人間たちであった。つまり、洗脳は敵対する集団を批判するための道具ないしは武器として使われたことになる。これは、マインド・コントロールについても共通している。マインド・コントロールの疑いをかけられるのは、社会的に問題があるとされている教団であり、そういった非難を浴びせるのは、教団からの脱会者や脱会工作に従事している人間たちだからである。彼らは、マインド・コントロールの事実によって、その教団を批判しているわけではなく、教団に対する批判を広く社会に受け入れさせるためにマインド・コントロールが行われていると告発しているのである。

 実際にマインド・コントロールが行われているかどうかが問われる前に、まず、教団についての評価が前提とされている。問題があるとされている教団が説いているのは、まちがった教えであり、普通の人間はそれを信じたりはしない。にもかかわらず、そういった教団に入信する人間が生まれるのは、その教団が巧みなマインド・コントロールによって、勧誘の対象となった人間の心をあやつり、だますようにして入信させているからだというのである。脱会工作が正当化されるのも、マインド・コントロールの存在が前提とされている。」(注23)
「マインド・コントロールということが事実として存在するのか。それは、洗脳以上にあやしい。ハッサンなどのように、マインド・コントロールの危険性を訴える人間たちは、問題となる宗教団体では人間の心を支配する巧みな方法を開発しているかのような印象を与えようとしているが、実際にそれほど効果的な方法が開発されているようには思えない。
破壊的カルトとして批判されている宗教団体であっても、信者を入信させるため行っている研修会などのプログラムは基本的に単純である。教団の教師や先輩の信者が行う教義の講義が中心で、途中に歌や祈りがはさまれる。教える側はきわめて熱心であり、それが勧誘の対象となる人間に伝わることはあるが、それ以外に特殊な方法が用いられるわけではない。」(注24)
「マインド・コントロールの問題について議論する際には、どの教団が対象となっているかが重要である。マインド・コントロールの有無よりも、その教団に対する社会的評価の方がはるかに重要な意味を持っている。社会に定着した既成教団の場合には、信仰の選択が制限されたとしても、マインド・コントロールの批判が寄せられることはない。むしろそれは、信教の自由として保護の対象とさえ見なされるのである。
マインド・コントロールということばは、結局のところ、きわめて便宜的に使われていると考えざるをえない。マインド・コントロールの方法も効力もあいまいなうえ、多くは特定の教団を批判するための道具として使われる傾向がある。」(注25)

 櫻井義秀氏は、「マインド・コントロール言説」について分析した論文の中で、「以上の考察で、カルトが本来的に人を騙す組織であり、参加者は多かれ少なかれマインド・コントロールされ、被害者になっているというのは、主観的にも客観的にも事実そのものではなく、そのようなものとして認識するという構図から構成された評価的事実であることが明らかになった。反カルト運動家や職業的ディプログラマー(脱洗脳家)が自己の行為を説明するためにマインド・コントロール論を用いるのは当然であろう。」(注26)と述べている。

 櫻井氏のマインド・コントロールに対する批判は、実は手厳しい。
「最後に、マインド・コントロール論の騙されたという言い方に筆者が徹底してこだわりたい理由を述べておきたい。マインド・コントロールとは、自己の経験を自分と第三の社会的勢力が二重に解釈した語り口でしかない。騙されたと自ら語ることで、マインド・コントロール論は意図せずして自ら自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。信仰者は、教団へ入信する、活動をはじめる、継続する、それらのいずれの段階においても、認知的不協和を生じた諸段階で、自己の信念で行動するか、教団に従うかの決断をしている。閉鎖的な、あるいは権威主義的な教団の場合、自己の解釈は全てエゴイズムとして見なされ、自我をとるか、教団(救済)をとるかの二者択一が迫られることがある。自我を守るか、自我を超えたものをとるかの内面的葛藤の結果、いかなる決断をしたにせよ、その帰結は選択したものの責任として引き受けなければならない。その決断の時点で、当人に責任能力があったか、なかったかという証明をその時点に遡って行うことは不可能である。むしろ、決断の自由、自己責任を認識、倫理上考慮することで、人間の自律性という主張ができると考える。そのような覚悟を、信じるという行為の重みとして信仰者には自覚されるべきであろう。」(注27)

 大田俊寛氏は、西田公昭氏の「マインド・コントロール理論」はカルトのみならず宗教的回心の全般に当てはまってしまうのではないか、と批判している。そもそも「マインド・コントロール」が可能なのかについても、「現実的には、本人に動機・関心がないにもかかわらず、カルト的団体に加入するということは、少なくとも管見の限りでは、まったくあり得ない」「マインド・コントロール論者はしばしば、自らの理論が『科学』的であり、『再現性』によって裏づけられていると主張するが、それは明らかな虚偽であると言わなければならない。」(注28)と述べている。

 大田氏はさらに、マインド・コントロール論の弊害として、法秩序の崩壊を挙げている。
「裁判で扱われる様々なケースにおいて、当人の行動の一つ一つに対し、『マインド・コントロールされていた』可能性を考慮に入れ始めると、審理をスムースに進めることは著しく困難になる。また、そういった理由から犯罪への処罰が減免されるということになれば、個人の主体性に立脚する近代の法秩序は、根底から瓦解することになる。」(注29)

(注23)島田裕巳「宗教とマインド・コントロール」『季刊AZ』33、1994年11月、p.126-7
(注24)島田前掲書、p.128
(注25)島田前掲書、p.129
(注26)櫻井前掲書、p.91
(注27)櫻井前掲書、p.94-5
(注28)大田前掲書、p.60
(注29)大田前掲書,p.62

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解散命令請求訴訟に提出した意見書06


②西田公昭氏の「マインド・コントロール言説」
 立正大学心理学部対人・社会心理学科教授の西田公昭氏は日本における「マインド・コントロール理論」の第一人者であると言われている。彼は全国霊感商法対策弁護士連絡会とも密接に連携して活動をしているが、彼の役割はマインド・コントロール理論の学問的構築にあると思われる。ここでは彼の二つの著作『マインド・コントロールとは何か』(1995、紀伊國屋書店)と『信じる心の科学』(1998、サイエンス社)に基づき、その「マインド・コントロール言説」を分析する。

 西田公昭氏がこれらの著作の中で言っていることは、まとめてみれば非常にシンプルである。まず彼は社会心理学の研究者として過去の文献を読んで、その理論を勉強した。この理論をAとする。次に彼は「破壊的カルト」と呼んで批判している団体の元信者から聞き取り調査を行っている。この情報をBとする。そしてAの理論をBに当てはめて解釈し、「マインド・コントロール」に関する理論構築を行った。要するにこれだけである。

 西田氏は著書の中で、社会心理学の多種多様な理論や実験に関する情報を紹介している。例を挙げれば、フェスティンガーの認知不協和理論、チャルディーニの影響力論、バーノンの感覚遮断実験、ジンバルドーの監獄実験、プライミング効果論などである。一方で彼は「カルト」と目される諸団体にまつわる多種多様な事例を引き合いに出し、それらに関して同じく多種多様な社会心理学的テクニックを参照しながら説明するのである。それらを結び付ける根拠は、単に「やり方が似ている」ということである。彼がやっていることは、単に「解釈」によってそれらを結び付けているだけで、実際には何も検証していないのである。

 西田公昭氏の研究の欠陥とは何であろうか。第一に、偏向した情報源による方法論の欠陥をあげることができる。西田氏の著書『マインド・コントロールとは何か』の冒頭には、「東北学院大学の浅見定雄教授、全国霊感商法対策弁護士連絡会の方々、全国各地で活躍されている脱会カウンセラーの方々、そして元破壊的カルトのメンバーたちには、多くの貴重な資料を提供していただいた」(注16)という記述がある。

 要するに、教会を離れた元信者からしかデータをとっておらず、現役信者に対する調査は行っていないのだ。しかも、家庭連合反対派の人脈から紹介された元信者たちなので、彼らは基本的に自然脱会者ではなく、拉致監禁を伴う強制改宗を受け、教会に対する敵意を植え付けられた人々である。こうした人々は、家庭連合およびその伝道方法に対して、きわめて強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いので、情報源として公平でない。

 さらに、現役信者も元信者も、基本的には勧誘を受けて一度は入信した人々という点では同じカテゴリーに入るが、実はそれ以上に多いのが、勧誘されても結局入信しなかった人々なのである。こうした「説得されなかった人々」も調査しなければ、マインド・コントロールの効果を測定することはできない。渡邊太氏は、この点について、「入信過程におけるマインド・コントロールの効果を証明するためには、入信した人たちだけでなく、勧誘されても入信しなかった人も含めた被勧誘者全体を調査対象にする必要がある」(注17)と批判している。

 西田理論のもう一つの問題点は、実験室での結果をそのまま現実の社会過程に適用してしまっているということだ。実験室という特殊な環境で得られた知見が、そのまま現実の社会に当てはまるという保証はない。この点についても渡邊太氏は、「現実の社会においては無数の媒介変数が存在し、さらに媒介過程が急速に変化する可能性がある・・・現実の社会は極めて複雑であり、実験室の知見を適用した説明がそのまま有効である保証はない」(注18)と批判している。

 この点に関しては櫻井義秀氏も同様の批判をしている。彼は、「複雑な社会過程を極度に抽象化したモデル及びその実験結果から得た結果を、もう一度社会的事実へ還元して事実を解釈する方法それ自体に問題がある。実験で得た結果はあくまでも実験空間内での信頼性であり、その空間が社会空間の写像として妥当かどうかは別問題である。西田がいくら実験データを挙げたとしても、それが宗教教団の勧誘手法そのものであるとは言えないし、ましてその布教・入信過程を説明することにはならないのである」(注19)と手厳しく西田言説を批判している。

 西田氏の主張する「マインド・コントロール言説」の致命的な欠陥は、社会心理学者を自称する者ならば絶対に避けて通れないはずの数値的なデータによる裏づけが欠如しているという点である。西田氏は自説を補強するために、さまざまな実験データを引っ張り出してはいるが、そのほとんどが宗教とは直接関係のない実験結果ばかりであり、肝心の彼が「破壊的カルト」と呼ぶ宗教団体の説得術がどのくらい効果的であるかを、数値に基づいて検証したデータは一つもない。つまりこれは実証的研究ではなく、「解釈」にすぎないのだ。

③宗教学者は概して「洗脳・マインド・コントロール言説」に対して批判的である
 西洋において統一教会の伝道方法に関して社会学的な調査を行い、「洗脳」や「マインド・コントロール」の存在を明確に否定した代表的な研究が、イギリスの宗教社会学者アイリーン・バーカー博士の『ムーニーの成り立ち』(1984)であった。

 日本においては、国士館大学教授の塩谷政憲氏(当時)が、1974年の春に原理研究会が主催する3泊4日の修練会に自ら参加し、そのときの体験を「原理研究会の修練会について」という論文で報告している。塩谷氏の関心は、果たしてこの修練会が洗脳を施すものであるかということであり、この観点から修練会の詳細なスケジュールや雰囲気を描いているが、結論として、洗脳といえるほど激しく態度変容を迫るものではないと述べている。
「決定的なことは、研修生は修練会に強制的に拉致されてきたのではなく、本人の自由意思によって参加したのであり、中途で退場することも可能だったということである。従って、洗脳されたのではなく、自らの意思で選んだのである。人間をそうやすやすと洗脳することはできない。」(注20)
「統一教会の運動にのめりこんでいった人々とは、どんな若者なのだろうか。これを一概に言うことはできないが、真面目で誠実感にあふれているという印象は、統一教会に対して批判的な人々も容認するところである。その運動への献身ぶりは、けなげで、ときには、いたいたしげですらある。それだけに、教外者からは、誰かにあやつられているのだと解釈されたり、あるいは、洗脳されてしまったのだという風にみられたりもする。しかし筆者は洗脳説はとらない。そのような見方は彼らの主体性を一切認めていない考え方である。彼らは手あたり次第の勧誘のなかで改宗したごく少数の人達なのである。それはやはり本人なりの、ゆきつもどりつの結果の決断だったのである。」(注21)

 塩谷氏はこのような自分の目による観察のほかに、具体的なデータからもこの修練会は洗脳とは言い難いと分析している。それは修練会に参加した15名(男9・女6)のうち、次の七日間の修練会への参加に応じたのは男子2名(約13%)に過ぎなかったという事実である。「したがって、洗脳を思想の強制的な画一化と定義すれば、筆者が体験したところの修練会は、洗脳よりも選抜することの方に結果したといえよう」(注22)というのが彼の結論である。

(注16)西田前掲書、p.10
(注17)渡邊太前掲書、p.217-8
(注18)渡邊太前掲書、p.218
(注19)櫻井義秀「オウム真理教現象の記述を巡る一考察」『現代社会学研究』、1996年9月、北海道社会学会、p.88
(注20)塩谷政憲「原理研究会の修練会について」『続・現代社会の実証的研究』東京教育大学社会学教室 1977年、p.131
(注21)塩谷政憲「宗教運動をめぐる親と子の葛藤」『真理と創造』24 1985年、p.60
(注22)塩谷政憲「宗教運動への献身をめぐる家族からの離反」(森岡清美編『近現代における「家」の変質と宗教』新地書房 1986年)p.159

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解散命令請求訴訟に提出した意見書05


 1990年代にはディプログラミングはすでに衰退していたが、ジェイソン・スコット事件は、米国におけるディプログラミングの終焉を決定的なものにし、CANを破綻させた。1991年にリック・ロスというディプログラマーがジェイソン・スコットという若者を「ライフ・タバナクル教会」から脱会させるためにディプログラミングを施そうとしたが、彼は脱会せず、逆にロスとCANを相手取って損害賠償を求める民事訴訟を起こしたのである。ジェイソン・スコット氏の両親から息子の脱会について相談され、ディプログラマーとしてリック・ロスを紹介したのはCANであった。1995年9月、法廷は総額約500万ドルの損害賠償をスコット氏に支払うよう被告側に命じた判決の中で、このディプログラミングの責任がCANにもあることを認め、懲罰的罰金100万ドルを含む合計109万ドルの賠償金を支払うようにCANに命じ、CANはこの判決により破産を余儀なくされた。

 こうした経緯により、アメリカでは既にディプログラミングは犯罪であるという評価は定着しており、すでに過去のものとなっている。アメリカにおける強制改宗をめぐる民事訴訟の詳細は省くが、被告側が強制改宗を正当化する法廷での抗弁は、大きく分けて以下のようなものになる。1)子の幸せを願う親の愛情が動機となって行われたものであるため、不法監禁の罪から免責される。2)より大きな悪を防ぐためにより小さな悪を行うことは正当化されるという「悪の選択」の抗弁。3)強制的に監禁された状況下で相手に同調すると、合意の上での滞在とみなされる。

 これと同様の抗弁は、日本における脱会強要をめぐる民事訴訟でも主張された。アメリカの民事訴訟では、一時的に原告側が負けることはあったにせよ、こうした抗弁は最終的にすべて排斥されたことを指摘しておきたい。

6.日本における「マインド・コントロール言説」と強制改宗
 ①脱会カウンセリングの根拠としての「マインド・コントロール言説」

 洗脳に代わる最新の理論としてのマインド・コントロール概念が日本に輸入されたのは、スティーヴン・ハッサンの著書『マインド・コントロールの恐怖』の翻訳(1993年)によってである。ハッサンの著書は、1995年に出版された西田公昭の『マインド・コントロールとは何か』と併せて、脱会活動を実践する人々の間でよく読まれている。(注13)

 家族に脱会の支援をする「反対牧師」は、信者の両親に対して子どもはマインド・コントロールされた状態にあることを徹底的に教育するという。この結果、親や家族は、子どもが自分の意思で「カルト」に入ったのではなく、マインド・コントロールによって騙されて入信させられたのだと考えるようになる。「カルト」に批判的な立場の心理学者や精神科医の「マインド・コントロール言説」は、この見方に権威付けを与える役割を果たす。

 渡邊太氏は、「マインド・コントロール理論がもっとも影響を及ぼしているのは、カルト信者の救出活動の実践に対してである。ディプログラミングや救出カウンセリングといった取り組みは、カルト信者がマインド・コントロールされているということを前提にしている。救出カウンセラーは、マインド・コントロール理論を説得教材として使う。家族はハッサンの著書『マインド・コントロールの恐怖』や西田の『マインド・コントロールとは何か』を読んで、カルトに入った娘や息子が、マインド・コントロールされた状態であることを学ぶ。救出カウンセリングを受ける本人も、読むことをすすめられる。脱会した後も、いろいろ本を読んで、自分がマインド・コントロールされていたことを確認する。」(注14)と述べている。

 大田俊寛氏はこうした教育について、「マインド・コントロールを解くためには、それを受けている場から遠ざけなければならないという理由から、信者を暴力的に拉致する、さらには『マインド・コントロール』を解く(ディプログラミング)という名目のもとに、長期にわたって監禁・説得する、強制脱会行為がビジネス化するというケースも引き起こされる。」と批判している。(注15)

 こうして拉致監禁による強制脱会を強いられた元信者たちが、「自分は統一教会によってマインド・コントロールされた」と主張して、教会を相手取って損害賠償を請求する訴訟が、「青春を返せ」裁判である。その一例として私は、札幌における「青春を返せ」裁判の原告となった元信者たちの裁判調書を分析し、彼女たちの多くが身体を拘束された状態で説得され、脱会に至った事実を発見した。

 札幌地裁における審理は1987年3月から2001年6月まで14年3カ月という長期間にわたる裁判であった。原告は最終的には21名となり、全員が女性である。結果は、2001年に一審判決で原告の元信者らが勝訴し、2003年3月に控訴審(札幌高裁)で統一教会の控訴が棄却され、同年10月に最高裁が統一教会の上告を棄却したことにより、元信者らの勝訴が確定している。裁判所が認めた損害賠償の額は、請求額のおよそ三分の一であった。

 札幌「青春を返せ」裁判の原告が教会を離れるようになった状況は、統一教会の代理人である弁護士が、原告らに対して行った反対尋問によって明らかになった。21名の原告の証言は、以下の4つのカテゴリーに分類することができ、その人数と比率は以下の表のとおりである。

表2

 この円グラフが示しているのは、証言において文字通り監禁されたことを認めている者が8名おり、「監禁」という表現は認めていないが部屋には内側から鍵がかけられており、部屋から自由に出入りできなかったことを認めた者が8名おり、軟禁状態にあったと証言している者が2人いるということである。ここでいう軟禁とは、鍵は掛けられていなかったものの、常に誰かが見張っていて逃げ出せる状態ではなかったことを指している。残りの3名が、「監禁」という言葉を否定し、出入りの制限もなかったと証言している者たちである。物理的な拘束が事実上あったことを認める証言が全体の75%を超えていることは特筆に値する。また、全体の86%の原告が、何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意したことになる。

 実は、文部科学省が提出した陳述書の中には、この札幌「青春を返せ」裁判の原告が含まれており、その中には自分が教会を脱会する際に身体的な拘束を受けたと証言している者が含まれている。ORさんは反対尋問において、両親が統一教会から脱会させる目的で自分を監禁していたことを文字通り認めている。UTさんは脱会を決意した際の両親との話し合いの状況として、事実上の身体拘束があったことを認めている。具体的には部屋に鍵がかかっており、部屋から自由に出入りできなかったと証言している。OTさんも同様に事実上の身体拘束を認めている。マンションには鍵がかかっており、そこから自由に出入りできなかったと証言している。高田めぐみさんは自分が軟禁状態だったことを認めている。

 このように、①「マインド・コントロール言説」によるディプログラミングの正当化→②ディプログラミングによる脱会者の生産→③脱会者の訴訟による「マインド・コントロール言説」の主張、という悪循環が作られているのである。

(注13)渡邊太前掲書、p.215
(注14)渡邊太前掲書、p.223-4
(注15)大田俊寛前掲書、p.61

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解散命令請求訴訟に提出した意見書04


5.アメリカにおけるディプログラミングの終焉
 アメリカにおけるディプログラミングは、以下の表が示すように1970年代がピークであり、1980年代にほぼ沈静化し、1990年代にはほぼ事件が起こらなくなった。(注11)

表1

①政府による合法的「ディプログラミング」の企て
しかしながら、アメリカ政府のディプログラミングに対する初期の対応は、日本以上に厳しいものであった。それは「反カルト運動」の言説をマスメディアがたれ流し、「カルト」は危険であり、取り締まりの対象とすべきであるという世論が盛り上がり、一種の社会的ヒステリー現象を引き起こしたためである。

 1976年及び1979年に行われた連邦議会による特別公聴会(ロバート・ドール上院議員開催)では、反カルト論者による主張に公的機会が与えられ、カルトを抑制するか、ディプログラミング活動に法的許可を与える法律制定の必要性が一方的に強調された。カリフォルニア、イリノイ、メリーランド、ペンシルベニアなどの各州でも同様の公聴会が開かれた。

 1980年にはニューヨークの州議会に、刑法を改定し、疑似宗教的カルトを助長する行為は重罪にすべきであるとのラッシャー反改宗法案が提出された。同様の反改宗法は、コネティカット、カンザス、メリーランド、オレゴン、ペンシルベニア、テキサス、イリノイ、オハイオ、ミネソタ、マサチューセッツ、ネバダ、その他の州で検討されたが、議会内では一般に「ムーニー法案」と呼ばれ、主として統一教会員をターゲットにしたものであった。もしこれらの法律が制定されていたなら、信者は精神的無能力者として保護者権を発動され、権力による合法的なディプログラミングが行われることになっていた。

 こうした公聴会や立法化の動きに対して、合衆国憲法修正第一条違反、市民的自由の侵害であるとの広範な批判が巻き起こり、伝統教会を含む宗教界全般からの反発、有識者や各種学会の反対が起きた。これによりニューヨーク州のニュー・ケアリー知事は1980年7月1日、立法化は憲法違反であるとして拒否権を発動した。(注12)

 ディプログラミングを合法化するという企ては未遂に終わったものの、個々のケースにおいては統一教会信者の両親が「成年後見命令」を裁判所から認定してもらい、子供に対する「法的監護権」を獲得し、いわば「合法的な強制改宗」を行った事例は存在する。こうしたことがアメリカでは実際に行われたのである。私は2012年にカナダのモントリオールで行われたICSA(国際カルト研究協会)の国際会議で、米国の友人であり統一教会信者のダン・フェッファーマン氏からこの話を聞いた。彼自身が経験したケースでは、こうした権利を獲得した両親が警察を動員して、成人した息子の身柄を拘束しようとしたので、彼が必死になってその男性を隠してディプログラミングから守ったという話であった。

 カール・トリンブルという統一教会のメンバーが、1976年のワシントン大会の真最中に、成年後見命令に基づいて警察によって「保護」された様子を、当時の新聞が写真付きで報道している。大勢の警察官がよってたかって捕まえる、事実上の「拉致」である。両親の依頼を受けて警察が直接拉致してしまうということなので、国家権力による合法的な強制改宗の幇助ということになる。アメリカではこのような成年後見命令が信教の自由を侵害する違法なものであるという判決を、後に統一教会が裁判で争って勝ち取っているが、それまでに多数の犠牲者が出てしまったということだ。

 サンフランシスコ郡上級裁判所のリー・バブリス判事は、5人の統一教会成人会員について、その親を暫定後見人として任命し、統一教会によって吹き込まれたという考え方についてディプログラミングを許可した。5人は後見人が強制改宗を行わないよう特別救済措置を求めて提訴した。1977年にカリフォルニア州控訴裁判所は「下級裁判所が強制改宗を目的にして、親を成人の暫定後見人に定めたのは宗教の自由の権利の侵害であり、後見人の任命は正当化できない」と判決で判示した。 この「カッツ」対「上級裁判所」判決以降は、合法的ディプログラミングはできなくなったのである。

②宗教団体と市民自由団体の役割
 米国においてディプログラミングを終焉させる上において、宗教団体や市民自由団体が果たした役割は大きい。ディプログラミングの被害者が監禁から脱出しその経験を語るようになると、米国の主流派宗教団体や市民自由団体はディプログラミングに対する反対声明を出すようになった。「全米キリスト教会協議会(NCC)」は、こうした強制棄教活動は宗教の自由に対する深刻な脅威であると結論し、1974年2月28日に、こうした活動を非難し、力づくの拉致、個人の宗教信仰を変えるための長期的監禁は宗教の自由の著しい侵害であるという決議を理事会で採択した。NCCは、棄教を強要するための拉致の活用は犯罪として訴追されるべきであると非難した。

 1977年3月5日、米国市民自由連合(ACLU)の全国理事会が宗教団体の信者の拉致に反対する声明を発表した。同声明は、「少なくとも成年に達した人々に関しては、人々から宗教実践の自由を剥奪する方法として、精神的鑑定手続き、一時的保護権、または政府の保護の否定を用いることに対して、ACLUは反対する。」と述べている。

③ディプログラミングに対する刑事および民事訴訟
 「ディプログラミングの父」と呼ばれたテッド・パトリックは、コロラド州デンバーに市民自由財団(CFF)という組織を創設し、1970年代の終わりには全米50州のほとんどで支部が結成された。パトリックの手法は基本的にターゲットとなる宗教団体のメンバーを拉致・監禁し、彼らがその信仰を棄てるまで長期間にわたって心理的圧迫を加えるというものであった。そのため彼は不法監禁罪、婦女暴行、誘拐、拉致、および暴行などの罪で有罪判決を受けることとなり、長期間の禁固刑に服する結果となった。

 米国においては、ディプログラマーは多くの場合、拉致監禁の実行行為という“汚い仕事”を直接行ったため、彼らを告訴するのは比較的容易だった。パトリックは1974年6月にコロラド州デンバーにおいて不法監禁罪で1年間の禁固刑を言い渡された。これにも懲りず、彼は保護観察期間中にも強制改宗を行ったため、1985年までに合計7つの有罪判決を受け、禁固刑に服している。

 このようにアメリカでは、強制改宗が明確な刑事犯罪として警察によって取り締まられ、起訴され、有罪判決を受けている。その他、民事訴訟でもテッド・パトリックは損害賠償の支払いを命じる判決を受けている。 統一教会関係で有名な民事訴訟が「ウェンディー・ヘランダー」事件である。

 ウェンディー・ヘランダーという若い女性は、統一教会の信仰のゆえにテッド・パトリックからディプログラミングの被害を受けたと主張してパトリックを提訴した。この事件でコネティカット州ブリッジポートのフェアフィールド郡上級裁判所は、1976年9月に判決を下し、その中で、彼女が数週間にわたり囚人同様の状態で拘束されていたと認定し、パトリックに対して5000ドルの支払いを命じた。

 パトリックが創設したCFFは1986年に名称を「カルト警戒網」(Cult Awareness Network:CAN)に変更したが、その暴力的体質はいっこうに改善されなかった。CANの任務は、表向きはさまざまな宗教運動についての正確な情報およびカウンセリングを社会に提供することとなっていたが、その活動の実態はあからさまな誘拐や、被害者の意思に反しての拉致・監禁であったため、CANの活動家たちは無数の逮捕、検挙、裁判起訴、禁固刑を受けるに至ったのである。こうした実態を受け、全米警察署長協会が1992年11月18日に発表した公式文書でも、強制改宗を取り締まる旨を表明し、特にCANの活動を非難した。

(注11)David G. Bromley, Ed. “Falling from the Faith,” Sage, 1988, p.197参照
(注12)中野毅前掲書、p.128-130.

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解散命令請求訴訟に提出した意見書03


 アメリカの宗教社会学者マイケル・W・アシュクラフトは2018年に「新宗教研究の歴史概論」という本を出版したが、この本は新宗教運動の学術的研究の分野では非常に大きな影響力を持っている。(注5)この本の中でアシュクラフトは、いわゆる「カルト研究」と新宗教運動に関する主流の学術的研究とを区別した。「カルト研究」は反カルト運動を支持する学者たちの小さなグループによって推進されているもので、主流の学者たちからは否定されている。

 アシュクラフトは、「カルト研究」とは異なり、主流の新宗教研究は以下の前提に基づいていると論じている。これは少なくとも西洋においては、この分野の大部分の学者たちによって共有された考え方である。

 第一に、一般的に理解されている「カルト」という概念には科学的な中身がなく、特定の団体を差別するために使われる言葉なので、使うべきでない。

 第二に、「洗脳」という概念自体が、不人気な宗教を差別するために用いられる疑似科学である。

 こうしたアメリカの学会の実情は、実は日本の宗教学者たちにも知られており、宗教学者たちは一様にマインド・コントロール理論に対しては否定的または懐疑的である。

 渡邊学氏は「≪カルト≫論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争」の中で、「私がカルトとマインド・コントロールの問題をアメリカで調べはじめてみて、宗教学者の多くがどちらの概念も認めていないという事実が明らかになった。」(注6)と述べている。

 渡邊太氏は「洗脳、マインド・コントロールの神話」の中で、「学術的には、洗脳、マインド・コントロールという概念は様々な批判にさらされている。宗教研究者の多くは、洗脳およびマインド・コントロール概念の学術的価値を否定する」(注7)と述べている。同氏はまた、D・アンソニーによる洗脳およびマインド・コントロール理論を反証する経験的データとして、以下の七点を紹介している。「①勧誘の成功率の低さ、②入信者は探究者的性格をもつ、③信者に認知的・知的能力の喪失はみられない、④自発的脱会者の多さ、⑤カルト入信による心理的・感情的状態の改善、⑥自発的脱会者はカルト体験を肯定的に評価する、⑦ディプログラミングを受けた元信者はカルト体験を否定的に評価する(Anthony, 1999, 435)。」これらを踏まえアンソニーは、「洗脳理論やマインド・コントロール理論は疑似科学である」と結論づけているとのことである。(注8)

 大田俊寛氏は「社会心理学の『精神操作』幻想―-グループダイナミクスからマインド・コントロールへ」の中で、「国内外を問わず、各分野の専門的研究者の多くはマインド・コントロール論に対して批判的・懐疑的であり、その理論を支持したり、何らかの現象の分析に使用したりする者は、きわめて僅少というのが実情である。」(注9) と述べている。

 ②アメリカにおける「マインド・コントロール」をめぐる法廷闘争の結果
 アメリカにおける「マインド・コントロール論」の理論的支柱は、反カルト運動 に専念する心理学者、マーガレット・シンガー博士らの研究であった。彼女の役割は、新宗教への回心を「洗脳」「思想改造」「マインド・コントロール」「強制的改宗」などの用語で、いわゆる科学的に裏付け、ディプログラミングの必要性、有効性を「科学的に証明」することにあった。彼女は著作やマスメディアを通して、さらに新宗教に関連する各種の裁判で宣誓証言者として陳述したり、法廷助言書を提出したりして、新宗教に入信した子供たちは、自由意志を奪われ、カリスマ的指導者に盲目的に従わざるをえない悲惨な羊たちなのだと主張した。(注10)

 しかし、彼女の主張は、モルコとリールという二人の元統一教会員たちが、マインド・コントロールを受けたとして統一教会を相手取って起こした裁判上、1987年に「米国心理学会(APA)」およびイギリスのアイリーン・バーカー博士をはじめとする世界的に著名な宗教社会学者等がカリフォルニア州最高裁判所に提出した「法廷助言書」によって完全に否定された。この法廷助言書を提出した米国心理学会というのは、1892年に設立され、6万人の会員を擁する権威ある学会である。

 もともと米国心理学会は1983年にシンガー博士に対して研究を委嘱し、それに対してシンガー博士は「詐欺的で間接的な説得と支配の方法」(DIMPAC)に関する報告書を提出している。しかし、1987年に米国心理学会は、「彼女の理論は科学的裏付けを欠く」として、報告書を否定した。「モルコ・リール対統一教会」の裁判に提出された法廷助言書はこうした論争のさなかに書かれたものである。

 この米国心理学会の法廷助言書によれば、シンガー博士の主張する「強制的説得理論」は、「科学的概念としては意味を持たず」、その方法論は「科学的学会では否認されている」ものであるために、「科学を装った一つの否定的価値判断」であると判断し、したがって、このような理論を認めることは、信教の自由を保障する憲法修正第一条に違反するとしている。

 さらに、32のアメリカのプロテスタント教会と東方正教会によって構成され、4千万人の教会員を傘下にもつ「米国キリスト教協議会(NCC)」が、同じく1987年にカリフォルニア州最高裁判所に、他の4つの大きな宗教団体とともに提出した法廷助言書では、「シンガー博士は統一教会における『宗教的回心』を『心理学的病理』に置き換えているが、それは統一教会のみに当てはまるのではなく、すべての宗教に当てはまることである」としている。つまり、この法廷助言書では、統一教会の伝道方法や回心の過程が、他の多くの宗教が行っているものと基本的に同じであることを認め、そのうえで統一教会が「マインド・コントロールや洗脳をおこなう」などという非難は、アメリカのすべての宗教活動に対する脅威であると主張したのである。

 さらに、権威ある宗教社会学者および宗教心理学者たちのほぼ全員が会員として参加している「科学的宗教研究学会(Society for the Scientific Study of Religion:略称SSSR)」は、1990年11月の協議会で、マインド・コントロール理論の非科学性を再確認する決議案を、満場一致で採択している。

 アメリカにおいて「新宗教団体がメンバーにマインド・コントロールを行った」と主張して、新宗教団体を相手取って訴訟を起こす戦略は、1980年代終わりまで反カルト団体の常套手段であった。しかし、こうした訴訟は,1990年の「アメリカ合衆国対フィッシュマン」の裁判をもって、事実上の終止符が打たれた。

 この裁判では、反カルト側の2名の主要な専門家が,重窃盗罪に問われていたスティーブン・フィッシュマンがマインド・コントロールの影響下で行動したと証言しようとしていた。彼らはサイエントロジー教会が、フィッシュマンが脱会して数年たった後もマインド・コントロールを続けていたと主張した。これに対して北カリフォルニア連邦地方裁判所のローウェル・ジェンセン判事は2名の専門家が科学界で合意された意見を代弁していないことを理由に、彼らの洗脳またはマインド・コントロールに関する証言を認めない判断を下した。フィッシュマンは有罪判決を受けて刑務所に服役した。

 この2人の専門家とは、マーガレット・シンガー博士とリチャード・オフシェ博士のことである。彼らはこの判決以降、米国の裁判で「洗脳」や「マインド・コントロール」に関する専門家として発言できなくなった。これは「マインド・コントロール理論」が米国の法廷で決定的な敗北を喫したことを意味する。

(注5) W. Michael Ashcraft, “A Historical Introduction to the study of New Religious Movements,” Routledge, 2018.
(注6)渡邉学「≪カルト≫論への一視点:アメリカのマインド・コントロール論争」南山宗教文化研究所 研究所報 第9号 1999年、p.83
(注7)渡邊太前掲書、p.209
(注8)渡邊太前掲書、p.219
(注9)大田俊寛「社会心理学の『精神操作』幻想―-グループダイナミクスからマインド・コントロールへ」『心身変容技法研究』第8号 2017年、p.51
(注10)中野毅『宗教の復権―グローバリゼーション・カルト論争・ナショナリズム』東京堂出版、2000年、p.126-7

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解散命令請求訴訟に提出した意見書02


3.概念の定義:洗脳、マインド・コントロール、ディプログラミング
 初めに、「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いについて簡単に説明したい。人の心を操作する技術という意味で最初に使われた言葉は「洗脳」で、英語では Brainwashingと言う。この言葉はアメリカで生まれた。朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造についての米国中央情報局(CIA) の報告書がきっかけとなり、ジャーナリストのエドワード・ハンターが、中国共産党の洗脳テクニックについて著書で紹介して以来、一般によく知られるようになった。その後、精神科医のR・J・リフトンが、中国共産党の収容所から帰還した米軍兵士への詳細な聞き取り調査に基づいてまとめた大著が『思想改造の心理』(1961)という本で、これは洗脳理論の古典として知られる著作である。このように「洗脳」はもともと、共産主義者が米軍の兵士に対して試みた思想改造を意味していた。

 リフトンは著書の中で、「洗脳」を構成する8つの要素をまとめた。それが、①環境コントロール、②密かな操作、③純粋性の要求、④告白の儀式、⑤「聖なる科学」、⑥特殊用語の詰め込み、⑦教義の優先、⑧存在権の配分である。リフトンの著作により、これらのテクニックを用いれば、いとも簡単に人の心を操れるという神話が生まれ、敵対国等に対する非難や冗談に多用されるようになった。

 しかし、これらの手法を使えば、人の心を自由に操ることができ、その人の思想を永続的に変えることができたのかと言えば、実はそうではなかった。洗脳の効果について、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに失敗だと判断されなければならない」(Lifton 1979, p.253)と述べている。(注1)すなわち、中国共産党の拘束下にあったアメリカ人は、一時的あるいは表面上の服従を示していただけで、心の底から共産主義者になったわけではなかった。収容所から解放されてアメリカに戻れば、彼らは元の人格を取り戻したのである。

 実はそれくらい、精神操作に抵抗する自我の力は大きいということが分かったのである。まずここに大きな問題がある。洗脳やマインド・コントロール理論を唱える論者のほとんどは、マインド・コントロール理論の先駆的業績としてリフトンの研究を参照しているのだが、洗脳の有効性を否定するリフトンの結論については触れずにすませているのである。

 それでは「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いとは何だろうか。洗脳とは物理的監禁や、拷問、薬物や電気ショックなどを含めた強制的な方法で、人の信念体系を変えさせる手法を指す。しかし、どの研究報告も、洗脳は「一時的な、行動上の服従しかもたらさなかった」と結論している。

 一方でマインド・コントロールとは、身体的な拘束や拷問、薬物などを用いなくても、日常的な説得技術の積み重ねにより、しかも本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまう、「洗脳」よりもはるかに洗練された手法を指すと解説されている。(注2)問題は、洗脳のように強制的な手段を用いても人の信念体系を変えさせるのは困難だとされているのに、日常的なコミュニケーションの積み重ねだけではたして精神操作が可能なのかということだ。後述する実証的研究によれば、それは不可能である。

 「マインド・コントロール」は「洗脳」よりも後から出てきた概念であり、その意味するところは上記のように区別されているのであるが、しばしば混同して用いられることがある。

 ディプログラミング(Deprograming)とは、「カルトによって信者に植え付けられた思考プログラムを解除する」という意味で、これを専門的に行う者をディプログラマーという。もし「カルト信者」が「洗脳されている」のであれば、彼らは「脱洗脳」されなければならないということになる。「ディプログラミング」の創始者と言われているテッド・パトリックは、カリフォルニアの公務員だったが、彼の息子が「神の子供たち」という論争のある宗教団体に出会って入会してしまった。そこで彼は「脱洗脳」の技術を編み出したのだが、それは新宗教運動の成人したメンバーを路上で拉致し、彼らをモーテルなどに監禁し、彼らの所属する団体に対する否定的な情報を浴びせ続け、彼らが降参して信仰を棄てるまで責め立てるというものであった。こうして彼は最初の職業的な「ディプログラマー」となった。

 1979年までに、パトリックだけで、ハレ・クリシュナ運動、統一教会、神の子供たち、サイエントロジー教会、ディバイン・ライト・ミッション、新約宣教師会、ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド、その他の信者約1600人をディプログラミングしたことを自慢していた。他にも何十人もの強制棄教業者がパトリックと同じような活動を始め、その業者の多くは過去にパトリックにディプログラミングされた元信者だった。

 著書『マインド・コントロールの恐怖』で有名になった元統一教会員スティーヴン・ハッサンもディプログラマーの一人である。著書によれば、ハッサン自身はディプログラミングによって統一教会を離れたわけではなく、事故で入院したことがきっかけとなって自然脱会したと言っている。ハッサンは著書の中で、1976年ごろに約一年間、ディプログラミングに携わっていたことを告白しており、「さいわい、私は一度も訴えられなかった。私の事例の大部分は成功した。しかし私は、強制的な脱洗脳のストレスが楽しくなかった」(注3) と言っている。

4.アメリカにおける「洗脳・マインド・コントロール言説」の終焉
①アメリカの学会における「洗脳」「マインド・コントロール」に対する評価
 本意見書においては、まずアメリカの学会における「洗脳」や「マインド・コントロール」に対する評価を紹介する。

 キース・A・ロバーツの『社会学的視点から見た宗教』は、アメリカの大学および大学院において宗教社会学の教科書として広く用いられている。この教科書の第5章「回心と献身:社会学的視点」は、宗教的回心の問題を取り扱っているが、「洗脳」および「マインド・コントロール」の問題、および宗教的回心における個人の主体的判断の問題に関して、以下のように述べている。

 「多くのアメリカ人が洗脳という言葉を使うとき、彼らの頭の中には何らかの形態の催眠術的トランスか、神秘的なマインド・コントロールがある。それが示唆しているのは、カルトは潜在的な新入会員の精神を操作しているのであり、したがって後者(潜在的な新入会員)は知らず知らずのうちにプロセスの受動的な犠牲者のごときものになっている、ということである。しかし、回心と献身の実際の研究は、違った結論を示している。たとえば、ロジャー・ストラウスはカルトの新入会員は回心を選択することに積極的に関わっていると主張している。『回心という行為は、われわれの発見によれば、最終的行為ではない。むしろ、変えられるための道は変えられた行動をすることだという原理に導かれて、新しい回心者は、自己と他者にとって回心が行動的にも経験的にも真実であるようにするために働くのである。…回心者が変容した生活を経験できるようにするのは、最初の行為によるものではさほどなく、むしろそれに従って生きようとする日々の行動である』(1976:163)。研究結果が示唆していることは、新入会員は受動的な犠牲者というよりは、むしろ回心の経験を欲している能動的な探求者であり、それを起こさせるために相当な努力をしている、ということである(ステイプルとマウス、1987;ストラウス、1976;1979;ジュダー、1974;バルク、1980)。要するに、概して“新宗教”は催眠術的洗脳によるトランスに人々を陥れることに関わってこなかったということである(ベックフォード、1985;レヴィネ、1984b;ブロムリーとシュウプ、1981;バトソンとヴェンティス、1982;バーカー、1984;スタークとベインブリッジ、1985)。」

(注1)渡邊太「洗脳、マインド・コントロールの神話」(宗教社会学の会編)『新世紀の宗教――「聖なるもの」の現代的諸相』所収)、創元社、2002年、p.210
(注2)西田公昭『マインド・コントロールとは何か』1995、紀伊國屋書店, p.51-52
(注3) スティーヴン・ハッサン『マインド・コントロールの恐怖』 恒友出版、1993年, p.67
(注4)Keith A. Roberts, “Religion in Sociological Perspective,” second edition, Wadsworth Publishing Company, 1990, p.102-3.

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解散命令請求訴訟に提出した意見書01


 2023年10月13日、文部科学省は世界平和統一家庭連合に対する解散命令を東京地裁に請求した。2024年2月22日午後、この解散命令請求を巡り、国側と教団側双方から話を聞く第一回目の「審問」が東京地裁で開かれた。今後この裁判は教団内外の注目の的となることが予想されるが、実は私は家庭連合の顧問弁護士である福本修也氏を通して、東京地裁に「意見書」を提出している。意見書はさまざまな専門家や有識者から出されているが、私の専門分野は「マインド・コントロール論」と「ディプログラミング」であるため、このテーマに絞った意見書を執筆した。A4で30枚、約36,000字の長い意見書になったが、本日よりシリーズでこの意見書の内容をアップしたい。なお、裁判所に提出した意見書本文には実名で記載されているが、ネット上で公開するにあたってはプライバシーの保護のためにイニシャルに記載を変換した場合があることを最初にお断りしておく。それでは早速意見書の内容に入りたい。

意見書
令和5年12月22日
魚谷俊輔

1.意見書の主旨
 盛山正仁文部科学大臣は、2023年10月13日に世界平和統一家庭連合(以下、「家庭連合」もしくは旧称である「統一教会」という)に対する解散命令を東京地裁に請求した際に記者会見を行い、解散命令請求の理由として以下のような趣旨の内容を述べた。

 「教団は遅くとも昭和55年頃から、長期間にわたって多数の方々に対し、自由に制限を加え正常な判断が妨げられる状況で多額の損害を被らせ、生活の平穏を妨げた。多くの人に多額の被害を被らせ、その親族を含む生活の平穏を害する行為をし、教団の財産的利得を目的として、献金の獲得や物品販売にあたり、多くの人を不安または困惑に陥れ、その親族を含め財産的、精神的犠牲を余儀なくさせ、生活の平穏を害する行為をした。こうした行為が、宗教法人法第81条1項1号および2号前段の解散命令事由に該当するものと判断した。」

 ここでいう「自由に制限を加え正常な判断が妨げられる状況」とはいわゆる「マインド・コントロール」を指し、家庭連合が「マインド・コントロール」により信者を獲得し、それによって多くの被害者を生み出してきたことが解散命令事由に該当すると言っているわけである。一方、文部科学省が提出した陳述書において「被害」を訴えている者の中には、拉致監禁を伴う強制棄教によって教会を離れ、後に民事訴訟の原告となって教会を訴えた者たちが含まれている。こうした拉致監禁を伴う強制棄教のことを、英語圏では「ディプログラミング」と呼んでいる。家庭連合から被害を受けたと訴える人が多数存在する理由の一つが、信者の親族とキリスト教の牧師や職業的な脱会屋が結託して「ディプログラミング」を行うことにより、「被害者」を作り出してきたからである。さらに彼らを原告として、教会を相手取って損害賠償請求訴訟を起こさせる活動が組織的に行われてきた。
そもそも「マインド・コントロール言説」とディプログラミングはセットであり、切っても切れない関係にある。それは「マインド・コントロールされている人は自由意思を奪われており、自分の力ではカルトから脱会することはできない。そこで一時的には本人の意思に反してでも身体を拘束し、マインド・コントロールを解いてあげなければならない。それが最終的には本人を救うことになるのだ」という信念に基づいて、新宗教運動の信者に対するディプログラミングが行われてきたからである。一言でいえば、「マインド・コントロール言説」によってディプログラミングが正当化されてきたということになる。したがって、「マインド・コントロール言説」が間違いであることが明らかになれば、ディプログラミングの正当性は否定されることになる。よって本意見書では以下の6つの観点から、この主張が誤りであることを論証する。
 ①アメリカにおける「洗脳・マインド・コントロール言説」の終焉
 ②アメリカにおけるディプログラミングの終焉
 ③日本における「マインド・コントロール言説」と強制改宗
 ④日本における「マインド・コントロール言説」に関する判決
 ⑤なぜ「マインド・コントロール言説」を信じる人がいるのか?
 ⑥ディプログラミングがもたらす被害の深刻さについて

2.私の経歴と「マインド・コントロール理論」に関する知識について
 私は1964年に千葉県に生まれ、1987年に東京工業大学工学部化学工学科を卒業した。在学中に原理研究会を通して家庭連合の信仰を持つようになった。現在も家庭連合の信徒である。1995年に米国統一神学大学院神学課程(Unification Theological Seminary Divinity Course)を卒業し、2000年に天宙平和連合(UPF)の前身である世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)が日本に創設されるにともない、事務次長に就任した。2017年8月より、UPF日本事務総長を務めている。IIFWPとUPFはどちらも、文鮮明師夫妻が提唱する世界平和実現のための運動(統一運動)の一環として創設された団体である。IIFWPは1999年に韓国で創設され、2004年7月に国連経済社会理事会の特殊協議資格を持つNGOとして登録されている。IIFWPの創設目的は、世界的な宗教指導者たちの和解と協力を促進し、国連の中に宗教の壁を越えた平和のための協議会である「超宗教議会」を設立することにあった。UPFは2005年にその前身であるIIFWPが名称変更したことによって誕生したため、基本的な目的は同じである。

 UPFは、「One Family Under God(神の下の一家族世界)」をビジョンとして掲げ、平和と人間開発、相互依存、相互繁栄のためのネットワークづくりを推進している。2018年にはUPFは国連経済社会理事会(ECOSOC)において総合協議資格を取得しており(2021年現在、国連NGOは5450団体が登録されているが、総合協議資格を有するのは140団体である。)、その活動の公益性は、国際的に評価されている。

 UPF-Japanはニューヨーク州テリータウンに本部を置くUPFインターナショナルの日本支部である。UPF-Japanは、1)平和国連のモデル形成、2)日米韓を基軸としたアジア太平洋文明圏の形成への貢献、3)平和家庭理想を基盤とした為に生きる「奉仕文化」の定着を目標として、以下の事業に取り組んでいる。①国際交流、親睦、連帯のための諸活動、②国際会議、シンポジウム、セミナー、研究会など、③諸団体との連携および地域社会活動、④機関紙の発行およびその他の広報活動、⑤平和大使の任命と平和大使協議会による諸活動、⑥その他、上記の目的を達成するために必要な事業。UPF-Japanの事務総長の職責は、議長を補佐し、各部局の活動全般を統括することである。

 またこれまで私は、「マインド・コントロール理論」に対する批判的な研究者としての立場から、増田善彦著『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体』(1996、光言社)の編集協力、及び『統一教会の検証』(1999、光言社)の執筆を行い、2023年3月には『間違いだらけの「マインド・コントロール」論』(賢仁舎)という著書を出版した。また、『「洗脳」「マインド・コントロール」の虚構を暴く』と題する個人ブログ(http://suotani.com/)では、このテーマに関する膨大な量の論考を発表している。

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ38


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

血まみれの政権と「飲酒運転者」:ワシントンDCを揺るがすIRFサミット

02/13/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

今年最大の宗教の自由イベントは、中国とロシアの残虐行為に異議を唱えたが、日本のような民主主義国家が危険な飲酒運転者に見えることも指摘した。

マッシモ・イントロヴィニエ

IRFサミットのパネリスト達
RFサミット2024で日本について講演するマッシモ・イントロヴィニエ氏。左はスーザン・ジョンソン・クック氏。右はヤン・フィゲル氏とW・コール・ダラム氏。

敵もいれば、友達もいる。しかし、友達が酔って車を運転している場合、止めるよう説得するのが最善の友情だ。この説得力のある比喩は、USCIRF(米国国際宗教自由委員会)の委員長を二期務めたカトリーナ・ラントス・スウェット氏が、他の民主主義諸国が日本に対してとるべき態度を説明するために用いたものである。日本では、統一教会(現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている)に対する誤った反対運動が、同教団の解散命令請求と、あらゆる宗教の自由を厳しく制限する法律や規制につながっている。

ラントス・スウェット氏は、ワシントンDCのワシントン・ヒルトン・ホテルで開催された「国際宗教自由(IRF)サミット2024」の全体会議で、安倍暗殺後の日本の危機について講演していた。そこでは私も話をしたが、元米国国際宗教自由特使のスーザン・ジョンソン・クック氏、ユタ州プロボのブリガム・ヤング大学の法と宗教研究国際センター所長のW・コール・ダラム氏、欧州連合以外の地域における宗教の自由を促進するための欧州委員会元特使のヤン・フィゲル氏もスピーチした。統一教会の信者たちは、ディプログラミング目的の拉致監禁、棄教強要をされた体験を話し、ここ数年日本で彼らを襲った差別について語った。

堀守子氏の証言は特に力強かった。彼女は、統一教会の指導者である韓鶴子総裁によって創設された組織である世界平和女性連合の会長を務めているが、その会員の大部分は統一教会の信者ではない。安倍晋三暗殺後、女性連合は日本の反カルト主義者やメディアから中傷され、同連合の女性たちは一貫して差別されてきた。そして今、日本はその攻撃の矛先をエホバの証人に拡大しており、その次が誰になるかは分からない。

堀守子
堀守子氏の証言

ラントス・スウェット氏は、もう一人の元米国国際宗教自由特使であるサム・ブラウンバック氏とともにIRFサミットの議長を務めている。IRF サミットは、数千人の参加者が集まり、ブースやワークショップを通して数カ国における数多くの異なる宗教が抱える問題を提示する、世界最大の宗教の自由の集まりとして台頭した。

サム・ブラウンバックとカトリーナ・ラントス・スウェット
サミットに出席したサム・ブラウンバック氏とカトリーナ・ラントス・スウェット氏

ヤン・フィゲル氏が指摘したように、2024年のIRFサミットは、2022年の安倍暗殺以降に進展があったことを示している。もともと米国では、アジアの重要な同盟国である日本を批判することに一定の抵抗があったが、今では、日本が民主主義世界で宗教の自由に対する最悪の危機を引き起こしたことに、ほぼ疑念の余地はないと考えられている。しかし、それだけではない。宗教の自由に関して言えば、日本は民主主義諸国の中で飲酒運転者のように見えることがあるが、他のドライバーも酔っぱらっていて、その中にはフランスも含まれる。フランスが既に悪法である2001年の反「カルト」法を、さらに悪化させるための改正案を出したことも言及された。

宗教の自由を擁護する世界の関係者のほぼ全員がサミットに出席し、その中にはチェコ共和国のロバート・レハク大使も含まれていた。彼は宗教の自由を支持する37か国の連合である国際宗教または信仰の自由同盟の会長を務めている。マイク・ペンス前米国副大統領、現職の宗教または信仰の自由に関する国連特別報告者であるナジラ・ガニア氏、英国の宗教または信仰の自由特使であるフィオナ・ブルース氏、現職の米国国際宗教自由特使であるラシャド・フセイン氏、現職の米国下院議長であるマイク・ジョンソン氏もいた。さらに、世界中から何百人もの国会議員、宗教指導者、ジャーナリスト、NGOの指導者、学者が集まった。

マイク・ペンス
サミットに出席したマイク・ペンス前米国副大統領

問題の半分は、民主主義国の飲酒運転者たちである。彼らの宗教的マイノリティに対する弾圧はそれほど血なまぐさいものではないが、それが民主主義社会において起こったという事実が、世界の他の国々にとって悪い手本となっている。宗教の自由の問題の残りの半分は、全体主義体制もしくは十分に民主的とは言えない政権である。日本やフランスには飲酒運転のドライバーがいるが、一方で戦車を運転し、その車輪で意識的に宗教の自由を押しつぶそうとする者たちもいる。これはロシアが不法占領したウクライナの領土における宗教の自由に対する残忍な抑圧を表すのに適切なたとえである。しかしそれは同時に、ロシア本土、中国、北朝鮮、ニカラグアで起きていることをも描写している。多くの証人が、宗教の自由において世界で最悪の国は中国であると指摘している。そうした証人の中には、ルシャン・アッバス氏のようなウイグル人、ベンジャミン・ロジャース氏のような香港の自由を求める活動家、チャイナ・エイドのボブ・フー氏のような迫害されているキリスト教家庭教会の擁護者、法輪功学習者、チベット仏教の信者たちが含まれている。パキスタンは今月の総選挙を心待ちにしているが、この国を完全な民主主義国家とみなすことはできない。なぜなら同国の法律では冒涜行為を死刑で処罰しているし、アフマディー教徒や他の少数派に対する暴力、誘拐、イスラム教への強制改宗が行われ、ヒンズー教やキリスト教徒の少女(多くは未成年)がイスラム教徒との結婚を強制されているにもかかわらず、警察は見て見ぬふりをしているからである。他の地域では、イスラム教徒が差別されたり、反ユダヤ主義がイスラエル政府に対する批判を利用して再び醜い頭をもたげたりしている。ナイジェリアではキリスト教徒が、イランではバハイ教徒が虐殺され続けている。

ルシャン・アッバス
ウイグル人権プロジェクトのブースに立つルシャン・アッバスさん

もちろん、IRFサミット2024で議論された宗教の自由の侵害のすべての事例について一つの記事で言及することは不可能だ。Bitter Winterはいくつかのセッションにおいて、宗教または信仰の自由を人権促進のグローバルな取り組みの中心という正しい位置に置こうとしている国際的な運動にとって、貴重な資源であると認められたことを誇りに思う。そして私たちは、全体主義者の戦車によるウイグル人とウクライナ人の犠牲者、そして飲酒運転者による日本人の犠牲者の声を胸に刻んで、ワシントンを離れる。

ルーク樋口
サミットで証言するルーク樋口氏。米国統一教会の日本人指導者である彼は、数か月間監禁された後、ディプログラマーたちから大胆に逃走した。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%e8%a1%80%e3%81%be%e3%81%bf%e3%82%8c%e3%81%ae%e6%94%bf%e6%a8%a9%e3%81%a8%e3%80%8c%e9%a3%b2%e9%85%92%e9%81%8b%e8%bb%a2%e8%80%85%e3%80%8d%ef%bc%9a%e3%83%af%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%83%88%e3%83%b3%ef%bd%84/

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BITTER WINTER家庭連合関連記事シリーズ37


信教の自由と人権のための雑誌「BITTER WINTER」がインターネット上で発表した家庭連合関係の記事を紹介する連載。これらの記事を書いたマッシモ・イントロヴィニエ氏はイタリアの宗教社会学者で、1988年にヨーロッパの宗教学者たちによって構成される「新宗教研究センター(CESNUR)」を設立し、その代表理事を務めている。これらの記事の著作権はマッシモ・イントロヴィニエ氏にあるが、特別に許可をいただいて私の個人ブログに日本語訳を転載させていただくことなった。

日本は国家主導のディプログラミングを導入しようとしているのか?

02/06/2024 MASSIMO INTROVIGNEA

1月19日の閣議で、背教者である元メンバーの助けを借りて、統一教会の現役信者を「カルト」からの脱会に導くことを目的とした提案がなされた。

マッシモ・イントロヴィニエ

統一教会の背教者や反対者と会う日本の大臣や政治家
統一教会の背教者や反対者と会う日本の大臣や政治家の絵画的表現(AI生成アート)

すべては2022年7月8日の安倍晋三元首相暗殺事件から始まった。犯人の男は、安倍氏が統一教会(現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている)のイベントにメッセージを送ったので、彼を成敗したかったと主張した。暗殺者は、同教団の信者である自分の母親が2002年に破産したのは、教団への過度な献金のせいであるとし、それゆえに自分は統一教会を憎んだと語った。

暗殺者を非難するのでもなく、あるいは彼の弱い心を刺激したかもしれない反カルトのプロパガンダを責めるのでもなく、メディアは全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に煽られて、統一教会に反対するキャンペーンを開始した。全国弁連は1987年に左翼弁護士たちによって設立された反カルト組織であり、彼らによれば、その意図は日本の統一教会の関連団体による反共キャンペーンの成功に歯止めをかけることにあったという。

全国弁連とメディアが極めて悪意に満ちたキャンペーンを仕掛けた結果、2023年に岸田政権は家庭連合に対する宗教法人解散命令を裁判所に請求することを決定した。同時に政府と議会は、「カルト」全般および特に統一教会に対する新しい法律を制定し、指示や規則を出した。一つは、「論争のある」宗教団体への献金を、単に献金者が洗脳によって操られたと主張すれば簡単に取り戻せるようにした。洗脳は信憑性を失った理論だが、日本政府はこれを採用したようだ。

もう一つの命令は、宗教団体が未成年者に「教えを吹き込む」ことを禁じている。その規定は明らかに統一教会だけでなく、エホバの証人や保守的なクリスチャングループをも標的にしたものだ。三番目の法律は「カルト」の「被害者」に対する支援を提供する。最近の運用基準案では、非常に広範な「被害者」の概念を提示しており、それには自分は被害者ではないと主張する人々も含まれてしまう。ここでも、その理由は「洗脳」である。実際の運用においては、家庭連合の信者はすべて、運動の中にいて完全に幸福だと言っている者も含めて、「被害者」になるのだ。

この日本の長編物語では、しばしば偏見、頑迷さ、宗教の自由に反する措置の蔓延が底をついたかと思うと、翌週または翌月には政府がさらに悪い新しい何かを提案しているのを発見するだけである、という印象を受ける。

洗脳のイメージ
1950年代に「洗脳」という概念がアメリカのプロパガンダによって導入され、なぜソ連や中国が戦争捕虜や反対者の「脳を変化させる」ことができたのかを説明した。(1950年代のプロパガンダポスターのAI生成による制作)。この疑似科学的な理論は後に「カルト」に適用された。

4000人以上の統一教会のメンバーが「ディプログラミング」と呼ばれる犯罪行為に遭った。すなわち、彼らは拉致され、監禁され、信仰を放棄し教団を去ることに同意するまで、身体的・心理的な暴力にさらされた。日本の最高裁は2015年に、この行為は違法であると宣言し(2014年の高裁判決を支持)、12年以上にわたり監禁されていた統一教会メンバーである後藤徹に対する莫大な賠償金の支払いを認めた。

その後もいくつかの事件が発生したが、一般的な法的コンセンサスは、ディプログラミングは日本で非合法化されたというものだった。これは、前世紀から犯罪であるとみなしていた世界のほとんどの民主主義国に比べると、やや遅れてのことであった。

しかし、現在、日本では国が主導するディプログラミングの再導入が検討されている。これは広範な「被害者」の概念が提示されていることと、日本政府が洗脳という疑似科学的な理論を支持していることから導かれる論理的な帰結である。もし日本の統一教会メンバーのすべてが「被害者」であり、彼らが「洗脳」の影響下にあるために自分たちが「被害者」であることに気付いていないとするならば、唯一の「救出」方法はディプログラミングである。

これは民主主義国では新しいことだが、中国やロシアではそうではない。“Bitter Winter”などの人権メディアは、中国で定期的に行われている国家主導のディプログラミング(もともとアメリカのディプログラマーたちはここで助言を受けた)や、ロシアでロシア正教会が政権と協力して運営している「カルト信者」の「リハビリテーション・センター」について報じている。

しかし、日本は「カルト」のメンバーに強制的「カウンセリング」、すなわちディプログラミングを受けさせる最初の民主主義国になるであろう。1月19日、「旧統一教会の被害者支援に関する関係閣僚会議」について計画する閣議が行われた。(「旧」とあるのは、現在は家庭連合と呼ばれるため)。日本の主要新聞の一つである「日経新聞」が議論の内容を報じ、その後、政府は自身のウェブサイトで草案の主要なポイントを発表した。

議事録の中で気になる点は3つある。まず、政府が「背教者」(すなわち敵対的な)元信者たち(おそらく「全国霊感商法対策弁護士連絡会」によって選ばれ、当局に紹介された者たち)と協力することが提案されている。その中には統一教会を離れた元二世信者も含まれる。「日経新聞」がまとめたように、彼らは「研修の講師として相談窓口の対応者に助言・指導する。・・・被害者への適切な支援に繋げる」。これらのいわゆる「被害者」は、家庭連合の現役信者である。さらに、「マインドコントロール下にある被害者は悩みに気づかない場合も多い。元信者らが相談員への講習で自身の経験を踏まえ知見を伝える。」と書かれている。

小川さゆり
「小川さゆり」(仮名:スクリーンショット)は、日本の統一教会の最も有名な元二世信者の「背教者」である。彼女の物語は、受賞歴のあるジャーナリスト福田ますみ氏によって否定された。

第二に、政府の支援のもとで背教者の元信者から訓練を受けたこれらの「カウンセラー」は、自分が「被害者」であるという自覚のない「被害者」に対して、「サポート」を提供するであろう。これはディプログラミングの洗練された隠喩にほかならない。彼らはまた、家庭連合に喜んで留まっている二世信者にも同じ「サポート」を提供し、彼らが通う学校に直接働きかけ、同じ「サポート」を受けさせるであろう。それは彼らが「洗脳されている」という主張のゆえである。

第三に、「収入が少なく住む場所に困っている」宗教二世らに、「シェルター」を造るという奇妙な提案がなされている。貧困のゆえにホームレスになっている家庭連合の二世信者の事例は報告されていないので、これは実在しない問題である。しかし、あからさまに語られたこの手段の真の目的は、二世信者を「親など信者から離れて」住まわせ、彼らが「カウンセリング」を受けて「生活の再建」をしやすくするためなのである。

これらの「シェルター」は、中国共産党が「カルト信者」とその子供たちをディプログラムする「愛の家」に非常によく似ている。彼らはここで「カルト」を否定し、「共産党を固く信じ、党を愛し、党に従う」ように教え込まれるのである。

この比較は驚くべきものではない。事実、日本共産党の公式ウェブサイトによれば、2023年10月16日に「盛山正仁文部科学大臣が日本共産党書記局長の小池晃氏の参議院事務所を訪れ、統一教会(世界平和統一家庭連合)の解散命令を東京地裁に請求したことを報告した。小池氏は政府与党に対して、現役信者に対するケアに責任を持つよう求めた。」とある。この「ケア」が何を指しているかは容易に推測できる。おそらく小池氏は、中国の「愛の家」という良き見本を大臣に教えたのであろう。

以上の記事のオリジナルは以下のURLで見ることができる。

https://bitterwinter.org/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AF%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%B8%BB%E5%B0%8E%E3%81%AE%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%92%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%97%E3%82%88/

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